魔宝使いバッツ2 プロローグ
暗い廊下をコツコツと歩く女の足音が木霊する。
その足取りは重く、表情も闇に掻き消えそうなほど暗い。
女は、時折体の痛む箇所を押さえながら苦痛の表情を浮かべている。着ているスーツは泥だらけであちこちが破けていた。その姿は、まるで戦場から戻ってきた敗残兵のようだ。
女の名はコルダと言った。
母国アルガーナの密命を受け、コルダはその身を偽り隣国レクタングルに潜伏していた。その密命とは、地底界と地上界を結ぶ扉『魔導門』の封印を解き、レクタングル国を手中に収めるというものであった。
一年もの間、彼女は作戦を実行するチャンスを伺っていた。そして、レクタングル国王を暗殺することに成功したコルダは、封印を解くカギとなる魔宝具『破邪の水晶』を手に入れ、魔導門を復活させた。後は、残るレクタングル王家の者を皆殺しにし、魔導門の開放を待つだけだった。作戦は全て上手くいったかに思えた。
だが、魔導門が開くあと一歩と言う所で、突如として現れた一人の魔宝使いの少年に全てを台無しにされた。
数多の魔宝具を操る恐るべき魔力を持った少年の前に、コルダと仲間達は成すすべなく蹂躙され敗北した。
からくも仲間の機転で一人脱出に成功したコルダであったが、生き恥を晒しおめおめと皆の前に出られる訳がない。だが、彼女は事の顛末を主に報告する義務がある。そして、それは散っていった仲間に対する唯一の報いであり願いでもある。その後なら例え処刑されても構わない、そうコルダは思っていた。
それにしても、あの少年は一体何者なのだろうか……?
コルダの脳裏にあの戦いが蘇る。
見た目は子供の姿だが、奴は恐るべき力を持っていた。しかも、その正体は我らと同じ地底人。それなのに、なぜ奴は我々の邪魔をするのだ。我々地底人が地上人どもに受けた屈辱を奴は知らないとでも言うのか?
歯を食いしばり、コルダは憎らしげに拳を握り締めた。
腑に落ちない点は他にもある。奴の背には八枚の翼があった。我ら地底人の力は背中に持つ翼の数で決まる。私はあの方以外に、八枚もの翼を持つ地底人の存在など知らない。
いや……、一人だけ知っているか。
そう一人ごちながら、コルダは思いを馳せるように天井を仰いだ。
遥か千年もの昔に勃発した聖魔大戦。その時、地底軍を率いて戦った地底界の英雄がいた。伝説によれば、その英雄も八枚の翼を持っていたと言われている。その名は確か……。
だが、そこまで考えたところで、コルダは自嘲気味に首を振った。
ありえない、あれは伝説の存在だ。いくら我々が地上人より長寿とは言え、千年もの間生き続けられる地底人などいる訳がない。きっとあれは私の見間違いだったんだ。
「よう、コルダ」
その時、突然コルダの背後から呼びかける声が聞こえた。
コルダはピタリとその足を止める。
暫くの沈黙の後、暗闇からのそりとその声の主が姿を現した。
月の光を浴び、男の筋肉質な体を包む銀色の毛が浮かび上がる。男は爛々と赤く光る獣の瞳をコルダに向けると、口元を歪め鋭い牙を覗かせた。そこにいたのは、狼の頭を持つ人狼であった。
「クックック。どうやら相当酷い目にあったらしいな。聞けば、ゼルドとクライムもやられたそうじゃねぇか。あいつらも口ほどにもねぇな」
「……何のようでしょうか? シルバ」
振り向きもせずコルダは答える。
シルバと呼ばれた人狼は、ヒュウと口笛を鳴らすと、おどけたように肩をすくませた。
「そう警戒するなよ。俺様は、ただお前に忠告してやろうと思っただけだぜ?」
「忠告?」
シルバはコルダの元まで歩み寄ると、馴れ馴れしく彼女の肩に毛深い手を置いた。
「あいつが怒り狂っていたぜ、お前を殺してやるってな。なにせクライムは、あいつの一番のお気に入りだったからなぁ。クックック、まぁせいぜい後ろから刺されないよう背中には気をつけることだ」
「……それは彼女のことですか? それとも……あなたのことですか?」
その言葉に、シルバはニィと口元を邪悪に歪めると、爪が食い込むほど強くコルダの肩を握り締めた。その手をコルダは表情一つ変えずに振り解く。
「ご忠告には感謝します、ですがこれは私の問題。自分の不始末は自分で解決しますので」
そう言ってコルダは、最後までシルバを見ることもなく、暗い廊下に消えていった。
一人残されたシルバは、闇に消え行くコルダの背中を見つめながら、まるで獲物を狙う獣のようにベロリと舌なめずりをした。
◆◇◆◇◆◇
アルガーナ帝国。
大陸の東に位置するこの国は、幾度の併合を繰り返し肥大化してきた軍事大国である。
この大陸に連なる数多くの国の中で、人口一万も満たない小国に過ぎなかったこの国が帝国と呼ばれるようになったのは、一人の男の出現による所が大きい。
言い伝えによれば元々その男は、各国を渡り歩き魔宝具を集めることを生業とした魔宝具ハンターであったと言う。
ある日、アルガーナ国に滞在していた男は、その魔宝具使いとしての腕を見込まれ、アルガーナ国の騎士として取り立てられた。
その頃、この大陸は各国が領土を奪い合う戦乱の真っ只中で、アルガーナ国も例外では無かった。そのため、手にした者を一騎当千の戦士に変える魔宝具の存在は大きく、国は一人でも多くの優秀な魔宝具使いを必要としていたのだ。
その後、魔宝具使いとして戦場に投入された男の活躍は目覚しいものがあった。
彼が現れた戦場は、どんなにアルガーナ国側が劣勢でも、一瞬にして立場が逆転すると言われていた。その強さは、千、いや万に匹敵するとも言われ、アルガーナ国は連戦連勝。瞬く間に近隣諸国を切り取り従え、領土を拡大していった。
アルガーナ国の王グランドール八世は、その男を大変気に入り親衛隊長として抜擢し、自分の側に従えさせることにした。独裁政治を行い、己の私利私欲を満たすことしか興味の無いこの王は、多くの者に恨みを買っており幾度と無く暗殺されかかったことがあった。寝る時も心休まることがない王は、その国最強の男を手元に置くことでその身を守ろうとしたのだ。
だが、その考えが浅はかだった。突如男が牙を剥き、王をその手にかけたのである。男は、アルガーナ国に来た時からこの機会を狙っていたのだ。そう、自分が王に取って変われるこのチャンスを。
男は王家に連なる者を皆殺しにした後、瞬く間にアルガーナ国の実権を掌握し、自ら王の座についた。その後も男は、徹底した軍事政策と強大な魔宝具の力を持って、さらに近隣諸国に侵略を繰り返した。そして、小国に過ぎなかったアルガーナを軍事大国として育て上げ、現在の基盤を築きあげた。ここにアルガーナ帝国が誕生した。
そのアルガーナ国の中心に、城壁を真っ黒に染め上げ不気味に聳える王城ダークキャッスルがあった。良く見るとその色は浅黒く、それは皆殺しにされ窓から吊るされた王家の血だと、民の間でまことしなやかに噂されていた。見る者に言い様の無い不安と恐怖を与えるその存在は、まさにこの国の血塗られた暗黒の歴史に相応しい象徴であり、まるで街を監視するかのごとく佇むその城を民は畏敬の念を持ってこう呼んでいた。……監獄塔と。
その最上階にある謁見の間で、幾人かの蠢く影が見える。
夜だと言うのに、部屋にはランプの光一つ灯されていない。頼りになる明かりと言えば、窓から差し込むわずかな月の光だけだ。だが、闇に生きる彼らにとってそんなことはなんら問題では無い。それよりも今彼らにとって問題となっているのは、目の前に跪く女、コルダの処遇についてである。
「メビウス様の任務を失敗し、ゼルドを倒され、そして、そして……私の愛しいクライムを見殺しにした! アンタ、それでよくもおめおめと戻ってくることができたわね!」
ヒステリックに叫びながら、女は険しい目つきでコルダを睨み付けた。
黒のレースに白のフリルがたくさんついた、ゴスロリ調のドレスを身に纏った少女。金色の縦ロールの髪が良く似合うその少女は、一瞬人形と見間違えるぐらい可愛らしい姿をしている。だが、狂気に赤く染まった目と怒りで歪む表情が、せっかくの彼女の可愛らしさを台無しにしてしまっていた。
少女は、先程から思いつく限りの罵詈雑言をコルダに浴びせ続けていた。だがいくら叫んでも少女の気が晴れることは無い。それもそのはず、彼女は先日の戦いでこの世で最も愛すべき存在を失ったのだから。
少女は息をつきながらコルダの返答を待った。もちろん、コルダが何を言おうと彼女に許す気持ちなどさらさらない。だが、コルダがいかに惨めでみっともない言い訳をするのか少女には興味があった。生き恥をさらし、おめおめとコルダは戻ってきたのだ。きっと、呆れ返るような言い訳を用意しているに違いない。皆の前で醜態を晒させ、その後にゆっくりとなぶり殺しにしても遅くはないだろう、そう彼女は思っていた。
だが、コルダが発した言葉は彼女の予想もしない内容だった。
「申し訳ございません。作戦の失敗は、全て私の責任です。どのような罰も覚悟しております。この首などでよろしければ、どうぞお受け取り下さい」
深々と頭を下げ、コルダはそう言った。
その潔い返答に、女は一瞬呆気にとられる。そう、コルダは初めから死を覚悟してこの場にやってきていたのだ。
だが、唖然としていた少女の胸にすぐに別の怒りが沸々と湧いてくる。結局コルダを殺した所でクライムが蘇ることはない、どうすることもできないのだ。そんなことは彼女にも分かっていた。だが、やり場の無い怒りをぶつける先はコルダしかいなかった。
「謝って済む問題じゃないわ! ああ、クライム! 私のクライム! こんな女と行動を共にしたばかりに、あんな目に合わされて可哀想に!」
少女は愛しそうに何かを抱きしめた。それは、動かなくなったクライムの首だった。
「お前のせいだ! お前がヘマさえしなければ、クライムはこんな目に会うことも無かったんだ! 死ね! 死んであの世でこの子に詫びろ!」
少女は懐からナイフを取り出すと、コルダに向け大きく振りかぶった、その時だった。
「カルマ。もう許してあげなさい」
背後から聞こえた声に、カルマと呼ばれた少女が振り向く。
「し、しかしメビウス様!」
そこには、真っ黒なドレスに身を包んだ美しい女が佇んでいた。
すらりとした気品ある顔立ちに、金色の瞳、高い鼻が目を引く瑞々しい美女。その人物とは、アルガーナ国の王女メビウスだった。
闇をも照らさんばかりに金色に光り輝く絹のような髪をゆらめかせ、メビウスは俯くコルダに向かって優しい瞳で声をかけた。
「コルダ、よくぞ戻ってきてくれました。クライムやゼルドが倒されたのは本当に残念ですが、それはあなたの責任ではありません。今回の作戦の失敗は、全て私の判断ミスです。まさか、あのような強力な魔宝使いが現れるとは思いもよりませんでした。どうか、この私を許してください……」
「そ、そのようなことをおっしゃらないで下さいメビウス様! 全ては私の責任です!」
コルダの言葉に、メビウスは首を横に振った。
「あなたには辛い思いをさせました。さぞ疲れたことでしょう。今日はもう自室に戻り休みなさい。そしてまた、私に元気な姿を見せてくださいね」
「……メビウス様」
瞳を潤ませたコルダは、一礼をすると口を抑えながら足早に部屋から出て行く。
カルマはその後姿が消えるまで、親指を噛みながら憎憎しげに見つめていた。
「甘すぎますわ、メビウス様! あの時、私が咄嗟に転送ジッパーでクライムを助けださなかったら、取り返しのつかないことになっていたんですよ! あの女のせいで!」
髪を振り乱しながら、カルマは叫んだ。そんなカルマに向かって、背後の闇から声が聞こえてきた。
「過ぎてしまったことをいつまでも話しても仕方なかろう。それよりも今我々が議題にすべきことは、今後の方針についてじゃないのか? コルダが失敗した以上、あの国を攻略する後任者が必要だろう」
「そうそう、たかが人形の一つや二つ、壊れた所で気にすること無いじゃないの。壊れたなら、また新しい物を作ればいいのよ。そんなこと、あんたにかかれば楽勝でしょ?」
「あなたたちは黙ってなさいよ! 私の気持ちも知らないで! それに、あの子の代わりなんて無いのよ! あの子は、私の血肉を分けた最高傑作! 二度と作ることなんてできないわ!」
怒りを露にカルマは闇に向かって叫び返した。
そんなカルマをメビウスは寂しげな瞳で見つめた。
「カルマ、恨むのならこの私を恨みなさい。全ての責任は作戦を指揮したこの私にあるのですから」
「そ、そんなこと、出来る訳無いじゃないですか……」
メビウスの言葉に、カルマはそれ以上言葉が出なくなった。ギリギリと悔しそうに歯軋りをし、拳を握り締める。そんなカルマの姿に、メビウスの心が痛む。
「クライムのことは、私がなんとかしましょう」
「ほ、本当ですか!」
メビウスの言葉にカルマはパッと顔を輝かせた。
メビウスは、コクリと頷く。
「ですが彼を蘇生するためには、魔導人形のコアとなる魔性石が必要です。それさえあれば、クライムの体を復元することも可能なのですが……」
その言葉に、カルマはニィと邪悪に口元を歪めた。
「それなら私にお任せ下さい。私が攻略中のあの国になら、きっと魔性石もあるはず。滅ぼすついでに手に入れてごらんにいれますわ」
そう言うやいなや、カルマはきびすを返すとすぐさま部屋から出ていった。
まるで嵐が過ぎ去ったように、謁見の間に静寂が訪れる。
「あらら、大丈夫なのかしら? あんなに取り乱して……」
「我々には我々の、奴には奴の使命がある。余計な詮索は無用だろう」
「こう言うのは、あれこれ考えるから楽しいんじゃない。あれだけコルダを罵ったんですもの、万が一にも自分に失敗は許されないってこと、彼女は分かっているのかしら?」
「興味ないな」
そう言うと、男の気配が闇に溶け込むように消え去った。
「フン、相変わらずつまらない男ねぇ。まぁいいわ。私も行ってきますわね、メビウス様」
続けて女の気配も消え、再び部屋に静寂が訪れた。
部屋に残っているのは、メビウスと……あと一人。
「クックック。メビウス様、俺は何をすれば良いので?」
闇の中から野太い野性味ある男の声が聞こえてきた。
「あなたには、カルマのサポートをお願いします。あの様子では、彼女は冷静な判断ができないかもしれませんから……」
「御意」
男の気配が消え、再び謁見の間に静寂が訪れる。
一人残されたメビウスは、窓から遠く輝く月を見つめた。そして、思いを馳せるように目を瞑り祈りを捧げた。
◆◇◆◇◆◇
廊下を足早に歩き、自室に戻ったカルマは小脇に抱えていたクライムの首を掲げた。
「待っていてクライム。あなたは、私が必ず蘇らせてみせる。そして、あなたをこんな目に会わせたあの魔宝使いも、この手で八つ裂きにしてあげるから……」
物言わぬクライムの首を抱きしめ、カルマはその目に復讐の炎を宿らせた。