039 映画館でアイドルと密会 ※ただし映画館は廃墟とする
オレは古びた映画館のビルに入っていく。
廃墟となっている映画館だ。
個人経営だったであろうそれは、映画館というにはかなり慎ましい。
びりびりに破れた映画のポスターなどが壁を飾っている。
劇場は1と2の二つしかなかった。
オレは2番の劇場に入った。
中はかび臭く、椅子にはほこりが積もっていた。
中央付近の椅子の汚れを払って座る。
すると突如、映画が流れ始めた。
――電気は流れていたのか?
と不思議に思う。
だが映画を流す仕掛けをした人物は、もうわかっている。
オレをここに呼び出した水無月璃音以外はあり得ない。
映画が流れていく。
開始は事故だった。
道路上のカーブで、黒いリムジンが衝突事故を起こす。
主人公の女性は怪我を負いながらも事故現場から逃げ出していく。
「お待たせしました。――風見遥さん。配信者さんをされているんですね」
そんな声が後ろから聞こえてくる。
足音はそのまま近づいてきて、オレの隣の椅子に腰をおろした。
「こんな場所を指定したのは君の趣味かな? 電脳の影さん」
「あら……驚かないんですね。私があなたの身元を知っていたのに」
「あんたなら当然だろ」
「あの後あなたのことを調べさせていただきました」
「で?」
「…………配信チャンネル『はるかチャンネル』の配信者ハルカであり、配信事務所『遥かなるミライ』代表。煌月高等学校一年二組。出席番号――」
などと、彼女はオレの個人情報をつらつらとあげてくる。
それはオレの家族や鈴木のおっさん、鈴木真白、小早川沙月との関係なども入っていた。
「よく調べてあるな」
いうと水無月璃音は呆れたようなため息をついた。
「これでも驚かないんですね」
「驚くほどのことじゃないからなぁ」
「……私ばかり驚かされてしまって不公平ですね。あなたが私のネット上の呼ばれ方を知っているのも驚きました。というか、昨日のライブの精霊の襲撃もあなたが行ったんじゃないかと疑っていましたし」
「来たってことは疑いは晴れたのかな」
「八割くらいは」
「――八割かぁ」
「それよりも驚いたのは、風見さん。あなたの変貌ですね」
思いがけない言葉にオレは反応する。
「変貌?」
「風見さん。六月二十日の夜、何がありました?」
六月二十日の夜。それはオレが前回の世界線から今回の世界線に来たときだ。
――どうやって、日付まで?
「ふふ。ようやく驚いてくれましたね」
「いったい、どうやって調べてるんだ……」
彼女は氷のようなガラスのような涼やかな声で不満を口にした。
「それはこっちのセリフですよ。まさか調べて何も出てこないどころか、驚かされるなんて、初めての経験です」
「……そうか」
「本当に驚いたんですよ? 何の経験もないはずのごく普通の高校生だったはずなのに。いえ、ごく普通の高校生でした。六月十九日までは。でも、六月二十日からまるで別人です」
「ふぅん……?」
「Youtudeチャンネルの設立。それから動画撮影投稿。あなたは、このスピードでの行動ができる人間ではありませんでした。それから破竹の勢いでチャンネル登録者を増やしますし、ゴブリンの特殊個体まで、討伐する。明らかにレベルが足りず力も足りず武器も壊れていた。なのにあなたは、成し遂げた」
「……大したことじゃない」
本当に大したことじゃない。
「それから明らかに格上の悪徳探索者との戦い。相手は格上だというのに、武器を渡し、挙句の果てにレベルの下がるアクセサリーまでつけて戦いました。絶対に死にますよね、これ。でもあなたは生き延びた」
オレは黙って先を促す。
「次は精霊召喚です。あんな精霊を召喚することは、相当な精霊術師でもできません。なのにあなたは、精霊術を学んだ形跡すらないのに、一度で成功させている。異常です。異常ですよこんなの」
水無月璃音の声が熱を帯びていく。
「それから、極めつけは、あの決闘です。あなたは――。あなたは、言葉だけで精霊を従わせて見せた。それも初級じゃない。中級です。しかも、他人の支配下の精霊を――強制的に従わせた。ありえない。本当に、ありえない。この世界のどこでも、こんなことは起こってない。誰も起こせない! 一つ起こせただけで奇跡でしょう! そんなことを、四つもあなたはこなしています!」
「あなたはいったいなんなのですか?」
「CGとかかもしれないだろ?」
全くそんなことはないが、つい尋ねてみる。
すると水無月璃音は鼻で笑う。
「あり得ません。私がそれに気づかないことがあり得ないです。もし私を誤魔化せるのなら、その一点だけを以って異常と断言できます」
彼女は自信をもってハッキリと言った。
「あなたもギフト持ちですか?」
「……ギフト、か。違うな」
ギフト――それは天から与えられた才能だ。探索者として鍛えると、ごく稀に奇跡的に手に入るスキルのようなものだ。
固有の特殊能力。
オレも前回の世界線では持っていたものだ。
この世界に来た時に失われてしまったもの。
オレは以前影淵の双像というギフトを持っていた。
それによって他人そっくりに姿を変え、ゴースト配信を行っていたのだ。
「でも、ギフトという存在は知っているんですね。一般にはほとんど知られていないはずなのに」
「たまたま、な」
「知るはずのないものを知り、為せるはずもないことを為す。――あなたは何者ですか? ああ、いえ。答えないでください。面白くないから」
水無月璃音は口元に手を当て、考え込む。
黙ったまましばらく時間が経過していく。
映画の内容も進んでいった。
交通事故を起こした主人公の女性は記憶喪失となり、失われた記憶を取り戻しに行く。
「……あのさ。オレは今日、あんたを脅しにきたんだけど?」
「そうなんですか?」
「…………『お前の正体を知っている』からの呼び出して、脅迫以外の何かがあるとでも?」
「そんなつもりはないでしょう?」
わかっていますよ、とばかりの声にオレは顔をしかめる。
「それにしても、暑いな」
空調の利いていない廃墟の映画館だ。なぜか映画の設備は動き、熱を発している。
「ああ、そうですね」
水無月璃音は言って、指を鳴らした。
すると、空調が動き始める音が、映画の音声に交じって聞こえた。
探索者の耳でなければ聞こえないであろうかすかな音だ。
彼女の指の動きとともに、わずかな魔素の動きをとらえる。
それは雷に類似する力に思えた。
「電気、か……?」
「ああ、それは知らないんですね。ふむふむ」
オレは話題を変えて口を開いた。
「…………協力を要請したい」
断られることは覚悟している。断られたら何とか説得して、協力してもらわなければならない。
「いいですよ」
思った以上にあっさり快諾され、オレはつい尋ね返す。
「いいのか?」
水無月璃音は片目をつむり、桜色の唇の前で人差し指を立てた。
「その代わり、あなたの秘密を当てる権利をください」
「……つまり?」
「あなたがなぜ変わったのかなど、私が推測をあなたに言います。そのとき当たっていたら、否定しないでほしいのです」
オレは警戒をにじませた空気を出す。すると、水無月璃音は言った。
「ああ、私が暴露しないか心配なんですか? 決して暴露しないと約束いたしましょう」
「ふむ……」
「それでもご心配なら――もし私が約束を違えたならば、あなたのその力でこの胴と首を切り離してくれても構いませんよ」
水無月璃音は片手チョップで自分の首をトンと叩き、何でもない口調で言った。
「まぁ、それなら……いいかな」
「ではまず未来予知のギフト――いえ、これでは説明がつきませんね。Youtudeチャンネル設立辺りは説明がつきますが、技能が高いことが説明できません」
「ちがうなぁ……」
「ですよねぇ。じゃあ精霊界に誘拐されて鍛えられたとか――もっと単純に高位精霊の取り換え子とか?」
あとは過去の英雄の生まれ変わりだとか、宇宙人の子孫だなんてものもあった。
実はオレがダンジョンの神だとか、人型ボスモンスターだとか。
凄腕探索者の幽霊がついているとか。
「うーん。まぁ、ちょっと考えてみます。久々に楽しいので」
「そうなのか?」
「ええ。知ろうと思えば大抵のことがわかってしまうので、知りたくても知れないという状況が久々なんですよね」
「それで協力を頼みたいことなんだが、いいか?」
「映画がいいところなんで、もう少々待ってくださいね。よかったら一緒に楽しんでくれたら嬉しいです」
そう言って水無月璃音は映画の画面をじっと見る。
映画はハリウッドの裏側の暗い部分が映されていた。
そして映画の終盤では、夢と現実、幻想と事実、それらの境界が混じり合っていく。
「いい映画ですよね。デイヴィッド・リンチのマルホランド・ドライブ。私こういうの好きなんです」
「へえ」
「人に表と裏の顔があって、登場人物の感情がこう、ぐちゃぐちゃにかき乱されていくのが好きなんですよ」
「……なるほどな」
水無月璃音が咳払いをする。
「それで、風見さん。私にどのような協力を望むのですか?」
「…………以前アメリカのニューオーリンズで起きた事件を知っているか?」
唐突な話の変化にか、水無月璃音は眉をひそめた。
ニューオーリンズ。
この都市は毎年開催される「マルディグラ」というカーニバルで有名だった。
街全体がパレードとフェスティバルで賑わっていた。
また、ヴードゥー教や超常現象に関する伝承が豊富な都市だ。
そこが――壊滅した。
「街の精霊界化ですか……」
ニューオーリンズは数年前に消滅した。
街のあらゆるものに精霊がとりつき、人間を襲った。
さらに力ある精霊は人間を依り代として顕現した。
そしてそれらの精霊は人間を吸収し、干からびさせた。
干からびた人間には低級精霊がとりつき、顕現した。
それは地獄さながらであり、ダンジョン化後の最も大きな事件の一つである。
現在も、ニューオーリンズは人間の世界ではなく、精霊界として存在し、人間を排除している。
「それが横浜で起きる」
「…………ふむ。どうしてそれがわかるんです?」
何と言おうかオレが迷っていると、水無月璃音は手でオレの口をふさぐようなしぐさをする。
「ああ、言わないでください。風見さんがなぜ特殊なのか、私が当てたいので。こう、答えがわからないようにぼかして教えてください。あ、それでいて私が納得するような答えでお願いします」
――くっそ面倒なこと言い出したなこいつ。
「――暴露したりするなよ? オレは限定的な未来予知ができる」
「なるほど、なるほど。そういうギフトはあるかもしれないですね。いいでしょう。半信半疑ではありますけど、風見さんの言葉を信じている前提で動きましょう」
水無月璃音は座席から身を乗り出し、オレの目を覗き込む。
彼女のどこか甘い匂いが鼻をつく。
もう額がつきそうなほどに近い。
五センチの距離から、彼女はオレの内面まで見通そうとするかのように、覗き込んでいた。
「――で、何が目的です? 私が見たところ、あなた善意でそんなことする人間じゃないですよね?」
「オレが横浜を救おうと思って」
「それは手段であって目的じゃないですよね?」
「オレが横浜を救って、配信してバズろうと思って」
オレが言うと水無月璃音は目を丸くしてから、大笑いをした。
「あは、あははは。あはははは。そうなんですか。はー……なるほど。ちょっとわかりました。本気でお手伝いしましょうか」
「助かる」
「では、この件について知りうる限りの情報を私にください。それを前提で私は動きましょう」
「――というか、水無月璃音さんこそどうやって情報を集めてるんだ? 言いにくかったら、いいんだが。オレも隠しているし」
「教えてもいいですけど、誰にも言わないでくれます?」
「約束しよう」
別にオレは暴露系配信者じゃないしな。言いふらす趣味もない。
「私のギフトは雷系なんです。自分を電気に変えることができます」
言って、水無月璃音が腕をあげる。
すると腕はバチバチッと激しい音を立てて、雷を発する。
違う。
腕そのものが雷へと変化していた。
「私の能力で、自分を電気信号に変えてインターネット上を移動することができます。これにより、普通の人々がアクセスできない深い部分の情報まで覗き見ることができるんですね」
それは――。
「…………なんでも分かるんだな」
オレはうめくように言った。
「なんでもは分からないですよ。ネットに書いてあることだけです」
それは聞きようによってはとても情けないセリフだった。
「……なるほど」
「ネットに書いてあるなら、それがラインでもスカイプでもICQでもかつてのIRCでも拾ってこれますよ。少し手間ですけど大企業のイントラネットでもペンタゴンのセキュリティの中でも、そこらへんの監視カメラの中でも入って持ってきますよ」
それは……。
この社会においてすべての情報を掌握しているのと同義だった。
オレは持ちうる限りの情報を水無月璃音に共有した。
横浜が精霊界化する日時――多少前後はあるかもしれないが。
精霊が顕現していくこと。
人間が喰らわれていくこと。
規模が横浜市のほぼ全域であること。
――そして、おそらく人為的なものであるということ。
それらを話し終えると、璃音はこう言った。
「じゃあ、風見さんのこと、遥さんって呼んでもいいですか?」
「どうして急に」
「しばらくチームですよね? 私の事も璃音って呼んでください」
「ああ。わかったよ。――璃音」
「ただ、一つだけお願いが……」
言いよどむ水無月璃音に先を促す。
すると彼女は言った。
「もし私が、あなたを怒らせるような何かをしちゃった場合ですね。敵対する前に一言教えてください。なんとか、直しますので」
それを聞いてオレは笑った。
「それはこっちのセリフだ。ネット最強の暴露屋が敵に回ったら、少し面倒そうだ」
「……少し面倒くらいで、すんじゃうんですねえ……。絶対ぶつかったら私のほうがダメージ大きいので、争いは勘弁してください」
あはは、と水無月璃音が笑う。
「それに、私にとっても他人事ではないんですよね。もうすぐパフィシコ横浜でライブがありますし。ちょうど遥さんが言った日、なんですよねぇ……」
オレは不思議に思って眉をひそめる。
――水無月璃音――電脳の影は、それなら生きているのがおかしい。
横浜でライブがあるなら死んでいた可能性が高いというのに。
そして思い至る。
ああ、そうか。
もしかしたら水無月璃音はシークレットライブで怪我をしたのかもしれない。
そのせいで、パフィシコ横浜のライブには出れなかったのかもしれない。
――ということは、あのストーカーに刺されるはずだったアイドルも、横浜には参加せずに済んだかもしれない。
――ああ。オレの影響で死なせるわけには、いかないよなぁ。
たとえあのアイドルが死んでも誰にも責められることはないだろう。
しかし、何も過失のない人間を自分が関わったせいで死なせるのは、かなり嫌だった。
「ああ、そうだ。映画、面白かったよ」
オレは最後にそう言って水無月璃音と別れた。
水無月璃音は少し驚いたように動きを止めてから、嬉しそうに笑った。
「そうですか。それはよかったです」
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