038 シークレットライブ『水面の月夜』
今回協力関係を結ぼうとしている人物。
その人は今はまだ情報屋ではない。
現在はただの暴露屋だ、
暴露系配信者ではない。
彼らは他人の不幸を食い物にすることで、注目されて自己実現をしたり、金銭に変換している。
何かの目的のために動く人間には、匂いがする。
敵対組織を陥れるとか、なにがしかの利権を得るとか、目的を持って行動すると何かしらの匂いがする。
しかし、電脳の影はただの暴露屋であり、そんな匂いは感じられない。
愉快犯のように、ネット上で事実を暴露していくだけだ。
電脳の影。
今も未来もその名前を聞けば、誰もが電脳の影の手にかけられた暴露を思い出すだろう。
政治家の裏の取引、企業の隠された不正、そしてエンターテインメント業界の秘密の一部まで、手が及ばないところはなかった。
一度暴露の狙いに捉えられたものは、その真実から逃れることはできなかった。
輝かしい実績の一方、未来でも電脳の影の持っていた情報源や方法については、多くの謎が包まれていた。
なぜ電脳の影はこれほどまでに深く暗部に踏み込むことができるのか、その手法やモチベーションは未来でも議論の的となっていた。
電脳の影が様々な事象を陰から操作していたとされる。
その正確な姿や素顔を知る者はほとんどいない。
否――いなかった。
あるとき電脳の影はその素顔を暴かれてしまう。
あまりにも大きな闇に手を出してしまったのだ。
暴露した真実は、虚偽や捏造とされてしまう。
それによって暴露屋から情報屋へと転身するのだ。
しかし素顔が暴かれたとはいえ、一つだけ確かなことがある。
電脳の影の情報収集と分析の腕前は、業界随一とも評されるほどのものであるということだ。
「いったいどうやって情報を集めているのか?」と多くの人が囁く中、電脳の影の真意は、未来でも多くの謎に包まれていた。
しかし電脳の影の行動や結果を見れば、彼がもたらした影響の大きさや社会へのインパクトは計り知れないものがあることは間違いなかった。
まず最初に電脳の影は、芸能界のいじめ事件を暴露した。
若手アイドルグループの事務所からの過度なプレッシャー、先輩からのハラスメントを受けていたとのことだ。
次に大手食品メーカーの商品不正表示――原産地と消費期限の偽装だ。
人気TV番組のスポンサー裏取引――特定のスポンサーから資金を受け取り、そのスポンサーの商品やサービスを番組内で好意的に紹介。
IT企業の無許可データマイニングとその販売――国際的に有名な大手IT企業が無許可でプライベートデータを収集・販売していたこと。
映画賞の不正投票――裏金により受賞作が決まっていたこと。
音楽プロデューサーのチャリティー詐欺――恵まれない子どもたちへの募金はすべて横領と出演者のギャラになっていた。
他にもとある歌手が厳しい治療を受けながら公の場に出ていたことを暴露。ファンは心配しつつも彼を称賛した。だが歌手はプライバシーを侵害されたと感じ、しばしの活動停止。
大手製薬会社の薬物実験隠ぺい、電力会社の安全性報告書の改ざん。
若手起業家が大学時代に大量の盗作行為をしていたことを暴露。それにより彼の事業の信頼性が低下。投資家や取引先からの信用を失って、業績低迷。
結果がいいこともあれば悪いこともあった。もちろんその両方のことも。
ただ一つ言えることは、電脳の影は真実しか公表しない。
その一点だけだった。
オレは水無月璃音の単独シークレットライブ『水面の月夜』に参加しながら、電脳の影と顔を合わせることを考えていた。
すると、マスクと帽子で顔のほとんどを隠した太めの男が後ろからぶつかってくる。
「あ、すみませんでする」
「大丈夫ですよ。お気になさらず」
その様子を、髪の毛を後ろになでつけた男が見ていた。スーツ姿に眼鏡で、いかにも仕事のできそうな男といった風情だった。
オレが視線を向けると、すぐに男は視線をそらした。
――なんだ?
と思っていると、鐘の音が聞こえた。
神社から鐘の音が鳴り、ライブの開始を知らせてきた。
ライブの始まる時間になり、オレは真ん中あたりに用意された席に座った。
――ライブが始まる。
古木があり、花が咲き乱れる泉があった。
青いライトで幻想的に照らされる。
静かなインストゥルメンタルの曲が流れる。
一瞬、ライトが強く灯ってから消える。
青と銀の衣装に身を包んだ水無月璃音が、月光を浴び背を向けて立っていた。
泉の上にあるのは透明なステージだった。
彼女はまるで月明かりの下で踊る水の妖精のような美しさだった。
先日の中級水精霊とは比較にならないほど、彼女の美しさは強烈に目を奪う。
先ほどぶつかったオタクが近くに座っていた。
彼は璃音が出てくると、「リオネーーーーーー!」と大声で吠えた。
璃音の肌は白く、透明感があり、まるで月の光に照らされた夜の水面のようにきらきらと輝いていた。
彼女の深い藍色の瞳には、まるで無限の宇宙や夜の秘密が隠されているかのような深みがあった。
長く滑らかな黒髪は、水面に触れる波のように揺れ動き、その先には銀色のハイライトがちりばめられている。
彼女の顔立ちは繊細でありながらも、力強さを秘めていた。
高い鼻梁、ほんのりとピンク色に染まった唇。
彼女の首元や耳には月や星、水滴をモチーフにした銀のアクセサリーがきらめき、彼女の優雅さを一層引き立てる。
かすかに、水の音や風の音だけが鳴り響く中、水無月璃音が口を開いた。
「こんばんは、水面に映る月の中、夜の秘密の世界へようこそ。私は水無月璃音。今宵、月の光と共に、私の音楽の世界を一緒に旅していただけますか?」
その言葉の後、バックダンサーが水の精霊や妖精として現れ、ダンスを舞う。
それだけでも見ごたえはあった。
しかし、次の瞬間放たれた音に心は奪われる。
歌声だ。
水無月璃音の歌声は、まるで夜空に輝く月光。
もしくは内部に世界が広がるかのような透明な水晶を思わせる。
彼女が歌う度、その声は清涼感を放ち、聴く者の心を涼やかに洗い流す清冷な泉のように感じられる。
その歌声は、深い森の中の小さな池に映る月のように、静寂と落ち着きを感じさせた。
璃音が高音に移行するとき、その音色は、細やかに磨かれた水晶が太陽の光に照らされてキラキラと輝く瞬間を彷彿とさせる。
その透明感ある声質は、まるで霧に包まれた朝の風景のようだ。
どこまでも純粋でありながらも少しミステリアス。
低音になると、その声は深い水底のように静かで落ち着いた雰囲気を持ち、それが璃音の多面的な魅力を引き立てている。
彼女が歌うメロディは、水面に触れる風や、夜の闇の中でひときわ明るく輝く月の光のように、聴く者の心を優しく包み込む。
その歌声の中には、深い感情や物語性が込められており、それが璃音の歌を特別なものとしていた。
ファンの歓声が上がる。
――この歌は確かに、熱狂しても仕方ないものがあるな。
それからいくつもの曲が歌われ、ピアノの弾き語りなどもあった。
水無月璃音も、バックダンサーも、まるで水の精霊のようだった。
だから、誰も気づかなかった。
本物の水の精霊が、ステージ上に現れたことに。
中級水精霊だ。
『sagdsagsdgrrrfeearrrghhh』
中級水精霊は、蒼獅が呼び出したときのようには喋らない。
言葉にならない声を出す。
目は赤く染まり、顔もぐずぐずに崩れている。
『sdsfawaaggrraggggghhharrrr』
「逃げろ!」
オレは叫びながらステージに駆け寄ろうとした。
しかし、近くのファンが迷惑そうな顔をして、邪魔をしてくる。
「何してるでするか!?」
無視。
オレはファンの間を縫うようにして駆け寄る。
椅子を踏み台にして跳ぶ。
古木の枝をつかみ、ファンたちの上を飛び越え、ステージにたどり着く。
ステージ上では中級水精霊が水球を放っていた。
直撃したバックダンサーが撥ねられたように吹き飛ぶ。
そこでようやく悲鳴が上がった。
今の目の前で起きていることが演出でないことに気づいたのだ。
中級水精霊は狂っていた。
それは、そうだ。
ダンジョンの外では基本的に精霊は存在できない。
誰か人間、もしくは生物と契約し、意志力を分けてもらうことにより存在することが可能になっている。
それほどに精霊界と、この現世は相いれない。
その二点がようやく交じり合えるのが幽世なのだ。
狂った精霊は、意志力を求めて、近くの人間を手あたり次第捕食する。
中級水精霊は次の目標を水無月璃音に定めたようだ。
さらに、ステージの下の水からぽこぽこと中級水精霊が生成されていく。
水を依り代に顕現してるのだ。
水無月璃音に中級水精霊が襲い掛かる。
水でできた手を精一杯広げ、抱きしめ喰らおうとする。
オレは精霊と水無月璃音の間に躍り出た。
「逃げろ!」
オレはマジックバッグから日本刀を取り出し、抜き打ちの一撃を振るう。
日本刀は鈴木のおっさんが打ったものだ。
まだまだ鍛冶聖は遠いとはいえ、決して悪いものではない。
鋭い切れ味。
中級水精霊の身体が斜めに切り離され、肩から腰までがズレて地面に落ちる。
水無月璃音がぱくぱくと声にならない声を出す。
オレは「すまない」と言って水無月璃音の手からマイクを奪う。
「オレは探索者だ! 今ここで、テロが起こっている! なんとかするから、早く逃げろ!」
言って、背後に顕現したばかりの中級水精霊を、振り向きもせずに切って捨てる。
共演者であるバックダンサーやバックバンドなどは何とか逃げたようだ。
観客は逃げるものや、スマホで動画を撮る者が現れている。
しかし水無月璃音は逃げられていない。
精霊は意志力を奪おうと近寄ってきている。
ならば意志力が高いものが狙われるのは当然だった。
一番精霊に群がられているのはオレで、次が水無月璃音だった。
オレは、オレに向かってゾンビさながらに迫ってくる中級水精霊を一撃で複数まとめて切り捨てる。
そして、水無月璃音を抱えた。
「きゃっ」
「舌、噛むなよ」
跳ぶ。
ついでに近くの中級水精霊も切って捨てる。
「すげえ……何者だ、あいつ」
「……なんか見たことある気がする」
「中級水精霊をあんな簡単に……」
などといっている観客の近くに、水の雫のような低級水精霊が顕現する。
「う、うわああああ」
オレは日本刀を上に放り投げ、その間に片手で石を拾い、投擲。
魔素を込めた石は夜の空気を鋭く切り裂き、一直線。
低級水精霊がはじけ飛んだ。
上から落下してくる日本刀を片手でキャッチ。
腕の中の水無月璃音が口を開く。
「君は、いったい……」
そうこうしているうちに、警備員の助力もあり、狂った精霊たちを討伐し終える。
オレは水無月璃音を地面におろす。
「すみません……助かりました。感謝します」
さて。
――交渉の第一弾、開始だ。
オレは礼を言う水無月璃音の耳元に囁いた。
「君に頼みがある。サイバーシャドウ」
水無月璃音の目が一瞬大きく見開かれ、息をのむ。
彼女の目には明らかな驚きが滲む。
「どこで…?」
と彼女が小さな声で言葉を返す。
彼女はオレの目をじっと探るように見ていた。
「ここに連絡をくれ。バラされたくないだろう?」
水無月璃音は美しく――しかし冷たい表情でオレを見ていた。
電脳の影。
手に入るはずのない情報すら入手することから、その名がつけられた。
彼はどこにでもいるし、全てを見ている。
対策は暴露されて困ることをしないこと、なんて言われていた。
その正体は、人気アイドルである水無月璃音だ。
そのうちに水無月璃音は電脳の影であることがバレ、彼女は芸能界を追われる。
当然だ。
芸能界の大御所も、電脳の影に暴露されて痛手を受けている。
それどころか電脳の影が敵に回した闇から常に命を狙われていたはずだ。
そして電脳の影こと水無月璃音は、情報屋のトップ層になった。
未来において彼女がアイドルを続けたかったのか、それとも情報屋として生きていたいのかはわからない。
だけどオレには今、彼女が必要だった。
――しかし、恵まれた環境のはずなのに、なんでこんなことをしちゃっているのか。
――歌は上手いし、パフォーマンスも素晴らしい。すごいアイドルだと思うんだけどな。
オレは後日、水無月璃音と対面することとなった。
◆リザルト
◇ハルカちゃんねる登録者微増 279,456人→291,456人
※水無月璃音シークレットライブで精霊を倒した探索者が、ハルカではないか? と話題になったため。
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