133 事務所ゲットだぜ!
オレは事務所を借りた。
名前だけの事務所ではない。
ちゃんと、実際に存在する事務所である。
場所は東京都新宿エリア。
契約などは全部、前世でオレと同じブラック事務所で消耗していた中村京平に行なってもらった。
数週間前に、まだブラック事務所に所属する前の中村を、SNSで一本釣りで引き抜いていたのだ。
ようやく彼にも仕事場を与えることができた。
といっても、そのうち彼も来るだろう。
「フフフ……」
そういったわけでオレは今、無人のオフィススペースにいる。
アメリカ製高級椅子ループチェアに座り、ぐるりと一回転した。
「広い……広いぞ……!」
前世のブラック事務所はひどいありさまだった。
儲けているというのに、一部のエース社員以外の扱いはひどすぎた。
一般社員は狭くて窮屈なデスクで、動くたびに周りを気にしなければならなかったくらいだ。
今のように椅子に座ってくるくる回ることなどできるはずもない。
「さらに……! 窓からさす太陽の光……!」
前世は窓のない地下室のようなオフィスで常に蛍光灯の下だった。
だが!
今は大きな窓から自然光が差し込む。新宿の街並みや青空を眺めながら仕事ができるのだ!
「最新のパソコン……! 複数のモニター!」
都会にある、こじゃれたオフィスを目指したのだ。
監獄のようなオフィスはもう嫌だ!
休憩スペースも作ったし、社員用に業務ビールディスペンサーも用意した(未成年なので使えないが)。
トレーニングのできるフィットネスコーナーも用意したし、マッサージチェアのあるリラクゼーションルームも用意した。
ビリヤードなどのあるゲームコーナーやコーヒーマシンのあるカフェスペースもだ。
「……最高だ……。最高のオフィスだ……」
さらにチャンネル登録者数も増えた。
現在は70万人近くになっている。
2013年時点で70万といえば、相当なものだ。この時点で100万を超える個人は存在しない。
2023年に登録者数千万に届く人ですら、現在は80万くらいなのだ。
さらに最高なことは、初めて配信業の収益が手に入った。
Youtudeで収益化はとっくにできているが、その収入がこの前初めて振り込まれたのだ。
大した額ではない。
まだ配信者を始めたばかりである六月分の収入だからだ。
だが、初めて手にした配信の収入である。
6月のパフォーマンスは悪くなかった。
オレは6月に動画を11本投稿した。そして平均視聴回数は95,254回。視聴回数は今でも伸び続けているため、来月はさらなる収入になりそうだった。
6月の収入は$1,571.69。
ドル円レートは約98円。
そのため日本円換算をすると15万4025円だ。
正直配信で儲けているというより、ダンジョン探索で儲けている額のほうが大きい。
スパチャがあればいいのだが、現在はまだスパチャ機能がないのだ。
「…………自分のために、配信の収益をもらえたの、初めてだな……」
そのとき、オフィスの扉の先に人の気配を感じた。
よく見知った人の気配だ。
「ハルカくーん。オフィス開きおめでとうございまーす!」
扉がガチャリと開けられ、プール開きのようなニュアンスで祝辞を言い渡す真白さんが入ってきた。
白髪の少女だ。見た目は小学生くらいに見えるが、実際は年上だ。
オレは椅子の回転を止め、真白さんのほうを見る。
「ありがとう。真白さん」
真白さんは手で目をごしごしとこすってから、もう一度オレを見た。
「もしかして、ハルカくん……今、回ってました?」
「……まあ、うん。ちょっと浮かれてた」
正直少し浮かれすぎたかもしれない。
初めて自分で自分のために配信で稼げたこと。
以前とまったく違うオフィスを使えること。
様々な要因はあった。
だが、少し反省する。
「……子どもみたいだったかもしれないな。忘れてくれ。真白さん」
オレが言うと真白さんはうつむいた。
「あ、ああ、ああ……」
などと謎のつぶやきをしている。
「ハルきゅ……かくん!」
はるきゅかくん……?
「えっと」
真白さんが駆け寄ってくる。
「ハルカくん! がんばりましたもんね……! こんな、すごいですよ! ふつうはできません! うまくいったときは、喜びましょう! お姉ちゃんがほめてあげます!」
勢い良く近づいてきた真白さんは、オレの頭に両手をあてて、わしゃわしゃっとした。
「えらいえらいえらいよ! えらすぎます! お姉ちゃんは鼻が高いです!」
そう言って真白さんは自分のことのように喜んでくれた。
椅子に座った状態だと、目線がほとんど同じくらいになる。
ほんの少しだけ低い位置から、真白さんがまっすぐにオレの目を見た。
小さい顔だ。
きれいな目をしている。
幼い顔に見えるのに、強い意志を宿した瞳をしている。
真白さんは両腕とその薄い胸元でオレの頭を抱え込み、優しくなでた。
「ハルカくんは、すごいですよ。すごい、がんばったし、とっても偉いです」
「…………ああ」
少し、まずかった。
こんなふうに直球でほめられることなんて、あっただろうか。
記憶を探る限り、思い出せない。
「…………そうかな」
オレの冷静な頭は判断する。
オレは他の人が成し遂げることのできないことをしたと。
賞賛されるに値することをしたはずだ、と。
しかし感情がついてこない。
オレなんかにそんなことができるのか?
できたのか?
そんなふうに感じてしまう。
オレが何かを成し遂げたという実感があまり湧かないのだ。
自分がそれほどすごい人間だと気持ちが納得しない。
だが、真白さんは言う。
「ハルカくんは、本当にすごいですよ。本当ですよ」
真白さんの優しい言葉が心に染み入るようだ。
「お姉ちゃんの自慢のハルカくんですよ」
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、真白さんは一体どのポジションのつもりなんだろうと思った。
だが、それは口に出さないでおいた。
真白さんの胸の内の温かさが、オレにも伝わる気がしたから。
それはオレにとって縁遠いものに思えた。
その後、オレは真白さんと出来立てのオフィスで遊んだ。
ゲームコーナーでダーツをしたり(オレも真白さんも器用さがあがりすぎて、真ん中にしか刺さらなかった)
フィットネスコーナーでトレーニングをしたり(オレも真白さんも基礎能力が上がりすぎて、筋トレマシンは総じて負荷が足りなかった)
ビールディスペンサーでビールを飲もうとして真白さんに怒られたり。
そうこうしていると、沙月さんや、用事を済ませてからきたという鉄浄さんがやってきた。
それから璃音が開店祝い用のドデカいフラワースタンドを運ばせてきたり、上総小早川兄弟までやってきたり、陰も遊びに来たりした。
ちなみに事務営業などなんでも屋の中村さんもやってきて、濃すぎるメンツを見て感動していたようだった。
この世界線に来てから、一番楽しい日だったと胸を張って言える、そんな日だった。