二つの世界
洞窟、入口近くにて。
森を一望できるここは、見張りにはもってこいの場所だ。入口もここだけだから、敵の侵入を防ぐ上でも重要な防御地点となるだろう。
時々、魔物がここまでやってくる。といっても集団から外れた一体……もしくは二体といった個体数だ。その程度であればアリス以外の全員が対処できる。
「二人きりで話をするの、久々だね。来栖、あれからいろいろあって大変だったんだよね」
「ああ、本当にいろいろとあったよ。軽く話はしたけど、まだまだ言い足りないことも多かったと思う」
「ごめんね、私のせいだよね。私が来栖を殺しちゃったから……」
「ああ、違うんだ。別に責めるつもりはなかったんだ。本当に、瑠奈に殺された話を忘れるくらいにいろいろあったってことさ」
「もう、何年もこの世界で過ごしてるんだよね? もう、元の世界のこと忘れちゃった?」
「それは……」
元の世界、か。
瑠奈がそう呼ぶ世界とは、もちろん俺が前世において生まれ、育ち、瑠奈や大河たちと育った地球の日本という国の話。俺にとって、遠き過去の話だった。
「忘れるわけないだろ。でも、遠い昔の記憶になってしまったことは間違いないかな。俺にとって……この世界での人生は長すぎたよ」
「来栖は、もう元の世界のことを忘れちゃったの? この世界で一生を過ごすつもりなの?」
なるほど。
どうやら、これが一番話したかった内容らしい。
「……瑠奈は、帰りたいんだよな?」
「うん、そう。私だけじゃなくて、きっと大河だって他のクラスメイトだってそう思ってる。分かるでしょ」
「もちろん、分かってるさ」
俺とは違い、クラスメイトたちは帰るべき場所がある。ここにいる俺はクラス転移した俺ではなく、向こうの世界で未来を歩み死んでしまった俺だ。そもそもの前提条件が違う。
俺だって元の世界……すなわち地球に全く未練がないとは言わない。スマホ、コンビニ、電車、ゲーム、そしてあそこにいたはずの家族は今何をしているのだろうか? 俺の死を悲しんでいるのだろうか? それを完全に忘れてしまうほど、俺は薄情で無感動な人間じゃないと自覚している。
だが、はっきり言おう。俺にとってはこの世界こそが人生を過ごす場所であり、元の世界は……もはや過ぎ去りし過去なのだと。一度帰りたい、久しぶりに様子を見たいと思うことも多いが、俺はこの世界が……自分の住むべき場所だと考えている。
瑠奈たちと俺は……違う。
大河は正義感から多少この世界に未練があるのかもしれないが、最終的には向こうの世界に帰りたいと思っているはずだ。それはあいつらが突然この世界にやってきたからであり、向こうでは行方不明みたいな扱いになっているかもしれないから。
ごく普通に死んで転生を果たした俺とは、根本的に違うのだ。
そう……だな。
軽く自分のいきさつは話した。だが瑠奈も、本当の意味で俺と言う存在を理解できていないのかもしれない。ここは……少し真剣に話を進める必要がある。
昔、俺は瑠奈のことが好きだった。俺たちは付き合っていた。そんな彼女に突き放すようなことを言うのは気が引けるが、俺たちは……もう向き合わなければいけないと思う。
「瑠奈、落ち着いて……聞いて欲しいことがあるんだ」
「うん」
「俺はさ、たぶんお前たちの知ってる来栖じゃないんだ。俺の記憶の中では高校を卒業して、大学に行って就職して、……そして死んだ。俺たちは大学で疎遠になってもう二度と会うことはなかった。それが俺だけの出来事なのか、それとも瑠奈や大河たちも通る未来なのか分からない。ともかく俺は一度向こうの世界で死んで、エルフとして第二の生を受けた」
「え……大学? 就職? 何の話をしてるの? 来栖」
瑠奈が戸惑っている。かつてたとえ話で似たような話をしたことはあったが、現実に体験した出来事としてこれを話すのは……初めてなのだから。
「瑠奈。俺はお前の知ってる俺じゃないんだ。エルフに転生したって言ったよな。あれは……元の世界で死んだからなんだ」
「で、でも……来栖は私たちが召喚された時、一緒に教室にいて……」
「そうだな、そうなんだよな。どういう理屈なのか分からない。その召喚で俺だけ取り残されてしまったのか、それとも別の世界に召喚されてしまったのか分からない。けど、はっきり言えることがある。俺はお前たちとは違う。向こうの世界で死んで……ここに来たんだ」
「そ……そんな……ことって……」
「俺は……この世界の住人だ。自分ではそう思ってる。だから……仮に元の世界に帰れたとしても、帰る気はない」
実際、もう転生前を含めて二十年近くこの世界で過ごしているんだ。瑠奈たちと違って、元の世界の俺は一度死んでるんだからな。今更強制的に帰還させられることは無いと思う。
「じゃあ、来栖は元の世界に帰るつもりはないの? もし、何か帰れる方法が見つかった時でも……ずっと……この世界で?」
「ああ、そのつもりだ。だからさ瑠奈、俺とお前は一緒にいられないんだ。これからどうなるかは分からないけど、もし、元の世界に帰れるようになったとしたら、俺たちは今度こそ別れることになる」
「……じゃあ、私もこの世界に戻る」
「瑠奈?」
それは、俺にとって全く予想していなかった言葉だった。
「どうして? 大河みたいに罪の意識で……ってわけじゃないよな?」
「私も、来栖のことが好きだから」
「で、でも俺は結婚して……」
「クリームヒルトさんは良くて私は駄目なの?」
「うっ」
それを言われてしまったら、俺は何も言えない。
「私、帰らないから。絶対に来栖のそばにいるから」
不意に、瑠奈が俺にキスをした。
それはあまりにも突然で、俺は、避けることも声をかけることもできなかった。
「る、瑠奈。お前っ!」
「アリスさんやクリームヒルトさんに話してくるね。私、止まらないから」
そう言って、立ち去っていく瑠奈。
「…………」
ほのかに、唇の残る暖かい感触。
焦りも戸惑いもあった。けど、触れ合って一番に抱いた感情は……やはり喜びだったんじゃないかと思う。
まだ高校生だったころの、懐かしい青春の恋の味がした。