魔王城跡にて
モルガ=モリル大森林西、山脈にて。
ここにはかつて魔王の住まう城、魔王城が存在していた。そこにいた魔王は無限に魔物を生み出し、配下の魔族たちとともに一大勢力としてこの地に君臨していた過去がある。
しかし数十年前、クリームヒルトとクリスの率いる亜人連合軍がこの地に侵攻し、魔王は倒された。さらにその後アルフレッドとの激戦を経て城は完全に崩壊。魔族も滅亡し、この地は無人の荒地として残されることとなった。
この地に人が訪れることはない。魔王が封印されているとされるこの地には、無人ではあるが多くの魔物たちが徘徊し、とてもではないが一般の人々が住むのには適せないからだ。
だが、少なからず例外というものが存在する。そのうちに一人が、魔王を継承したアルフレッドだった。
瓦礫に腰かけるアルフレッドは、周囲を魔物たちに囲まれている。その姿はまさしく魔王。かつてこの地を支配した魔族の王そのものだった。
「くくくっ、クリフ。お前は本当に運のない奴だなぁおい。お前はあの時死ぬべきだった。そうすれば地獄を見ることもなかっただろう。お前はいつも間に合わない。村を滅ぼされた時も、そして今の時代でも……な」
アルフレッドは左に目線を移す。
そこには女神がいた。
〈災厄〉だ。
「よぉ。もう少し顔を出してくれてもいいんじゃねーのか? 俺たち、仲間だろ?」
「…………」
「まあ、計画は滞りなく進んでるぜ。お前の、そして俺の望み通り、この世界を地獄に叩き落してやるよ」
「……予定通りに」
ふわり、と宙に浮いた〈災厄〉は、空気に溶けるようにしてその姿を消失させた。
気まぐれな女だ。だがそこがいい。
「お前の目は正しい。この俺を選んだその慧眼、存分に満足させてやろう。俺は世界を統べる神になる。そしてお前は、俺の隣に座る伴侶となるのだ。それがお前の望みなんだろう? すべてを知り、俺を助けた。ならば俺の意思も察しているはず」
そう。
アルフレッドは選ばれたのだ。女神たる〈災厄〉に。
だからこそあの瀕死の状況を生き延びることができた。だからこそこうしてクリフに復讐する機会を得た。だからこそこうして……魔王として何も思い通りに動かし、やがては世界すらもその手に収め……。
「…………」
そこまで考え、ふと、アルフレッドは気が付いた。
(いや……待てよ)
ここで、アルフレッドは猛烈な違和感を覚えた。
本当に……そうなのか?
本当に、自分の思い通りにすべてが回っていたのか?
確かに、現状何の不満もない。だからこそ自分自身は上機嫌なのだ。
だがそれはアルフレッドの感情に過ぎない。結果として、今、起こった出来事を冷静に俯瞰するとしよう。
かつて王女とともに魔王退治の冒険をした日々を。
クリフとの出会い、ナターシャを殺し裏切ったこと。
そして龍人族の里を襲撃したこと。
さらに亜人連合軍と戦い、そして破れてしまったこと。
そして今、こうして現代でクリフと再開を果たしたこと。
「…………」
文字を羅列するように、出来事を整理する。
そして、気が付いた。
クリフとの再戦、そしてその中断。それがあまりにも、できすぎたタイミングであることを。
(そう俺は、あそこでクリフを殺すつもりだった。もちろんそれが成せなくても何も問題はないが、少なくとも……それが俺の望みだった)
だが現実はそうならなかった。クリフは亜人の助力を得た。そしてそれを面倒だと思ったアルフレッドは、クリフに捨て台詞を残しその場を立ち去った。
これはアルフレッドの意思であり気まぐれだ。あそこで集団の亜人と戦うのはかなりの労力であり、これから起こす『地獄』に水を差すように感じだ。もちろん全力で当たれば勝つことはできただろう。だからこそ、これは気まぐれなのだ。
別に、自分が操られたというつもりはない。この感情は間違なくアルフレッド自身のもの。
だがその、タイミング。
〈災厄〉の助言に従い、アルフレッドはエルフのクリスを育て上げた。そして十五歳の結婚式にて、彼女の導きによってやってきた異世界人が村を滅ぼした。
それはアルフレッドの知るクリフが生まれるための儀式であり、必要なことだった。ここまでは良い。
だがその後が解せない。
クリフはアルフレッドのもとに現れた。その時、自分がアリスの手を引いていたのは〈災厄〉の助言によるものだった。二人の関係を考えるなら、彼が自分のもとを訪れるのは必然……なのだが。
過去に戻ったクリスは、〈災厄〉の精神汚染によって倒れていた。彼が復活するのは、それが治った後ということになる。
村の滅亡を目の当たりにしたクリスは、アルフレッドを見つけ出し戦いを始めた。しかしクリスを助けた亜人とて彼の正確な場所を知っていたわけではない。もしそうならすぐに合流して行動していたはずだ。つまり、亜人がクリスたちを見つけたのは、ある程度近づいていて戦闘の音が聞こえてきたから、と考えるのが妥当だろう。
もし、戦闘のタイミングが少しでもずれていれば結果は違っていた。より早くアルフレッドとクリフが出会っていれば、亜人の助力を得ることもなく決着がついていただろう。逆により遅く出会っていれば、今度はアルフレッド自身が亜人たちを見つけ、余計な邪魔をされぬよう再開の場所を変えていただろう。
そう、あまりにタイミングが良すぎるのだ。
〈災厄〉の精神汚染から目覚めたタイミング、アルフレッドを見つけたタイミング、戦闘を始めたタイミング、そして空に逃げて助力を得られやすい状況を作ったタイミング。
まるで、運命がクリフに味方しているかのような。
「…………」
改めて、過去の出来事を考える。
アルフレッドは〈災厄〉の助言を受け、亜人連合軍に戦いを挑んだ。確かにそれは『助言』ではあったが、結果としてそれはアルフレッド自身を死の淵に追いやった。クリフの復活を予言し、おそらくは未来を知る彼女にしては……あまりにも不自然ではないだろうか?
もっと早く亜人連合軍の存在を教えてくれれば、いくらでも手はあった。王女を介して軍を動かせたかもしれない、あるいは盟主となる龍人族の少女を殺していたかもしれない。
そう、それこそがアルフレッドにとって最も良い未来だったはずだ。確かに魔王の力を得られたことは僥倖だったが、かといってそれに至るまでの痛みと苦しみは決して許容できるものではない。
これは、本当にアルフレッドの望みか?
(〈災厄〉)は本当に俺の味方なのか? 俺の命を救ったもの、俺に助言をしたもの、俺のためというよりは……むしろ……あいつの……)
頭にちらつく、エルフの顔。まさか、いやそんなことはありえないと無理やり否定する。
(俺は〈災厄〉に選ばれた存在だっ! 〈災厄〉は俺を救った女神っ! そうであるはずだっ!)
ダンッ、と瓦礫を握りこぶしで叩き潰した。しかしそれでもなお苛立ちは発散しきれない。
あの男が……生きている限りは。
「俺が……お前を殺してやるよクリフ。そして転生も、転移もできねぇように人間も亜人も皆殺しだ。お前の魂は二度とこの世界に蘇らない。そして俺は……この世界の神となるっ!」
そう、何も問題はないのだ。
〈災厄〉にクリフを連れて来いと言われたわけではない。殺すも殺さぬも、アルフレッドの自由なのだから。
アルフレッドはゆっくりと立ち上がった。そしてその足元から、黒い霧がゆっくりと生まれ始める。
「さあ、行くぞ魔物どもっ! 地獄の始まりだっ! すべてを蹂躙し、この世界を魔王の地とするのだっ!」
足元から生まれる魔物。
そして、瓦礫の至るところから現れる、様々な魔物たち。
約四十年間、エルガ村の村長をしながらも時々外出し、魔王城に魔物を蓄えてきた。
その数、百万を超えるだろう。当然アルフレッド自身も数など数えていない。広大な魔王城跡と山脈に、潜ませておいた最強最大の軍勢だ。ごく少数は統制の輪から外れ、人里へと漏れてしまったようだが、それでもここにある数も強さも十分だ。
これをもって、すべてを潰す。
〈災厄〉の望むままに、人も、亜人も、この世界のすべてを踏みつぶす。そしてアルフレッドこそが、この地の神となり悠久の時を過ごすのだ。
これは、空前絶後の『災害』。人類を死に追いやる魔の手。
その恐るべき大望を抱き、今、アルフレッドの軍は進軍を開始したのだった。