亜人の国グランランド
俺たち三人は旅立つこととなった。
遺跡をから北東。モルガ=モリル大森林はかつて魔王が支配していた頃とは違い、ただ鬱蒼としているだけの森林地帯。猛獣などに出くわすことはあったが、移動自体はとてもスムーズにいった。
アルフレッドは自らを魔王だと称していたが……かつての惨状を知る亜人たちはこの森を見てその存在や有害性を信じ切れないかもしれないな。
〈グランランド〉首都、盟主の城にて。
「盟主殿、ご帰還っ!」
凛々しい声ととともに、巨大な扉が開かれる。その奥には煌びやかな美術品ともに国の重鎮と思われる人々が並んでいる。
これは、かなりまともな国だ。亜人が少し集まってできた田舎村とは違う、大パステラ王国に勝るとも劣らないほどの規模が……あるかもしれない。
ならば盟主としてこの亜人たちを率いるクリームヒルトは、まさしく王様と言っても差し支えないだろう。
かつて女王に謁見を果たした玉座の間を思いだす。ここの荘厳さは、向こうの部屋と引けを取らなかった。
「やれやれ、あまり堅苦しいのは嫌いなんだがな。クリスも楽にしてくれていいぞ。あいつら言っても聞かないんだ。あたしはこういう崇められるのは好きじゃない」
そう言って玉座にゆったりと腰かけるクリームヒルトは、どこにでもいる自室で過ごす一般人のようだった。しかし彼女の周囲に控えている亜人たちを見る限り、その権力は相当なものだろう。
楽にしてくれ、と言われたがとてもそんな気にはなれなかった。
「く……クリス。どうしよう……あたしたち、場違いじゃない?」
アリスが緊張のあまり俺の腕に抱きつきてきた。頼りにされて嬉しいような気もするが、俺だって緊張状態だ。とても気遣う余裕なんてなかった。
「あっ、あなた様はっ! 御目覚めになられたのですねっ!」
突然、一人の亜人が俺たちのもとへと駆け寄ってきた。
角を生やし赤みを帯びた肌を持つ亜人。オーガだ。白いひげと皺の寄った顔を見るに、それなりに年を重ねた亜人なのだろう。ここに立っているということは、偉い人なんだろうな。
巨体の彼はクリームヒルトではなく、俺の目の前にやってきた頭を下げた。
「おお……お久しぶりでございます。あの時は随分とお世話になりました。こうして無事、お会いできたことを本当に嬉しく思います」
「失礼だけど、あなたは?」
申し訳ないが、彼の顔には見覚えがなかった。もっとも、四十年近くの時を経て見た目が変わってしまっている可能性もあるのだが……。
「私は当時、オーガの一族を率いて魔王と戦った者です。今は当時の武功が評価され、こうして将軍の地位を拝命しております」
顔は覚えていないが、どうやら亜人連合軍で戦った仲間の一人らしい。あの悲惨な戦を生き残ったのか……。
「仲間は多く殺されてしまいましたが、こうして一人でも生き残りが増えるのは嬉しいことです。特にあなた様は盟主にとって特別な存在。今日は国を挙げての宴となることでしょう」
「……そ、そこまで歓迎してくれなくていい。俺は用事があってここに寄っただけなんだから……」
「あなた様はこの国の英雄なのです。盟主様とともにこの国の尊き存在。立ち寄ったというならそれだけでも十分です。どうかおくつろぎください」
「ははは……」
どうやら、相当に歓迎されているようだ。あの時の俺の苦労も、全くの無駄というわけではなかったかもしれない。
この人は将軍だ。軍を率いる長だ。ならば、俺の本来の望みも聞いてくれるかもしれない。
「少し、頼みがあるんだが聞いてくれるか?」
「なんなりと」
「……俺は、ついこの間アルフレッドに会ったんだ。あの時、魔王を殺した後に凄惨な戦いをした、亜人殺しの勇者だ。あいつはまた亜人を、いや、この世界に混乱と破壊をもたらそうとしている。あいつを倒すために力を貸してくれないか? 昔魔王城があったところにいるはずだ。兵士を率いてそこを攻めれば、今度こそ平和な世が訪れるはずだ」
「…………」
目を瞑り、悩ましく眉を歪めるオーガの将軍。どうやら、クリームヒルトの言っていたようにそう簡単な話ではないらしい。
「……とても、難しい問題です。我らにとって確かにあの男は脅威。しかし……攻め入る場所が……」
「素直に首を縦に振ってもらえるとは思ってなかったよ。けど、あなたはあの時俺たちと一緒に戦ったんだろ? だったらあのアルフレッドの邪悪さと脅威は理解できるはずだ。もう少し……前向きに考えてはくれないのか?」
場所、か。何か問題があるのだろうか? かつてほどに魔物がいるわけでもなく、魔王とアルフレッドは同一人物であり連戦の心配もなさそうだ。辛い戦いにはなるだろうが、それでも得るものは大きい。
「……今、あの森は大パステラ王国の領地となっています」
「領地? 魔王の領地じゃないのか?」
「実質そうなのですが、王国の民はそう思っていないのです。大森林より西は勇者が奪還した辺境の土地。それが彼らの理解なのです。たとえ兵士も役人も誰一人いなかったとしても……」
「ああ……そういえば、昔そんな話を聞いたことがあったな」
「苦しみ難民を受け入れる程度であれば良いでしょう。ですが、兵を率いて攻め入ったとなれば……これは外交問題にも発展する一大事。そしてそのようなことになれば、森林地帯に住む亜人たちに非難の矛先が向くやもしれません。私たちのせいであの地の亜人たちが殺されれば、我らが盟主の名声の地に落ちることでしょう……」
「……そ……それは……」
かつて女王の下で望まぬ働きをしていた俺にとって、彼の考察はあまりにも正しいことが理解できた。あの女王はとにかく亜人を敵視しているのだ。こちらがどれだけ誠意をもって説明しても、大河がどれだけ正当性を訴えても駄目だった。
ましてや敵はあのアルフレッドなのだ。あれから数十年の時を経てるとはいえ、彼は女王の想い人。もし当時の気持ちがそのまま残っているのだとしたら、身一つでそのまま魔王の下に向って行ってもおかしくない。
「せめて、うわさ話や推測の脅威ではなく、現実に起こった脅威として話していただければあるいは……考える余地があるかもしれません」
「ごめんなクリス。こればかりはすぐにというわけにはいかないんだ」
クリームヒルトがそう言ってきた。どうやら彼女も将軍と同じ認識らしい。もちろん俺が必死に頼み込めば軍を出してくれるかもしれないが、亜人が犠牲になってしまうかもしれないこの状況で、俺はそんなことまで強要したくなかった。
「だけどあたしも確かにあの男を見た。魔王の力を引き継ぎ、邪悪なままでいたあの男を。だから当然放置はしない。まずは調査隊を派遣し、確固たる証拠を揃えかの女王と交渉する」
「…………」
果たして、どこまでそれが通用するだろうか。あの女王が亜人と交渉してくれるのか?
もどかしい。とてももどかしい状況だ。だけど俺のわがままでこれ以上迫害される亜人を増やすわけにもいかない。
この話は、ここが限度だろう。