雷
けたたましい音と、激しい衝撃。
すべてを吹き飛ばすその衝撃は、俺の意識と感覚を根こそぎ奪っていく。何がどうなっているかを理解するよりも早く、気を失いそうになってしまった。
体が吹き飛ばされた?
何かにぶつかった?
何も分からない。まるで突然雪崩か濁流の中に放り込まれたようだ。ただ気を失わないように必死で耐えている……それだけだった。
意識を失うことはなかったものの、俺はその衝撃のせいでまるで夢から覚めたその瞬間のように……力が入らず考える力も鈍っていた。
何が……起こった?
頭の中で、ゆっくりと情報を咀嚼していく。
結婚式。
キス。
しようとして。
それで……。
白い光。
あれは、雷だった。
そう、俺はアリスにキスしようとした瞬間、白い雷を見た。そいつが村長の家あたりに落ちた。すさまじい衝撃と音で、俺は吹き飛ばされてしまったんだ。
そう……だ。
俺は……吹き飛ばされた。
お……俺……は?
アリスと……結婚式を……開いて、それで……俺たちは……。
アリ……ス?
「う……ううう……」
言葉が出なかった。
アリスの名前を呼んだつもりだったのに、口から出たのはうめき声のような音だけだった。
なんだ、一体何が起こってるんだ?
ゆっくりと目を開ける。
火と……煙。
地獄だった。
本当に地獄だと思ってしまいたかった。
あたり一面には壊れたて焼けた建物ばかり。そしてその合間から聞こえてくる……亡者の叫び。むせ返るような熱さと血の匂い。
だが建物の残骸をまじまじと見つめて、俺はすぐに理解した。
ここは、俺たちの村だ。
ついさっきまで結婚式が開かれていたはずの……現実世界だ。そこが壊されて、燃えて……こんな地獄に……なってしまったんだ。
俺は激しく動揺していた。
一体何が起こったのか、まったく理解できなかったのだ。
煙でぼやけた視界の中に、人影のようなものが動いている。
ひょっとして、村のみんなが助けに来てくれたのか? くそっ、声が出せれば呼べるのに……。
「う……あ……」
手を、必死に前へと伸ばす。
気が付いてくれ、俺……に……。いや、俺はいいからアリスだけでも……頼む……。
「…………っ!」
煙越しに動く男たちを見て、ふと、俺は違和感を覚えた。
何かがおかしい。
救助……しているんじゃないのか?
「ぎゃああああああああああああっ!」
男の声が聞こえた。
アレンだ。
アレンの声だ。
あの時、服を切って敗北させたときの声と……全く一緒だった。あの情けない叫び声を間違えるはずがない。
声のした方に視線を移すと、煙越しに二人の男が見えた。倒れこんでいる男と、剣を……振り下ろしている男のシルエットだった。
違う……。
こ……こいつら……この村の仲間じゃない。
「殺せええええええっ!」
「家を焼けっ! 食糧は馬車にっ! 一人たりとも逃がすなっ!」
「男は殺せ、女は奴隷で生け捕りだっ!」
風に揺れ、一瞬だけ煙が霧散し、視界が開けた。
に、人間だ。
簡素な防具と剣を身に着けた、人相の悪い男たち。まるで害虫か何かを駆除するように、俺たちの村を歩き回っている。
そして、建物も奥に、アレンがいた。
アレンが死んでいる。
剣で切り裂かれたのだろうか。苦悶の表情を浮かべたアレンは、血まみれのまま絶命している。
嘘……だろ……。
こんな……ことが……。人間が……攻めてきた……のか?
分からない……。
俺は意識を失う前……結婚式の最後の記憶を思い出す。
あれは……そう、雷だった。
雷の……魔法か?
植物でできたエルフの家屋は、もともと火事の起こりやすい構造をしている。もし誰かがこの地に雷の魔法を落としたとしたら?
建物は衝撃で崩れ、そして燃え始める。そう、今、俺がこうして瓦礫に体を半分埋めているように。
まずい……このままじゃあ、あいつらに……殺されて……。
体を動かそうとして、気が付いた。
足が、折れた柱に挟まっている。せっかく意識が戻ってきたのに、これじゃあどうにもならない。
それどころか、煙の臭いと炎の暑さでどうにかなってしまいそうだった。
動けない俺の目の前を、武装した男たちが走り回っている。人間に顔見知りのいない俺は奴らのことをさっぱり分からないのだが、一つ……気になることがあった。
あれは虎の、旗……?
黒い下地に虎を模した紋章の描かれた、国旗のような旗だった。ただし、俺たちが住んで言いる大パステラ王国の国旗ではない。
軍の旗か何かか? それとも盗賊か何かの?
やがて、俺の前に男が現れた。
「なんだよ男かよ。つまんねーな」
血に濡れた剣を構える、禿げた大男だった。それなりの鎧を身に着けた、兵士風の姿だ。
「た、助けてくれ」
「悪く思うなよ。男は全員殺すように命令されててな。ま、この様子じゃそのまま燃えて死んじまうんだ。焼け死ぬのも苦しいだろうから、俺が止めを刺してやるよ」
「ま……待てっ」
男が、剣を振り下ろしていく。
避けられない。
まるでスローモーションの映像か何かのように、目の前の光景がゆっくりと動きそして……。
頭の割れる激しい衝撃に、今度こそ俺の意識は消え去ってしまった。
王歴三十七年、春。
俺、クリスの命は……尽きた。
エルフとして、十六年生きた俺の人生は、ここで……終わってしまった。
…………。
……………………。
………………………………。
う……うう……。
俺……は……。
そうだ、アリスと結婚式を挙げて、それで……雷が落ちて……。
そのあと……死。
死?
思い出す、断末魔の記憶。
剣で頭をかち割られ、意識を吹き飛ばされた。
どう考えたって生きてるわけがない。俺の第二の人生はあそこで終わったはずなのに……どうして、俺は……。
――生きているんだ?
そう。
俺は生きていた。
今、間違えなく意識がある。例えるなら、寝起きという状態が一番近いかもしれない。
意識を覚醒させ、ゆっくりと上半身を起こす。
どうやら、俺は仰向けに倒れこんでいたらしい。
まず視界に広がったのは、見慣れたエルフの村でもなければ、炎に焼かれた配下でもない。煌びやかな絨毯や精巧な柱によって構成された……まるで中世の城か何かのような部屋だった。
俺は……どこかに連れ込まれたのか?
まだ……夢を見てるのか? 頭が……ぼーっとするな。
未だ本調子でない頭を押えようとして、ふと、俺はその違和感に気が付いた。
ち、違う。
どういうことだ?
この……耳。
耳が……長くないし尖ってもいない。
それどころか、視界に映っている俺の前髪も、金髪じゃなくて黒髪だ。
そう……まるで人間みたいに。
黒い髪で短い耳。それはまるで人間……しかも俺が転生する前の日本人だった頃みたいに……。
ど……どういうことだ? 俺は……転生する前に戻ったのか? エルフになったのは……夢、だったのか?
ここまでをエルフ編とします。