四度目の目覚め
終わった。
すべてが、終わった。
魔王を倒し、アルフレッドを倒しかけ、あと一歩のところで〈災厄〉によって心を失い、暴走してしまった俺。
クリームヒルトが俺を殺し、止めてくれた。
「…………」
俺は目を覚ました。
目を、覚ましてしまった。
これ以上生きて、何があるっていうんだ? また転生か? ここは過去なのか? 俺の知り合いが、一人でもいる場所なのか?
目覚めて最初に視界に入ってきたのは、木の根だった。
まるで揺り籠のように丸型になったその根のベッドに、俺は寝ていたらしい。
体を起こすと、周囲が森であることに気が付いた。
ごくわずかな日光だけが差し込む、とても暗い森だ。一つ一つの木がとても大きく、何十メートルも高さがあるように見える。
〈古代樹〉だ。
ここは〈古代樹〉の森か何かか? 俺はとうとうはるか昔に転生してしまったのか?
混乱する俺だったが、ふと、こちらに向かって歩いてくる誰かを足音に気が付いた。
「き、君は!」
翼を持つ亜人。青い髪の彼女に、俺は見覚えがあった。
「ラミエルっ!」
ラミエル。
かつて遺跡にいた天使族の少女。俺に古代樹の種を与え、ここまで導いてくれた人。
だとするとここはあの遺跡か? ああ、なるほど。彼女が歩いてきた方向に、石質の遺跡のようなものが見える。この森は……どうやらあの遺跡の一部らしい。
なるほど。
どうやら俺はあの遺跡で眠っていたらしい。だとすると今度は天使族にでも転生したのか?
ってあれ?
顔を触り、気が付いた。
髪が金色で、耳も尖っている。エルフだ。俺はまたエルフに転生してしまったのか?
「俺は……一体……」
「…………読んで、これ」
混乱極まる俺に、ラミエルが何かを差し出してきた。
ラミエルが持っていたのは、一冊の本だった。上質な紙ではあるが、かなりボロボロだ。おそらく、相当の年月を経た代物なのだろう。
ただこの明らかに古代じみた遺跡と比べて、それほど年月が経っていないようにも見える。遥か古代の遺物、というわけでもなさそうだ。
俺はその本に目を落とした。
そこには、驚くべきことが記されていた。
これは……クリームヒルトの記録だったのだ。
――王歴一年。
クリスが眠り始めてから一年がたった。
あの日、〈災厄〉の力を受け暴走したクリスを、あたしは刺し殺した。致命傷に近い一撃を負ったクリスはそのまま意識を失い倒れこんだ。
あたしはすぐにクリスの怪我を治療しようとした。でも目を覚ましてこのまま暴れだしてしまって欲しくない。他の亜人たちに相談したあたしは、オーク族の助言を聞いて彼をラミエルさんのところに連れていくことにした。クリスが目覚めないよう、最低限の治療を施して。
ラミエルさんは〈災厄〉の精神汚染――〈狂神〉の治療方法を知っていた。それは〈古代樹〉を原料とした薬を使い、気化させて長時間吸わせるというやり方だった。
何年、何十年と時間のかかる、長寿の天使族向けの治療法。その長さに……あたしは絶望した。でも、それでもまたクリスに会えるなら……。
クリスが目を覚ましたら、混乱しないようにこの記録を読ませて欲しい。
――王歴五年。
クリスが眠り始めてから五年がたった。
王国から亜人への迫害は増していくばかりだった。魔王を殺したのは勇者アルフレッドで、あたしたちは魔王の信奉者ということにされた。魔王の首がなかったあたしたちはその嘘を覆すことができなくて、女王の過激な迫害に耐えきれなくなった。
特に迫害された歴史の真実を知る亜人たちは、あたしとともに北東の辺境へと旅立つこととなった。クリスのそばにいれないのは寂しいけど、必ず……目覚めると信じている。時々、会いにいけるようにしたい。
――王歴三十七年。
クリスが眠り始めてから三十七年がたった。
大森林の北東に開拓された亜人の拠点は順調に発展を続けた。あたしがその拠点の長になって、多くの亜人を率いて、開拓をして、難民を助けて、魔物を倒して、毎日毎日忙しい日々を過ごすようになった。
ラミエルさんから報告があった。もうすぐ、クリスが目を覚ますらしい。本当なら目覚めるまでずっとそばにいたいけど、拠点のこともあるから……毎日ここに訪れることも難しい。
クリスに、会いたい。
読み飛ばしながら、重要な箇所だけ読み進めた。
これが、最新の記録だったようだ。
「…………」
信じられない、記録だった。
どうやら、俺はあの後死ななかったらしい。そして三十年以上にも及ぶ治療期間を経て、今になってやっと目を覚ましたということだ。つまりここは俺が転生した過去の世界などではなく、あの時から……ずっと続いている未来の世界ということになる。
〈古代樹〉の薬のおかげか、災厄の精神汚染は全くなくなった。あの時感じていた邪悪な心は、もう……俺の心に残っていない。
魔王を倒しても、アルフレッドを倒しても、未来は変わらなかった。亜人が魔王の協力者となって、今もなお迫害され続けていた。
王女……いや、今は女王か。彼女は亜人のことをひどく嫌っていた。そしてアルフレッドのことを本気で愛していた。だからすべての功績をアルフレッドのものにし、俺たち亜人にいわれのない罪を押し付けた。
それはまるで、あの日アルフレッドが言っていた奴の願望そのもの。俺が望んでいなかった……未来の姿。
終わってしまった過去。成せなかった平和な世。それはとても悔しくて、悲しい。けれど、いつまでも悩んでばかりはいられない。
今、もっとも重要なのはそこじゃない。
「あれから何年たったんだ? 今日は……何月何日だ?」
クリームヒルトは毎日この記録を付けていたわけじゃない。かなり長時間の話であるから、ここには年代しか記載されていなかった。だからこの記録を見て何月何日かを推しはかることは不可能だ。
「分かるか、ラミエル?」
「…………」
首を振るラミエル。どうやら、彼女には分からないらしい。
まあ、この遺跡で日付も何もない日々を過ごしている天使族だ。長寿でもあるから詳しい日付の感覚なんてないのかもしれない。
王歴、三十七年か。
それは俺にとって特別な年だった。あの日、大河や瑠奈が俺の村を襲い……そして滅ぼした年。
もし、今、まだ村が襲われていなかったら?
いやあるいは、襲われてすぐだったとしたら?
大河や瑠奈を止めることができるかもしれない。そして、行方不明になったアリスを、助けることができるかもしれない。
ひょっとして、今、俺は運命の分岐点にいるんじゃないのか?
あの日失った未来を……取り戻すことができたと……したら。
「…………」
目覚めたばかりで、本調子とは言えない。けど、すぐに行けば、もしかすると……あの不幸な結末を覆せるかも、しれない?
そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
「すまんラミエル、急用ができたっ! もしクリームヒルトが来たら、俺が目覚めたことだけ伝えて欲しい。しばらくしたらここに戻るからなっ!」
「…………?」
俺は駆けだした。
遺跡のおおよその位置は知っている。そしてそこから俺のふるさとであるエルガ村へ向かうことは容易い。
まずはあそこに向かい、村の状況を確認しよう。すべてはそれからだ。
これは……最後のチャンスなのかもしれない。
俺がすべてを救うことのできる、最後の……。
ここから災厄編とします。