アルフレッド戦、その後
深い深い森の中。
魔王城からやや離れ、道のない森の中。城から溢れた魔物たちがさ迷うこの場所に、一人の異邦人が迷い込んでいた。
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
かつて勇者だった男、アルフレッドである。
アルフレッドは必死に逃げていた。亜人たちに追われているのだ。
「待てっ!」
それほど速い速度ではない。そして強いわけでもない。しかし戦いに傷ついたアルフレッドにとっては、凡庸な亜人と戦うこともかなりの重労働。できれば避けたい。
が……。
「雑魚がっ! 邪魔するんじゃねぇっ!」
〈暴食〉の力、龍人族のブレスを使い追っ手を薙ぎ払う。
亜人など、アルフレッドにとっては雑魚。
そう、本来は雑魚なのだ。
クリフさえ、あの男さえいなければこんなことにはならなかった。歯向かう奴らを叩き潰し、そして英雄として王都に凱旋することができたはず。
「ぐ……」
抵抗は、それまでだった。
アルフレッドは走るのを止めて地面に倒れこんでしまった。魔素という毒を体に受け、体の一つ一つが壊れ始めている。治す術はあるのかもしれないが、今のアルフレッドにはそれを調べている余裕はなかった。
「ち、畜生、か……体が動かねぇ」
とうとう、アルフレッドは力尽きようとしていた。
かなり森の中まで入ってきた。そして近くにいた亜人たちは全員始末した。しばらくは……追っ手に見つかる心配はないだろう。
しかしそもそも、そんなことに気をもむ必要などないのだ。今、まさに命が尽きようとしているアルフレッドにとって……しばらく先のことなどどうでもよいのだから。
「お……俺は……死ぬ、のか。こんな……誰もいない……森、の、中で。俺の……英雄譚は……ここが……終わり……の……」
地べたを這い、前に進もうとする。しかし動いたところで問題が解決するはずもない、今、この時……アルフレッドの命運は尽きようとしていた。
だが――
「くすくすくす」
声が、聞こえた。
アルフレッドにとって、聞き覚えのある声だった。
「おま……えか、女」
女。
木の枝に腰かけ、こちらを見下ろす女。白く長い髪を持つ彼女を、アルフレッドは知っている。
城で王女と寝ていたあの時、亜人連合軍が魔王城に攻め入ってることをアルフレッドに伝えた……あの女だった。
「へへ、へ……。疑って、悪かったな。お前は……正しかった。どういう、つもり……なのかは、知らないが……。亜人どもは……確かに、魔王を……倒していた。へへへ、手柄を……横取りしようと、してこの様だ。笑えよ。何が目的だったかは……知らねぇが、俺は……失敗、しちまった。それだけの……話だ……」
「……見なさい」
トンッ、という音とともに近くに何かが落ちた。もはや脚を満足に動かせないアルフレッドが、ゆっくりと首を回して視線を移した。
「こいつは……まさか、魔王の……首?」
魔王。
クリフたちが倒し、そして首だけが行方不明になっていた……魔王。その首を持ち帰ることができれば……、アルフレッドの英雄としての命脈は保たれただろう。
だが、それも今となっては意味のない話だ。
アルフレッドは今、この場で死に至ろうとしている。今更どんな戦果が追加されたとしても、命が尽きる者にとっては全くの無意味なのだから。
「そうか……お前がこいつを、持ってたのか。だが……悪ぃな。このザマじゃあ、もうどうにも……」
「ここに、今にも死にそうな魔王。そして、今にも死にそうなあなた。分からないかしら?」
「どういう……ことだ……」
「〈暴食〉のスキルを使って、その魔王を食らいなさい」
「な……に……」
その提案は、アルフレッドにとってあまりにも予想外で……考えてもいないことだった。
〈暴食〉は相手を弱らせたのち自らに取り込むスキルだ。だがどんな相手でも、というわけではない。
かつてアルフレッドは倒した魔族を取り込もうとした。しかしその後激しい拒絶反応のような症状にあい、取り込みかけていた対象の魔族を排除したことがある。
魔族の身体に含まれる特殊な魔力が、アルフレッドの体と相性が悪かったのだろう。おそらく……今と同じだ。クリフは魔族や魔物に含まれる毒――魔素をアルフレッドに注入したのだ。
魔王を取り込むとは、すなわちその毒を一緒に取り込むということ。
毒を持って毒を制す。
体内に特殊な魔力を内包する魔王は、おそらくその魔力に対して耐性のようなものを身に着けているだろう。その力を己がものにすることができれば、この窮地を脱し大復活を遂げることができる。
「…………いや、しかし……」
だが魔王というあまりにも強大な存在を飲み込むことは始めてだ。たとえどれだけ弱らせたとしても、この規格外の存在が自分より下になっているかどうかは誰にも分からない。
以前魔族で試した時とは比べ物にならないほどの拒絶反応に襲われるだろう。地獄の苦しみを……覚悟しなければならない。
……が、迷っている時間はない。
アルフレッドは……このままでは死を待つだけの存在だ。何もしなければ死んでしまうことは確定。ならば、どれだけ苦しくても、先が見えなくても、その先に希望があるかもしれない道を歩むべきなのだ。
アルフレッドは決心した。
魔王を、吸収する。
〈暴食〉を起動し、魔王の首を取り込んだ。
瞬間。
激しい拒絶反応。
全身に激しい痛み、悪寒、吐き気、ありとあらゆる苦しみがアルフレッドの体を襲った。
(耐えろ……耐えろ耐えろ耐えろ)
しかし、生への渇望を燃やすアルフレッドは、その苦痛すらも克服しようと奮闘する。
生と死。二つのはざまに揺れながら、アルフレッドは己の内なる魔王と戦い続けた。奴のすべてを掌握し、再び生き返る……そのために。
そして、数時間ほど経過したのち、すべての決着が成った。
「は……ははっ」
笑ったのは、アルフレッド。
そう、自分は賭けに勝ったのだ。あの強大な魔王を取り込み、生きるための道を自ら切り開いたのだった。
この地に遅れて現れ、魔王と顔すら合わせなかったアルフレッド。そんな彼が今、初めて魔王に勝利したのだった。
「う……ううおおおおおおおおおおおおおっ! 勝ったっ! 勝ったぞクリフっ! 俺ぁあの魔王に勝ったんだっ!」
アルフレッドは、完全に復活した。毒を克服し、そして魔王の強力な力を得た彼はまさしく最強。これまでとは違う、もう二度と誰にも負けることのない最強の力を得たのだった。
「待ってろよおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! クリフううううううううううううううううううううっ! 復讐してやるっ! 今すぐだっ! お前を八つ裂きにして、その肉と骨をこの魔の森にバラまいてやるっ! 死んでもお前に安息の時は訪れねぇよっ! 永遠に魔物と戯れ苦しんでろやっ! クリフううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!」
魔王城から離れた森の中で、アルフレッドの叫びが木霊した。
これで勇者〇〇編は終わりとなります。