戦の鐘
龍人族族長、フランツ。
この人と初めて会ったのは龍人族の里でのことだった。族長である彼は一族の長であり、亜人の盟主でありクリームヒルトの父であった。
俺はアルフレッドの危機を彼に伝えた。そして彼は、俺のその助言を信じ行動してくれた。しかしその結果、アルフレッドと敵対してしまい、激闘の末里を滅ぼされ……命を落としてしまった。
そのはずだった、のだが……。
「ご、ご無事だったんですかフランツさん。あの時の怪我……もう無理だとばかり……」
「さすがに我が治癒力をもってしても、全快とまではいかなかったがな。騙し騙し、なんとかここまでもってくることができた」
あの時、フランツさんは翼や足にかなりの怪我を負っていたはずだ。それを全快でないといえど見た目で分からない程度まで回復させることができるなんて、やはり龍人族というのは俺たちとは根本的に違うんだな。クリームヒルトが回復したときのことを思い出す。
「すでに他の亜人たちより話は聞いている。魔王を倒した、とのことであるな」
「はい」
「魔王はどこに?」
「体は近くに落ちています。しかし首は……洞窟の中に落ちてしまって。今捜索しようとしていたのですが」
「なるほどそれは厄介な。では我も手伝うこととしよう。ブレスの炎を使えば洞窟の中も照らせよう」
「ありがとうございます」
フランツさんが加勢してくれるのは心強い。いろいろ話をしたいことはあるが、まずは魔王の首を確保することが先決だ。
……と、そこまで来て俺は微妙な違和感に気が付いた。
クリームヒルトだ。
先ほどから、ずっと黙ったままだ。フランツさんとの再会を……もっと喜ぶと思っていたのに。
「クリス、こちらに来てくれ。少し話がある」
「ん? どうした? 相談か?」
未だ戦いは続いている。俺たちには考えなければならないことが山ほどあるのだ。
俺はフランツさんから離れ、クリームヒルトに近づいた。
クリームヒルトは俺が駆け寄ったのを確認すると、特に小声というわけでもなく普通にこう言った。
「あの男は父上ではない」
そう、言ったのだ。
俺は一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。まさかフランツさんに関する言葉だとは思わず、予想外で頭が混乱してしまったんだ。
「く、クリームヒルト、突然何を言ってるんだ? フランツさんがフランツさんじゃない?」
「クリームヒルト?」
この会話は耳打ちではなく、当然フランツさんにも聞こえている。彼は困惑している様子でこちらを見ていた。
「この戦いを始める前の話だ。クリス、あたしが空に向かって遠吠えしていたのを覚えてるか?」
「あ……ああ……」
「あれは『戦の鐘』といって、龍人族が戦を始める前の重要な儀式なんだ。強く大きい声を大陸の端まで響き渡らせ、すべての仲間たちが戦場へ向かう。そのための叫びなんだ」
「…………」
確かに、あの時の叫びは随分と大きな声だった。空から放たれたあの音は、多少離れていても十分に伝わってくるほどに。少なくとも、龍人族の里があった周辺にいたのであれば、聞こえていた……と思う。エルフの耳の感覚でさえそんな評価なのだ。龍人族のクリームヒルトがそう言うなら、同族の龍人族には届いていたはずだ。
「で、でも、フランツさんは怪我をしてたんだろ? だからここに来れなかったんじゃないのか? あの時死にかけたたんだ。多少無理できないのは仕方ない話で……」
「怪我をしていても来る! 死にかけていても、親が死んでも子が死んでも、亜人の盟主として矜持を示せ。それが父上の教えだったはずだっ! 大事な戦に駆け付けず、すべてが終わった後にのこのこと現れる。そんな愚か者が父上であるはずがないっ! しかも謝りもせずに魔王の首だなんて……そんな……ことが……」
クリームヒルトが涙目になっていた。
彼女のその瞳を見て……俺は……。
「クリームヒルト……そうなのか? お前は本気で……この人を……」
……いや、俺は何を考えていたんだ?
フランツさんは俺の何だ? ただの知り合い、協力者、クリームヒルトの父。その程度の存在だ。彼のことは良く知らない。ただ俺のせいで死んだという申し訳なさがあるだけだった。
そしてクリームヒルトとフランツさんは親子だ。互いを知る度合いは俺をはるかに上回り、まさしく親子の絆で結ばれている。
そんな彼女が父を否定したのだ。これ以上の正答は……ない。
俺は俺の罪悪感から真実に目を背けているだけだ。答えは……もう……。
「……正体を現せ魔族っ! あたしにその手は通用しない」
凛とした声でフランツさんに言葉を浴びせるクリームヒルト。そこに迷いはない。
魔族、か。
確かにその可能性がある。いや、むしろそうであって欲しい。
しかし俺は今最悪の想像をしている。もし、こいつが魔族でなく……『奴』だとしたら?
奴は取り込んだ人の能力を使用できる。翼を持つ生き物であれば翼を、角があれば角を、そしてスライムであればスライムの肌質を完全に再現していた。
だがこれまで俺が出会ってきた奴は、いずれも戦闘に特化した形であった。ある種族の能力を使用するために、体の一部を都合よく変化させて複数の技能を使用したりしていた。そしてその変身は……奴の全身に及んでいた。
ここで、一つの可能性に至る。
もし奴が戦闘に重きを置かず、誰かに化けようとしたとしたら? 一部などではなく、ある種族の一人を完全にコピーして再現することができたとしたら?
あれだけ体を弄れるのだ。ごく普通に考えれば、単純にコピーすることの方が簡単であるように思える。
つまり……。
しばらく……フランツさんは黙ったままだった。最初のように慌てる様子もなければ、うろたえて否定することもない。ただじっと……俺たちの様子を眺めているだけだった。
そして――
「くくくっ」
嗤う。
俺の知ってるフランツさんとは似ても似つかない、邪悪な微笑み。高潔さや誇り高さを全く感じさせない、下品な声。
ああ……やっぱり、そうなのか? お前なのか?
「くくくくっ、ははははははははははは、ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
嗤う。
嗤う。
嗤う。
徐々に戦いが収束し始めているこの状況。大声で笑うこの男はあまりにも異様で……俺たちだけじゃなく他の亜人たちも呆然としていた。
「間抜けな亜人どもは全然気が付かなかったんで、つい調子にのっちまったぜ。まあ、最後の最後でケチがついたが……笑えたぜ。わざわざ正体を明かす必要はなかったんだがよぉ。さすがに魔族扱いされたとあっちゃぁ、俺のプライドが許さねぇよな」
そして、男はその仮面を脱ぎ去った。
老人の顔から、若者の顔へ。翼が消失し、赤髪の男が姿を現した。
やはり……その姿は……。
「あ、アルフレッドっ!」
「よおクリフ、久しぶりだな」
勇者アルフレッド。
俺の……そして亜人の大敵。魔王を倒すはずだった男。
望まぬこの男の出現は、俺たちの戦いが別次元の戦いへと変貌してしまったことを意味していた。