魔王の首
「あ……ああ……ああ……あ……」
俺たちと魔王との戦いは、最終局面を迎えていた。
大量の〈寄生樹〉に侵食された魔王の身体は、まるでそれ自体が植物か何かと錯覚してしまうように木の根がまとわりついている。膨張した根は体の一部を引き裂き、もはや上半身と下半身がほとんど繋がっていない。
だがそれでも、魔王としての生命力は相当のものなのだろう。いまだ闘志の尽きないその瞳が、こちらを鋭く睨みつけている。
「……〈魔神刀〉、よ」
そう、小さな声で呟く魔王。しかしもはや奴の周りには材料となる魔物が全く存在しない。この状態でいったい何を?
「……わ……『我が肉体』を食い、ここに顕現せよっ!」
瞬間、魔王の左腕が消失した。
左腕のあったところから紫色の血が迸るほどの大けが。しかしその犠牲をもって……魔王は再び攻撃手段を復活させる。
〈魔神刀〉だ。
すでに〈寄生樹〉によって満身創痍。とてもではないが満足に動ける状態ではなく、むしろ死を待っているといっても過言ではないこの状況。それでもなお反撃をしてくるその闘志は、やはり王として別格のものだった。
もし、奴があの力をここで使えば?
甚大な被害がでる。ここには俺だけでなく多くの亜人たちが集まっているのだ。斬撃の力に体を消されてしまう者もでてくるだろう。
俺たちの勝利が、消えるかもしれない。
「魔王ううううううううううううううううううううううっ!」
俺はすでに駆けだしていた。
もう、これ以上争いを続けたくはない。動けないとはいえ再び奴が力を発揮すれば、多くの犠牲が出てしまう。
「ぬうううううううんっ!」
渾身の力で〈魔神刀〉を振るう魔王。
弱いっ!
やはり魔王の弱体化は相当なもののようで、以前のように壁のような斬撃を繰り出すことはできなかったらしい。ただの一太刀に等しい技だ。
難なくそれを回避する俺。
だが魔王は再び剣を振るおうとしている。近づいている俺が再び奴の攻撃を回避するのはかなり難しい。
相打ち……になるかもしれない。
だけど余計な時間を与えて魔王を回復させたくもない。犠牲者が増えるのも困る。今、ここで俺を犠牲にしてすべてが片付くのだとしたら……それでも……。
「クリスっ!」
瞬間、視界を横切った黒い槍。
どうやらクリームヒルトが亜人の持っていた武器を投擲したらしい。魔王を傷つけたり〈魔神刀〉を破壊したりするには至らなかったものの、突然の横やりに魔王はほんの一瞬だけ怯んだ様子だった。
この隙を……逃さないっ!
「これで最後だああああああああああああああああああああああああっ!」
俺の〈枝剣〉が魔王に迫る。
妨げるものは……何もない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
それが、魔王の断末魔の叫びだったようだ。
俺の剣が、魔王の首を切り裂いた。
完全に、決まった。
下半身を切断され、残った上半身も首だけ。俺たちはとうとう、ここまで魔王を追い詰めることに……成功したのだった。
魔王の首は玉座の奥に飛んでいった。速度のみに特化した俺の一撃を食らったその首は、障害物のない空中を遥か先まで飛んでいきそして……。
その先に、落ちた。
「こ……これは……」
視界から首が消失したため、俺は慌てた。
全力を出し切って戦っていたから気が回らなかったんだが、ここは建物の中であるもののあちこちに壁穴が開いている。クリームヒルトのブレスや魔王の〈魔神刀〉、そして他の様々な亜人の力が城そのものを崩壊に近づけ、今なお崩れてしまわないのが不思議なほどにボロボロになっていた。
首の飛んだ先、すなわち玉座の後方もひどい有様で、壁などほとんどが崩壊していた。しかしそちら側は背後の山と一体化していたため、土壁に阻まれそそう見つけにくいことはないと思っていたのだが……。
どうやら、事はそう単純ではないらしい。
玉座の奥には……洞窟があった。
山の中には、どうやら大きな洞窟があったらしい。俺たちの戦いによって破壊されてしまった城の壁と土が、これまでずっと入口を塞いでいたようだった。
洞窟の先は暗くて見えない。奥は巨大な穴が開いており、光の届かない遥か奈落の底。ここから見渡しても、やはり魔王の首は見つからない。
あの怪我なら、生きてはいないと思うが……。
もし、奴がまだ生きていたとしたら?
奴は上半身だけでも相当弱っていた。首だけともなればその弱体化は相当のものだろう。満足に戦えるはずがない。
そういう意味では、九分九厘勝利したと言ってもいいだろう。
だが首がないのはまずい。
魔王の首を持って勝利を宣伝し、俺たち亜人の力を知らしめることが本当の目的。こんな人里離れた森の奥の城で戦をしても、人間は誰も気が付かない。誰も知らない。
もし、この状態でアルフレッドがこう言ったとしたらどうする?
『俺が魔王を倒した!』、と。
王女は喜んでそれを信じるだろう。国王だって信じてしまうかもしれない。そんな結末は誰も望んでいない。
「くそっ!」
幸先の悪いエンディングに、不安を隠せない俺がいる。
証拠がいるのだ。
俺たちが勝利を掴み取ったその証拠。それこそが魔王の首。
「クリス、魔王の首は?」
「クリームヒルトか。すまない。この奥に落ちてしまったみたいだ。俺がもっとしっかりしていれば……」
「クリスは悪くないぞ。命を賭けた戦いだったんだ。首のことまで考えてる余裕なんてなかった。あたしはクリスが死ななかっただけで嬉しかった! こうして話ができるだけでも幸せだ! クリスだってそうだろ!」
笑うクリームヒルト。
そうだな、一応は……勝ったんだよな。
「……とにかく、このままじゃあまずいよな」
「あたしに任せてくれ。翼を持つ亜人に洞窟を降りてもらって、探索しよう。光や炎の魔法を使えば暗闇を照らせる」
「その線で行こう。俺もツタを使えば下まで降りれるはずだ。残った亜人たちは他の魔族の掃討に――」
と、まさに今後の方針を決めたちょうどその時。
近くの瓦礫が吹き飛んだ。
何事かと振り返ると、そこには風を纏った魔族が立っていた。
「おのれ亜人どもっ! よくも魔王様をおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
どうやら、王の死を察知してここまでやってきたらしい。声をかける間もなく、風の刃を放出しながらこちらに突撃してくる。
「…………」
魔王を倒したとはいえ、未だ戦闘は続いている。洞窟の中まで入ってこられたら面倒だ。倒してしまわないと。
俺とクリームヒルトは即座に迎撃態勢を取った……のだが。
「ごあああああああああああああああっ!」
突如、魔族の姿が消えた。
燃えさかる炎の塊が奴を覆いつくし、原形をとどめないほどに燃やし尽くしてしまったのだ。
「これは……」
この、炎の量。魔法ではなく、圧倒的な量と質に裏打ちされた、高出力のブレス。
俺はこのブレスを見たことがある。
そう、それはまさに竜人族であるクリームヒルトが使うブレスのような。
「無事であったかクリームヒルト、我が娘よ。よくぞ……魔王を倒した」
翼をはためかせ、空から俺たちの前に降り立った一人の亜人。
俺は彼を……知っていた。
「ち、父上?」
「ふ、フランツさんっ!」
龍人族族長、フランツ。
かつてアルフレッドに倒された龍人族の長が、今、俺たちの前に現れたのだった。