盟主龍人族
俺たちはアルフレッドから逃亡することに成功した。
しかし村を破壊された俺たちに目的地などなかった。帰るべき場所を失ってしまったのだから。
結局、俺たちは例の遺跡へ向かうことにした。
大森林の遺跡にて。
俺とクリームヒルトは、この遺跡で少しの休憩をとっていた。
遺跡の主、天使族ラミエルは俺たちを追い出したりしなかった。あまり喋らずコミュニケーションも取りにくいものの、俺たちの滞在を許可してくれるようだった。
遺跡だから気の利いた家具やシャワーなんてないものの、雨や風をしのぐ程度には十分な場所だ。俺とクリームヒルトは壊れた柱の上に腰かけながら、ゆっくりと体力を回復していった。
「…………」
フランツさん。
俺がエルフを守ってくれって頼んだばっかりに……こんなことに。
正直に言えば少し罪悪感を抱いている。もっと他にやり方があったんじゃないだろうか? 結局エルフも龍人も奴に吸収されてしまったんだ。
俺の努力は……完全に裏目に出てしまった。
「ここはアルフレッドにも知られてない場所だ。安全は確保されていると思う。けど……いつまでもここに住むわけにはいかない」
「……うん」
「俺はアルフレッドと敵対した。もう人間の村には戻れない。行く当てはない。クリームヒルトはどうだ? 行く当てはあるか?」
「……あたしも、ない。ずっとあの村で過ごして来たから」
そう、小さな声で呟くクリームヒルト。暗く涙に染まったその瞳は、彼女の悲しみを何よりも表現している。
「もう、父上はいないんだなぁ。家族がいないのって、こんなにも寂しいものだとは思わなかった」
「クリームヒルト」
「なあ、クリス。急にいなくなっちゃだめだぞ。あたしには、もうお前しか親しい人がいないんだから」
「俺は……」
と、何か慰めの言葉を言おうとして……気が付いた。
音が聞こえる。
静寂に包まれていた遺跡に、響いてきた音。足音だ。少しずつこちらに近づいてくる。
まさか……アルフレッドか?
緊張に一瞬だけ身構えた俺だったが、来訪者の顔を見てすぐに安堵した。
人間ではありえない緑色の肌に、やや尖った耳。体は俺よりも縦にも横にも一回り大きく、武器と防具を装備した戦士風の格好だ。
オークだ。
オーク族とは直接会ったことはないものの、話だけは聞いたことがある。亜人ならアルフレッドの刺客ということもないだろう。
「おや、迷い人とは珍しいな。こんな魔族の森の中に何の用が?」
「あなたは……この遺跡の住人か何かなのか? ここはラミエルの住まいじゃないのか?」
「俺はここから少し離れた村に住むオークだ。村の一族は代々ラミエル殿のお世話役をしている。お前たちは彼女の知り合いか?」
「顔見知り程度の付き合いだ。故郷を失ってここで休んでいるだけだ」
「故郷を……? それは難儀な……。ん?」
突然、オークが目を見開いた。
その視線は俺でなくクリームヒルトを指している。
「おおっ、あなた様はもしや……龍人族では?」
オークがクリームヒルトの存在に気が付いたようだ。すると彼はすぐに腰を折り、頭を下げ始めた。
「わたくしは大森林南方にある、オルドバーク村のオークです。盟主たる龍人族には大変お世話になりました。先日も仲間が龍人族の里を訪問したのですが……戦いの跡が残るのみ。何か大きな争いがあったのですか? まさか……魔族との……」
「父上と、それに他の龍人族の仲間はあの場で戦った。邪悪な人間との戦いだ。今でも信じられない話だが、あたしたちは負けてしまった」
「やはり……そうでしたか」
戦いのあと、あの戦場に戻った亜人がいたのか。
でもフランツさんとは出会えなかった。やっぱり、あの戦いで……フランツさんは……。
「クリームヒルト殿! 亜人の盟主たるフランツ殿を失い、我々は混乱しております。よろしければわが村に訪れ、盟主の健在を証明していただけないでしょうか? 我々には亜人を導く存在が必要なのです」
「え……」
盟主の健在を証明、か。
それってつまりクリームヒルトが龍人族の代表としてってことだよな。族長だったフランツさんみたいに。
「あたしが……導く? 族長? 盟主に? それは……その……」
クリームヒルトは躊躇している様子だった。無理もない。未だ父を失ったばかりの彼女にとって、父の死を乗り越えて役割を継承するというのはあまりにも重い。
「大丈夫か? クリームヒルト」
俺は不安だった。彼女が一族の使命と期待に押しつぶされてしまわないか。せっかく救われた命なのに……ここで潰れてしまうのはかわいそうだ。
「無理しなくていい。もし、嫌なら言ってくれ。俺が他の亜人を無視して全力で逃がしてみせる。フランツさんにも君のことを頼まれたからな」
「ありがとう、クリス」
お礼を言うクリームヒルト。
だが俺の申し出に頷くつもりはないようだ。勢いよく立ち上がった彼女は、俺の良く知っている元気な姿そのものだった。
「いつまでも落ち込んでるわけにはいかないな。あたしは父上の娘なんだ。暗いままでは、父上に笑われてしまう、だから……」
翼を広げ、オークと向き合うクリームヒルト。
「あたしは龍人族族長、フランツが娘クリームヒルト! 亡き父の跡を継ぎ、新たな族長となる意思があるっ!」
クリームヒルト……。
フランツさんが亡くなり、そしてあの村が滅びた今、もはや族長にふさわしいのはクリームヒルトだけなのだ。だが肉親や仲間たちが死んだ今、彼女は相当に苦しい心境のはずだ。
辛いな、これが一族の責務か。エルフでありながら村を出ようとしていた俺とは……覚悟のレベルが違う。
「まずは我ら龍人族を滅ぼした亜人の敵、勇者アルフレッドについて話をしたい。すぐにでもあなたの村に向かおうっ! 盟主として、あの巨悪を打ち破らなければならないっ!」
「おお、力強い言葉に感動いたしました。我が村は近くにありますので、すぐにご案内します。一日いただければ近隣の村の代表も招集できましょう。どうか我らを導いてくださいませ」
「ならば今すぐ村へ向かう。案内を頼む」
「御意に」
オークは遺跡の外へと歩き始めた。
俺たちも彼を追いかけないと。
と、思って足を前に出した時気が付いた。クリームヒルトが後ろに立ったままだったのだ。
「クリームヒルト?」
クリームヒルトの手が震えていた。
やはり、気丈にふるまっていても盟主としての責任は身に余るものらしい。この大森林にどれほどの亜人が住んでいるのだろうか? 彼女の一言で彼らを動かせるのだとしたら、それはもはや一国の王と言っても差し支えない。
俺には到底想像もできないほどのプレッシャー。
彼女を……支えなければ。
「お疲れ、かっこよかったぞ」
そう言って、俺はクリームヒルトの肩を叩いた。軽い口調。緊張感を出さないよう。
「俺も何かできたらいいんだけどな。エルフで、しかも人間の村出身だ。亜人の上に立つってのは無理だろうな。でもできる限りクリームヒルトのサポートをするから、何かあったら言ってくれ。俺は君を支えたいんだ」
「クリスがいてくれれば、あたしは強くなれる。結婚しなくてもいい、子供もいなくていい。だから、あたしのそばから離れないでほしい」
俺はクリームヒルトの手を握った。
今は彼女を導こう。
俺の、そしてすべての亜人の敵。勇者アルフレッドに対抗し、この世界を守るため。
何て言うと、目的のために利用してるみたいで冷たいよな。
少し、本音を言えば彼女にひかれていたのかもしれない。父を失いながらも果敢に責任を果たそうとする彼女の姿は、俺にとってあまりにもまぶしくて……そして輝いて見えた。
もしアリスがいなければ、俺はきっとクリームヒルトと……。
止めよう。
余計なことを考えるな。今はただ、彼女を支えていけばいい。