暴食
イケニエ。
そう、ナターシャに言い放ったアルフレッド。
俺は理解が追い付かなかった。仲間だと、守ると言ってくれた彼の言葉を思い出し、ひどく混乱していた。
「あ……れ……私」
しかし、すぐに理解する。
ナターシャが刺された。
アルフレッドの手によって。
「なん……で……」
俺がそうであるように、ナターシャもまたこの光景を信じ切れていないようだ。いや、こちらと同列には扱えない。彼女は俺と違ってアルフレッドとともに仲間として過ごしてきた記憶があるのだ。その深い絶望と混乱は計り知れないだろう。
それにしても、アルフレッドはどうしたんだ?
まさか、大河みたいに誰かに操られて……。
「ばーか、お前、騙されたんだよ。亜人ごときが、俺の仲間になれたと思ったか?」
違う……。
大河の時とは違う。
操られていた大河は、会話もままならないほどに操り人形といった感じだった。しかしこのアルフレッドからは、『悪意』という名の明白な意思がおぞましいほどに伝わってくる。
こいつは、ナターシャを裏切った。
自分の意思で、計画的に……。
「そんな……私は……あなたを……」
付き合いの浅い俺でも分かる。
今、ナターシャの心が折れた。
「――〈暴食〉」
おそらく魔法かスキルの発動。
アルフレッドがそう口にすると、彼の身体を黒い霧のようなものが噴き出した。そして凝縮したその霧はまるで大型動物か何かのように形を成し、その鋭い牙状の部分でナターシャに食らいついた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
満身創痍、怪我を負ったナターシャに逃げる術はない。
それは、まさしく捕食だった。
霧の獣はナターシャの骨を砕き、血をすすり、そして肉を食らった。
あまりの衝撃的な光景に、俺は叫ぶことも助ける入ることも忘れて……ただ、呆然としていることしかできなかった。
時間にして、およそ十秒か二十秒。
ナターシャが……消えた。黒い霧の獣に食われて。
「クリフ、てめぇはクビだ」
霧を収めたアルフレッドが、改めて俺にそう言い放った。
「俺が欲しかったのは鬼族の仲間だけだ。てめぇみてぇな土いじりの魔法しか使えねぇクズに用はなかったが、まあ、役には立ったぜ」
「……役に、立った?」
「お前を守ることでナターシャは俺を信頼した。お前を仲間扱いすることでナターシャは俺を仲間だと思った。それほどまでに互いが結びついていたっつーわけだ。ま、記憶なくなったお前にこんなことを話しても無駄かもしれねぇがな」
「初めから……殺すつもりだったのか? この人を……」
「クリフ、てめぇは黙ってろ。どうせ頭イカれて記憶もねーんだろ? だったらこんな女の事気にするんじゃねーよ。くくくっ」
アルフレッドが笑う。
すると、少しずつ彼の身体に変化が生じた。
頭がうっすらと盛り上がり、角、のようなものが現れたのだ。
それは、まさしく『鬼族』であるナターシャの証。
「――〈鬼紋〉」
そして、ナターシャが使ったあの技まで忠実に再現。彼女と同じように体に白い紋様が浮かび上がる。
「アルフレッド……お前……」
「これが俺のスキル――〈暴食〉」
ナターシャの能力を奪った?
「俺は相手を食らうことによってその種族、ステータス、レアスキルの一部を吸収し、おのれ自身を強化することができる。鬼族の亜人は身体能力に優れているからな、その力が欲しかったってわけだ」
アルフレッドの頭部に角が生えた。赤髪をかき分けるように、強く……禍々しく天に向かってそびえ立っている。
「ま、『今のところ』俺は人間捨てる気はねーからな」
そう言って、アルフレッドは角を体内に収めた。どうやら吸収した人種は自由に変更することができるようだ。
「終わったかしら~」
そう言って森の奥から現れたのはヴィクトリア王女。ここにはナターシャの血が残されているのだが、まったく気にする様子はない。
王女もグルだった……ってことか。彼女の亜人に対する未来の姿を知っている俺からすれば、何の不自然さもない真実だった。
二人は、俺を無視して立ち去ろうとしている。
「俺を……口封じに殺さないのか?」
言わなくてもいい、余計なことを呟いてしまった。だが混乱する俺だから、正常な判断をするのは難しかったのかもしれない。
「おいおい、俺を殺人鬼か何かと勘違いしてんのか? 俺はお前と同じ人間だぜ。少し煩わしいからって殺しなんてしねーよ。ったく、人を異常な犯罪者みたいに言いやがって……」
「…………」
亜人のナターシャは人じゃない。
そう……言いたいんだろうな。
「お前運がいいぜ。いいタイミングで記憶なくしたな。頭まともなままだったら……冗談抜きで殺さなきゃなんなかったぜ。ま、終わったことは忘れとけ」
「…………」
本当に、それでいいのか?
確かに俺はナターシャと赤の他人だ。だけどたとえ間違っていたとしても、彼女が俺に向けていた好意や、守ってくれたという事実は本物。それを丸々無視して死んで良かったなんて……思えるはずもない。
アルフレッドは悪だ。でも今、それを俺が糾弾すれば……。
「それとも……復讐でもするか? ああん?」
心に秘めた善の心を見破られたのだろうか、アルフレッドはドスを利かせた声で俺を脅し始めた。
「忘れてるようだから教えてやるが、お前は無能の使えないクズだった。俺は善人の勇者で通ってるからよぉ、無視できなかったんだがいつも煩わしく思ってたぜ」
「……ひどい言い草だ」
「お前が俺のことを密告にしても誰も信じちゃくれねーよ。植物系は農夫の使うクズ魔法。ちなみにお前は俺の仲間になる前、田舎で農民として働いてた。将来に何の希望も未来もない、奴隷に等しい人生が約束された存在。なぁ、生きてて恥ずかしくなかったのか? ああ、お前は記憶を失ったんだったか? 悪ぃ悪ぃ、今のは言い過ぎたな」
なるほど。
どうやら俺は、この世界でも使えない無能だったらしい。
「それともお前、まさか……覚えてるなんていわねぇよな?」
「なん……だと」
「俺に殺されると思って、記憶を失ったふりでもしてたのか? 死にたくないから、ナターシャを見殺しにしたのか? はははっ、だったら面白いよな! お前は亜人を見捨てたんだ! 婚約者見捨てたことになるぜ!」
「違うっ! 俺は……本当に記憶がないんだっ! だから」
「だったら黙ったままでいろや無能がっ!」
ナターシャは死んだ。
今更、俺にできることは何もない。
「ま、俺が手を下さずともお前はここで死ぬがな。魔族の勢力圏、死の森モルガ=モリルから脱出できるわけがねぇ。くくくっ、俺に殺される方が幸せだったかもな。自分が雑魚だったことを恨めや、クリフ」
「雑魚は雑魚らしく、地べたに這いつくばって足掻いているといいわ。このわらわの声を聞こえるだけでも光栄に思いなさいっ! この無礼者っ! アルフレッド様がいなかったら、嘘でも仲間だなんて言わなかったわよ」
「じゃあな、クリフ」
「ああん、待ってアルフレッド様」
立ち去るアルフレッド。その腕に抱きつくヴィクトリア王女。
こうして、俺は一人のこの森に取り残されたのだった。