王女ヴィクトリア
勇者アルフレッド。
かつて魔王を瀕死に追い込み世界を救ったとされる英雄。
その伝説の存在が、今、俺の前に立っている。
今、この世界にいる俺の名はクリフ。
どうやら彼は勇者アルフレッドの仲間として、魔王討伐の手助けをしている存在らしい。
「しっかしまあ、大変なことになっちまったなぁ」
荒っぽい手つきで自らの髪をかきむしるアルフレッド。
「お前が変な魔法使うからだぜ、ヴィクトリア。どーすんだよこいつ、もし記憶が戻らなかったら……」
「はぁ? わらわは悪くないわよ」
そう言ってアルフレッドの声に反応したのは、近くにいた一人の少女だった。
年齢は十代後半といったところだろうか。美しい金髪を縦ロールでまとめた、いかにもお嬢様っぽい美少女だった。口調やその表情から察する限り、気の強い性格なのかもしれない。
「クリフが強くなりたいって言うから、植物の精霊を宿す召喚魔法を使っただけよっ! 同意の上だったんだから、事故は事故でもわらわは悪くないわっ!」
どうやら俺はこの美少女の魔法によって、この地に召喚されたようだ。植物の精霊ではないんだけど……。
そして何より気になるのは……その名前。
「ヴィクトリア? 女王……ヴィクトリア……か?」
驚きのあまり、思わず考えていたことを口走ってしまった。
女王ヴィクトリア。
そう、忘れるはずもない。かつて亜人や劣等スキルの俺を虐げ、駆とともに大河を陥れようとした……悪辣な女王。あの老婆と同じ名前だった。
「何も覚えてなくてもわらわの名前を憶えてるなんて、良い心掛けねっ! それも女王だなんて……、将来はそうなるのでしょうね!」
少女、ヴィクトリアは華麗に髪を揺らしながら、高らかにこう宣言した。
「いい、わらわはこの――パステラ王国の第一王女! 将来は女王としてこの国を治めることを約束された王なのっ! かわいく、可憐で美しく、そして聡明っ! 世界中から愛され、そして最も尊い存在っ! 今は聖属性の魔法を生かしてこの方と一緒に戦ってるけど、本来であれば庶民のあなたとは話す機会もないでしょうね!」
どうやら、人違いというわけでもなさそうだ。王族のヴィクトリアなんて偶然にしてはあまりにも出来すぎている。
なるほど、やっと状況が呑み込めてきた。
この世界は……過去だ。以前俺や大河たちが過ごしてきた世界から、おそらくは数十年前。だから女王が若返り、伝説の勇者アルフレッドが生きていた。
「クリフ、お前何も覚えてないのか? 魔法は?」
「…………」
手をかざし、〈森羅操々〉を起動する。
すると俺の足元からツタが生まれ、腕に絡みついていった。
「魔法は覚えてるみてぇだな。戦えるのか?」
「やれるだけはやってみるよ」
「ま、覚えてるかどうかは知らねぇが、お前は後方支援担当だったからな。あまり無理する必要はないぜ」
魔法は使える。
だが、〈古代樹の種〉によって強化されたあの感覚は存在しない。この調子では〈古代樹の木〉も〈緑神〉も生み出すことはできないだろう。
簡単な猛獣程度なら倒すことができる。だが、駆や大河みたいな強敵の相手はもう無理だろうな。遠くを監視したり長距離を移動したりも難しい。
不便を強いられるなこれは。またあの遺跡に行って種を貰ってこれるのか……。
「よし」
パンッ、と両手を叩いたアルフレッドが立ち上がった。
「お前をこの状態で連れまわすわけにはいかねーからな。とりあえず、元の村まで俺が送っていってやるよ。それでいいよな、ナターシャ?」
ナターシャ?
その名は、どうやらこれまでずっと喋っていなかった三人目の女性を指すらしい。
「ありがとうございます」
頭を下げるナターシャ。
俺のことなのにどうしてこの人が頭を下げてるんだ、と思った。保護者? 姉弟? あるいはごく親しい友人がそれ以上の……。
「クリフ……私のことも忘れてしまったのですか?」
「あ……ああ。ごめん、魔法とかは使えるみたいだけど。知り合いとかの記憶は……ない」
「そう……ですか」
そう言って俯く女性。狼狽したアルフレッドや無関心だった女王と違い、明らかに俺の記憶喪失を悲しんでいる様子だった。
この人……。
俺は改めてその女性を見て、ある特徴に気が付いた。
褐色の肌と美しい銀髪。その髪の中に、少し大きなコブのような隆起が見て取れる。
いや、コブというよりもむしろそれはツノだった。左右に二本生えたそれは、明らかに通常の人間とは異なる特徴だった。
亜人、か。
確か、鬼族だったかな。モルガ=モリル大森林の中には、鬼族の集落があると聞いている。おそらくそこの村の出身なのだろう。
「気になり……ますか?」
ツノに注目していた俺の目線に気が付いたようだ。
「私は亜人です。この見た目ですから……いろいろと言われることも多いのです」
「ああ……ごめん。変な勘違いをしないで欲しい。俺は記憶をなくしてしまったけど、亜人だからって変なことを言うつもりはないよ。俺は……あなたと親しかったのかな? だったら今後も話し相手になって欲しい。あなたにとっても俺にとっても、きっとそのほうがいいと思うから」
「あなたはやはり記憶を失ってもクリフなのですね。普通の人間は亜人を劣等種だと馬鹿にしているのに……。あなたのその言葉だけで……私は救われました」
「……劣等種だなんてありえないだろ」
アルフレッドはともかく、女王……もとい王女は亜人のことをなんとも思っていないのだろうか? 俺が知っている彼女は、『奴らは人でない劣等種』だと激しく侮蔑し罵っていた印象しかない。
今、目の前にいる王女ヴィクトリアは高飛車な様子ですべてを見下しているようにも見える。亜人だとか人だとか関係ない。おそらく自分以外のすべての人間を下に見ているのだろう。特に亜人だけに敵意を抱いている様子はない。
「んなこと気にしてたのかよナターシャ。クリフも、そしてお前も俺の仲間だ。劣等種だのなんだの、他人には絶対言わせねぇよ」
「アルフレッド様が言うならそうに決まってるわっ! 変なこと気にするんじゃないわよっ!」
アルフレッドの前だから猫を被っているのか? それとも、若い時には考え方が違ったのか?
とにかく、この四人パーティーで大した破綻もなくここまでやってきたらしい。前回の世界と違い、劣等スキルだと馬鹿にされて冷遇されることもないだろう。
少し、時間に余裕ができたということだ。
だからこそ、考えなければならない。
新しいこの世界で、俺が何を成すべきなのか。
どうすればアリスを……そして大河や瑠奈たちを救えたか。その答えを。