村長への婚約報告
翌日。
俺は村長の家へとやってきた。
この村において一番広くそして豪華な村長の家。上等な高級木材が使われているため、ほのかに良い香りがする。柱に刻まれた彫刻は村一番の美術家が彫ったものであり、こんな芸術品みたいな家はこの村の中でここ以外存在しない。
普段入らない場所だから、俺はとアリスは少し緊張していた。少し彼に苦手意識を持っている俺はなおさらだ。
だけど、避けては通れない。
この小さなエルフの村において、何をするにも村長の許可がいる。だから昨日の話を通すためには、どうしても……この男を避けるわけにはいかないのだ。
アリスに余計な虫がついても困るしな。
「結婚じゃと」
予想通り、村長はあまりいい顔をしなかった。
呆れるように小さく笑った村長は、わざとらしく盛大にため息をしたのち、子供を諭すようにこう言った。
「……お前たち二人は成人したばかりじゃろう? 少し早すぎやせぬか」
ぐっ……。
十五歳で成人、ということにはなっているが、長寿種のエルフにとってこの年齢は幼子も当然だ。
だからこの返答はある程度予想していた。そして、そう言われた時の応答も……。
「村長の言い分は理解してる。だから、今はまず婚約ってことにして、数年後改めて本当に結婚ということにしても――」
「それにのぅ、アリスは……」
「この卑怯者がああああああああああっ!」
不意に飛んできた、第三者の声。
頬に焼けるような衝撃を覚えたのち、俺は壁に激突した。
誰かに殴られた、と理解したのはそれから数秒後だった。
「ア……アレン」
拳を握りしめ、俺と村長の間に仁王立ちするエルフの男。
アレン。
俺たちと同じ村にいる、エルフの仲間。
筋肉質なアレンの拳から繰り出された打撃は、まるでハンマーか何かのような衝撃を俺にもたらしたようだ。頬が焼けるように痛い。おまけに口の中が血の味でいっぱいだった。
「なんだよ……アレン。お前……俺に何か恨みでも……」
「俺は五年も前からアリスに目ぇ付けてたんだよっ! 何抜け駆けしてるんだお前っ! まずは村長に許可を貰うのが筋だろうがよぉっ! 礼儀を知らねぇクソガキがっ!」
「じょ……冗談だろ……」
アレンが……アリスを?
ご……五年前って、アリスまだ十歳だぞ。し、信じられないロリコン野郎だ。
「そういうわけじゃクリスよ。残念じゃがアリスのことは諦めるのじゃ」
「……は?」
「お前ばかりに損はさせぬよ。二、三年後に別の娘をあてがってやろう。まだ若いから分からぬじゃろうがな、こういった将来の伴侶というのは年配者の助言を聞いておいた方が良いのじゃよ」
「ちょっと待ってくれ、俺たちは愛し合ってるんだぞ! それなのに、アレンが許可を貰ったからって……そんな……」
「何か問題があるかのぅクリスよ。わしには――」
「待ってっ!」
突然、それまでずっと黙っていたアリスが俺たちの間に割り込んできた。
「あたしは絶対クリスと結婚するのっ! アレンなんて知らないっ! 知りたくもないっ!」
「アリスよ、そう怒ることもあるまいて。アレンはクリスより逞しく、そして何よりお前のことを深く愛しておるのじゃ。そこの常識知らずな若造と違って、しっかりと礼節をわきまえてわしに話を持ってきた。これが大人の正しい恋愛手順じゃよ」
「へへへっ」
アレンが舌なめずりをしながらアリスを見つめている。
俺はアレンを見ながら、昔会社でセクハラをしてクビになったエロオヤジのことを思い出した。はたから見ていてあまりにも気持ち悪い、性欲を全身から噴射しているような情けない姿だ。
おそらく本人もそういった印象をよく自覚しているだろう。ああやってわざと気持ち悪いことをして、嫌がる女の子の反応を楽しんでいるのだ。
少しふざけてるつもりなのかもしれないが、冗談になっていない。苦笑いどころか吐き気を催す醜悪さった。
もちろんそんな様子をアリスが喜ぶはずもなく、嫌悪感をむき出しに体を震わせた。
「気持ち悪いっ! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ! 絶対こんな奴と結婚なんかしたくないっ!」
「わがままを言うでないアリスよ。お前の意思など関係ないのじゃ。この村の秩序と繁栄、そしてお前自身のために最良の夫を用意しただけにすぎぬ。それがなぜわからぬかっ! わしの半分も生きておらぬ小娘が! 女は黙って頷いていればよいのじゃっ! 逃げれると思うなよっ!」
「…………」
俺は、言葉も出なかった。
まさか……ここまでとは。俺は暴言吐かれる覚悟でここまで来たけど、まさか……アリスにまでとは。
アリスを連れてきたのは間違いだったかもしれない。俺が最初にこいつらと言い争いをしていれば、こんなひどい暴言は……。
涙を流したアリスの瞳は、光を失いまるで夢遊病者か何かのようだった。心に深い傷を負ってしまったのかもしれない。
「……結婚する、なら、あたしは……」
そう言って、アリスは近くにあった美術品を手に取った。
建物の隙間から差し込む光を、きらりと反射する金属。
ナイフだ。
「死ぬ」
アリスは首にナイフを当てた。
「ば、馬鹿、アリスっ! 何考えてんだ、やめろっ!」
自殺。
アリスの表情はとても冗談には見えなかった。鬼気迫るその表情は、まさしく死を覚悟した戦士のそれ。自分の意思を示すために首を切り裂いてみせたとしてもおかしくない。
この村で魔法をまともに扱えるのは俺だけだ。治癒系魔法なんて覚えてないから、そんな怪我をしたら……もう死んだも同然。
俺はすぐさまナイフを持つアリスの腕を掴み取った。
「放してっ!」
「冷静になれアリスっ! ここで死んでも何の解決にもならないっ!」
村ではあまり力の強くない俺だったが、幸いなことにアリスよりも筋力は上だ。
指を一つ一つ解いて、ナイフを奪い取る。