古代樹
体が、重い。
空に逃れた駆のスキルは、今、この地上にいる俺を苦しめている。
「人間は、空に連なる大気による圧力――〈大気圧〉を受け生活している」
重い。
苦しい。
呼吸困難、頭痛、吐き気、めまい、不快感。何もかもが増していく。
「しかし大気を統べる私の力をもってすれば、その圧力をも自在に操ることができる」
「な……に……」
「これはただ単に空気で体が重くなるといった単純な話ではない。血管、肺、脳に様々なダメージを与え、時には深い障害を残し死に至らしめる劇薬だ」
「……そ……ん……な」
「来栖、目障りな君をもう生かしておく必要はない。これから君は死ぬのだよ。ふふ……ふふふ……はははははははははっ! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」
見た目は、何も変化がないように見える。
だが今、確実にこの身に生じた体調変化は悪化し続けている。このままでは……死んでもおかしくない。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「おやめくださいっ! おやめください駆様。」
なんて……ことだ。
駆が連れてきた兵士たちがうずくまって倒れこんでしまった。どうやら、このスキルの射程圏内に入ってしまっているらしい。
大気圧を利用した駆の大技は、俺の含めこの近くにいるすべての生き物……すなわち駆の味方である兵士たちまで巻き込む大技だった。
奴は……味方までも犠牲にしようっていうのか?
「止めろ駆っ! このままじゃあお前の仲間までっ!」
「はははっ、何を馬鹿なことを言う来栖! 君が抵抗さえしなければこんなことにはならならなかったのだよ! かわいそうだと思わないのかね? 君のせいで罪のない兵士たちが死ぬ! 君が殺したのだよっ!」
「くそっ」
俺はがむしゃらにスキルを発動させた。
さまざまな植物が地面から生まれ、そして潰れていった。
駆のスキルがあまりに強すぎて、俺の植物が効果を発揮するほどに成長しきれないのだ。
植物が成長できない空間を生み出し、そこで俺を殺す。
それこそが駆の考えだした俺への必勝法なのだろう。確かに、このままでは何の抵抗もできずに嬲り殺しにされてしまう。そもそもこの技は植物だけでなく人間にも害を成すのだから。
強さが、足りない。
駆のスキルを上回る、力が。
俺には植物に関する多種多様な知識があったはずだ。そして、古代樹の種によってその力は強化されたはずだ。
それでもなお、駆に追い越せないのか?
どんなに優秀な実をつけ、硬い層に覆われた植物であっても、それは成長した後の話だ。たとえ古代樹の種によって強化されたとしても、この法則は覆せ……。
ん?
まてよ。
そうだ。
まだ、試していないことがあった。
あまたの植物魔法を理解し、そして使用することのできる俺のスキル――〈緑手〉。その範囲に漏れて今まで使用できなかった、あるはずのないもの。
そして俺は、その植物へとたどり着いた。
藁にも縋る思いで生み出したその植物は、駆のスキルを超えて速く、そして高く成長していった。
しかもそれだけじゃない。あれほど俺を悩ませていた大気の圧力もまた、完全に霧散してしまったのだった。
それは、巨大な木だった。
俺が今までみたどんな木よりも大きく、そして逞しく、神々しい光を放っていた。
「ば、馬鹿なっ! 私の力が……大気の圧力が……どうして……」
駆の力が消失している。
これは予想通り、というわけではない。良い意味で予想外だった結果だ。
しかし、明らかにこの植物によって生み出された副次的な効果であるのは間違いない。何が起こったのか予想することはできる。
「はぁ……はぁ……はぁ……木の……力……」
苦しい。
頭痛が止まらない。
駆の力が消失しても、俺の身体が回復することはなかった。この体に負ったダメージは周囲の空気とは関係ないからだ。
だが……悪化することも……ないはず。
「あ……ありえないっ! たかが樹木ごときが私のスキルを打ち破ったと? 草木の呼吸程度でどうにかなる技なら、そこら中に木が生えている森の中で成立するはずがないっ! ありえないのだよっ! 一体……この木は?」
「――〈古代樹〉」
俺の目の前に生まれた巨大な針葉樹。空に飛ぶ駆の高さをゆうに超えるその背の高さは、小さな山程度なら軽く超えてしまっているだろう。
そう。
俺がまだ生み出していなかった、未知の植物。
それは俺がスキルを強化した古代樹の種に連なる古代の植物。〈古代樹〉そのものだった。
古代……と名のつくものだから今はもう存在しない植物だったのかもしれない。だが魔法を使おうとしても知識が存在しなかった。
大気を圧縮させようとする力以上に、俺の生み出した〈古代樹〉が呼吸をして酸素を生み出した。遠く、そして深く地に根を張ったこの植物は、駆のスキルの範囲外から正常な空気を入れ込み、この周囲の大気をもとに戻した。
「こ……こんなことが……。私の……私のスキルが。最強の……力が……こんな、猿知恵だけの劣等スキルに……ぐ……ぐぅ……う……」
「ぐ……はぁはぁはぁ、終わりだ……よ、駆」
俺は〈森羅操々〉を使い〈古代樹〉を操った。
すると、鋭くとがった〈古代樹〉の葉が、勢いよく駆に向かって収束していく。
対する駆は大気による結界を張り、この技を防ごうと試みた。これまで繰り返してきた攻防と同じだ。
だが……。
「が……は……」
駆の身体に、無数の葉が突き刺さる。
もとより駆のスキルを無効化して生み出したこの植物だ。俺が魔法によって呼吸の方向性を整えたことによって、駆が張っていた大気のバリアもまた無力化することに成功した。
ここで逃げ出していれば、駆は助かることができたと思う。だが、俺の技を破られてショックを受けている奴の頭では、そこまで至れなかったというだけだ。
葉が突き刺さった駆の身体が、スキルの加護を失い地面へと落ちてきた。スキルがなければ生身の人間。何十メートルも上から落ちればどうなるか……火を見るより明らかだった。
ぐしゃ、と肉の潰れる音がした。落ちてきた駆の身体はありえない方向に曲がり、周囲に血をまき散らしている。
「…………」
駆は……死んだ。
こいつは悪人だった。そして俺の命も狙っていた。しかしそれでも、同級生をこの手にかけるというのはなかなかにこたえるものだ。
だけど、これで……決着。
俺は……勝利、したんだ。
アリス……これでお前を救って。
俺は……これから……。
「ぐ……うぅ……」
めまいが……する。
俺は駆の必殺技を打ち破った。だが奴の放ったスキルは確実に俺の身体を蝕んでおり、今もなお体を自由に動かすことができない。
アリス……。
村のみんな……。
大河……。
俺、やったよ?
これから、どうなるんだろうな? 村を救ったから、俺の存在……消えたりしないよな?
ああ……頭の中が霞んできた。
しばらく、休んでもいいのな?
目が覚めたら、村の様子を見に行こう。
そうだ、そうしよう。
少しだけ……休憩を……。
俺は……希望の……未来を……。
この手に……。