瑠奈の抗議
「しばらくはこの家を拠点にして使ってくれ」
大河に紹介されたのは、都市からやや離れた郊外にある一軒家だった。
いろははすでに中に入り、ベッドの中で休んでいる。
「ここは?」
「いざというときのために用意しておいたセーフハウスだ。最近、女王の監視が気になってな。隠れて用意してたんだ」
「…………」
実際、駆や女王は黙って村を滅ぼしたわけだ。こういった場所を用意した大河の判断は正しい。
「あの人たちは?」
俺は家の近くをうろうろしている男たちを指差した。大河と話していたから敵ではないと思うのだが……。
「俺が冒険者ギルドを通して用意した用心棒だ。兵士が近づいてきたら追い払ったりこっちに連絡したりするようになってる」
「俺が隠れるにはもってこいってわけか」
「すまないな。こんな形で使うことになるとは思ってなかったんだが……。俺が変なこと頼まなければ……」
「いや、召喚された日に大河が庇ってくれなかったら、きっと俺は奴隷か何かみたいな生活をしてたはずだ。俺は大河に感謝して――」
「来栖っ!」
突然、見張りを押しのけて俺たちの前にやってきたのは、瑠奈だった。
随分と必死で走ってきたのだろう。髪は乱れ、顔からは滝のように汗が流れている。
「瑠奈……」
「今のところ、ここにお前がいることを知ってるのは俺と瑠奈だけだ。時々二人で様子を見に来るからな。何か必要なものがあったら言ってくれ。いつまで身を隠すかは、もう少し様子を見てからってところだな」
大河だけじゃなくて、瑠奈にも心配をかけてしまったな。
「来栖、その髪……耳も」
「少し事情があって見た目が変わったってだけだ。何かの病気とか呪いとかじゃないから安心してくれ」
「どうして、私を連れて行ってくれなかったのっ!」
「瑠奈?」
突然のその言葉に、俺は戸惑うばかりだった。
「どうしてここを出る前に私に言ってくれなかったの! 大河から来栖がいないって話を聞いて……私、心配で……心配で。何日も何日も帰ってこないから、もう死んだかもって思うって、眠れなくて、涙が止まらなくて……私……。一緒に行けたら、こんな気持ちにならなかったのに、どうして……」
「瑠奈……無茶言わないでくれよ」
泣いている瑠奈。昔の俺だったら抱きしめて慰めていたかもしれない。
けど……俺は……。
「お前だって大河と同じぐらい目立ってるだろ? スキルのレベルだって、俺とは段違いだった。いつもこの国の兵士たちが、監視というわけじゃないと思うけど……話をするために集まってただろ? そんなお前が二日も三日もいなくなったら、捜索隊が結成されるレベルの大騒ぎになるぞ」
瑠奈は兵士たちの間で人気ものだった。
その美貌、レアなスキル、そして大河の隣にたち活躍する姿はまさに聖母か女神のそれ。英雄の大河と双璧を成す有名人。
だからこそ、連れていくという発想すらなかった。
大河と同じで目立ちすぎる。いなくなれば、すぐに気づかれてしまうほどに。
「そんなの……だって、だって私……」
「来栖を責めないでやってくれ、瑠奈。全部俺が悪いんだ。二人を行かせてしまった俺の……。だから今後は責任をもって俺たちが二人の面倒を見る。今は窮屈させてしまうかもしれないけど、俺がこの国で活躍できればいつか……きっとチャンスが……」
大河……お前、そこまで。
「来栖と一緒にいられないなら……こんな力、欲しくなかった」
そう言って、瑠奈はこの場から立ち去ってしまった。
反射的に、俺は彼女を追いかけようとしたのだが……。
「来栖は追いかけなくていい。王国の兵士に見つかったら終わりだ。ここは俺がフォローしておくから任せてくれ」
大河に肩を掴まれ、踏みとどまる。
そう……だよな。
大河が瑠奈を追いかけてこの場からいなくなった。
悪いことをしたかもしれない。
でも、許してくれ瑠奈。
俺はもう……昔の俺じゃないんだ。
高校を卒業して、大学に行って就職して死んで、そこからエルフとして十六年間の時を過ごした。
俺たちは、もう分かり合えない。
「…………はぁ」
とりあえず、こんな風に家の前で突っ立ってたら怪しすぎるよな。いくら今までと髪の色が違うって言っても、顔は似てるわけだからばれてしまう可能性がある。
建物の中で、おとなしくしておくか……。
そんなことを思いながら、建物の窓を覗いた俺は……違和感のある光景に思わず瞬きをしてしまった。
「いろは?」
いろはが、いなくなっていた。
窓の近くのベッドで眠っていたはずなのに、いま、そこには誰もない。毛布の乱れたあとがあるのだが、
目を覚ましたのか?
「いろは! いるのか?」
大声で、彼女の名前を呼ぶ。
返事がない。
落ち着け、ここは安全だ。彼女が攫われたりしたなんてことはないと思う。
それに今は追われる身だ。安易に大声で名前を呼ぶのは軽率だったな。
今の俺には力がある。
魔法を使って探せばいいだけのことだ。
――〈森羅操々〉。
植物を自在に操る俺の魔法、〈森羅操々〉。
それは本来、籠を作ったりばねを作ったりといった、あくまで自分の近くに便利なものを作り上げる程度の能力。思考を凝らせば応用が利き、様々な効果を得ることができる……そんな力だ。
だが、古代樹の種によって強化されたその力は、俺の魔法に新たな可能性を示してくれた。
索敵魔法――〈草々結界〉を強化し、この都市にいるすべての者たちの動向を把握し……すべてを監視する。
視覚は難しいものの、振動を介した音に関する情報であれば漏らすことはない。
この力をもって静かに周囲を探索し、いろはを見つける。
すると、いろははすぐに見つかった。
なんてことはない、どうやら建物の反対側にある裏口から外に出て、近くの木や建物を眺めているだけだった。
壁に阻まれて俺の声が聞こえなかったのか、それとも虫か鳥の声に隠れて耳に入らなかったのか。いずれにしても……大した騒ぎじゃなかった。
「なんだよ、びっくりさせるなよな」
俺はゆっくりといろはのもとへと向かった。