災厄の正体
〈災厄〉は攻撃してこなかった。
それどころか、むしろ好意的な感じの声でこちらに語り掛けてきてくれた。
アルフレッドが呼ぶクリフではなく、アリスが呼ぶクリスでもなく、大河や瑠奈のようにクラスメイトたちが俺を呼ぶ『来栖』、と。
「な……に……っ!」
アルフレッドの困惑する声が聞こえた。どうやらこの展開は奴にとっても予想外だったらしい。
だが俺も同時に混乱していた。俺自身もこいつが黒幕でアルフレッドの仲間だと思っていたからだ。
「お、お前っ! 何をっ!」
アルフレッドの抗議の声はすぐに消えていった。
俺とクラスメイトたちを除く、事情を知らない亜人たちが一斉に襲い掛かったからだ。戦いはまだ終わっていない。本来なら俺も加勢すべきなのかもしれないが、今、それよりも……重要なことができてしまっていて動けない。
この件の〈黒幕〉。それは魔王アルフレッドよりも優先すべき事柄なのだから。
「お前は、誰なんだ? 何で俺のことを名前で呼ぶ? 俺を殺そうとしてたんじゃなのか? アルフレッドを助けようとしてたんじゃないのか? 何なんだ、お前は……」
「私だよ。いろはだよ」
「……は?」
その、言葉に。
俺の思考が停止した。
いろ……は。
いろは。いろは?
いろは、という名前。当然心当たりがあった。
前園いろは。
俺のクラスメイト。おどおどした印象の三つ編みの少女。〈多言語解〉という知らない言葉を話せるスキルを持っていた。俺と一緒に行動してて、一緒に遺跡に行ったんだ。その時髪が白くなって、エルフになった俺と一緒に指名手配扱いになったから隠れ家に引きこもって。
最後に告白されたりもした。それを断ったのが最後の別れで、それから会う機会はなかった。
目の前のいろはは髪の色など多少面影を残してはいるものの、よく似た別人と言っても通用するほどだ。要するに、かつて転生して似たような容姿となっていた俺と同じようなものだ。別人だと思っていれば別人だと思えてしまう。女王が俺に気が付かなかったように。
いろは……か。
正直に言おう。
俺は今、いろはのことをほとんど忘れていた。
魔法とかスキルとか、そんな超常的な力が働いた結果強制的に忘れていたわけじゃない。本当に、ごく普通に忘れてしまっていただけだった。
あえて言い訳を述べるとすれば、時の流れもあるだろう。俺はいろはと別れてから駆や大河たちと戦い、そして過去に転移を果たした。その後クリームヒルトと戦い、〈災厄〉の力に侵され数十年の治療期間があった。
大河たちにとっては半年以内に起きた出来事かもしれない。しかし俺にとっては、数十年の時を経て再会した、ということになる。
もちろん王都にいた時やクラスメイトが揃ったとき、ふと、彼女を思い出すこともあった。大河にも所在を確認したが、行方不明だということを聞いた。戦いが終わったら探すつもりでいた。今すぐ、ではなく終わったらと言う話に納得したのは、俺自身の彼女に対する優先度や関心度が著しく低くなってしまっていたからに他ならない。
要するに俺の中で、彼女は過去の思い出になっていた。
だがこうして名前を出された今、当時の記憶は完全に蘇っている。そしてそれでもなお、俺の疑問は増えていくばかりだった。
「いろはが……〈災厄〉だったのか? いつからそうなったんだ?」
「〈災厄〉はね、この世界の神みたいな存在なの。時間とか寿命とかいう概念もなくて、すべてが私。来栖君が古代樹の種で〈森羅操々〉を進化させたように、私の〈多言語解〉はあらゆるものを理解し〈災厄〉へと至る進化を遂げた」
「…………」
訳が分からない? 遺跡であの種を食べたから〈災厄〉になった? なんだそのぶっとんだ設定は? 確かにあれ以来いろはの様子が少しおかしかったような気もするが、だからといってこの結果は……全く予想していなかった。
いや、そこじゃない。ここは旧友との再会を喜ぶ場所ではない。もっと切迫した、この世界の命運をかけた戦いの場なのだ。
彼女が〈災厄〉だというのなら、俺には聞くべきことが山ほどあるはずだ。
「待ってくれ。すべてがいろは? じゃあ、俺の村を襲わせたのも、過去に俺自身を狂わせたのも、全部いろはがやったって言うのか?」
「そう……」
頷くいろはを見て、俺はさらに混乱した。
「どうしてそんなことをしたんだっ! 俺の知っているいろはは心優しい人間だったはずだ。誰かを狂わせて傷つけるなんて、そんなことはできなかった。あれのせいで村の仲間が死んだ。大河たちは死にかけた。何か理由があったとしても……これは、あまりにも……」
「すべては、運命」
「運命……?」
そんな、抽象的な。
「〈災厄〉に時の概念はないの。過去、現在、そして未来に等しく存在する神。私は古代樹の種の力で〈災厄〉という名の神に至った。でも、それが〈災厄〉の誕生じゃない」
「……?」
「〈災厄〉は一人。だけど元となった人物は一人じゃない。私と、そして始原の神であったこの世界の女神」
「女神?」
「これは完全なる邪神。醜悪な敵。天使を滅ぼしこの世界に破壊と混沌をまき散らす存在。〈弄神〉と天使が名付けた運命を変えるその力は、時を超えていくつもの出来事を捻じ曲げていった〈災厄〉の力。そして彼女は、様々な悪事を行ったの」
な、なるほど。
つまり過去にあった悪行は、みんなその邪悪な方の〈災厄〉がやったことであって、いろはがやったわけじゃないと? そいつが俺たちの真の敵であると?
ん? あれ……でも待てよ。
「結局、いろはは俺の村を滅ぼしたのか? そのもう一人の〈災厄〉が滅ぼしたのなら、いろはが責任感じる必要はないんじゃないのか?」
「ううん、違うの。私が……滅ぼしたの」
苦しそうに、いろははそう告白した。
「村を滅ぼさなければ国が終わっていた。大パステラ王国が終われば、遠征していたクラスメイトは全員死ぬ。来栖君も、クラスのみんなの全員。それが〈災厄〉の最初に行った、国一つを滅ぼす途方もない災害」
「俺たちが死ぬ? 災害? それは一体……」
「考えてみて。もし〈狂神〉で狂わされたのが女王だったら? あるいは〈グランランド〉の盟主だったら? みんなが戦闘に慣れていないタイミングで、魔王アルフレッドに国を滅ぼすよう命じたらどうなった?」
それは、確かに考えたくもない話だな。だけど……。
「いや……それは、確かにもっと被害が出て俺も死んでたかもしれないけど、国一つ滅ぶレベルなのか?」
「〈災厄〉の〈狂神〉は、本来もっと強力な力なの。かつて天使族を絶滅寸前まで追い込んだように、広範囲で何千人もの人々を狂わせ、死に至らしめる」
「な……何千人も?」
「これは……必要な犠牲だったの。もう一人の〈災厄〉が捻じ曲げた運命を修正するために。魔王アルフレッドの意識を来栖君に向けさせ、そしてこの国の犠牲を最小限に抑える。時を超える〈災厄〉の力を使い導き出した、その未来が今。だから、村を滅ぼしたのもあなたを狂わせたのも、全部私……なの」
わけが分からない。
現在、過去、未来に跨る壮大な話になってきている。細かいところをいろいろと問いただしてみたいが、今、それほど安心できる状況ではない。
未だ亜人たちが戦っているのだから。
必要なことだけ、聞かなければ……。
すなわち、俺たちがどうすれば勝利できるか? あるいはもう勝利しているのか? 敵は……存在しているのか? その答えを。