前.
前編です。
「大人と子供のちがいなんて、たいしてないよ」
と。高校生の少女に言った記憶がある。
そのときは、本音で、そう言った。
そう思っている。
だが、しばらくして、その考えは変わった。
変わらざるをえなくなったのだ。
突然の家族の死。
事故ではなく、病死だっため。
半年から、一年の期間はあり。覚悟——というか、心の準備はじゅうぶんにできていたのだと思う。
ほんとうに、突然。不幸な事故で、覚悟どころか、別れのことばすら言えなかったかたたちにとっては。これを、突然と呼ぶのさえ、不適切と思われるかもしれない。
だが、そのひとに。
私が、これまでの恩に報いることが、できていなく。それを返すための時間が、もういくらも残っていないのだと、知らされるのは。
いくら不適切でも、突然、ということばを避けて語ることを。私は、いまだにできないでいる。
悲しくはなかった。
報いることが、できていなく。
悔しい。
恥じている。
それだけだ。
他の家族には、私を冷たいと思ったものもいるだろう。
べつに、それはいい。
そのひとに対する、感謝はあるし、愛情がないとか、そういう問題でもない。
ひとつ、終わったのだ。
そして、私はじゅうぶんな報いを、返すことができなかった。
それだけなのだ。——やはり、冷たい、とか。人間味がないとか、いわれてもしかたないか。
むかし、友人にも、言われたことがある。
「おまえは、人間に大切なあたたかみが足りない」
と。非難ではなく、忠告でさえなく。評価だか、分析だか、そんなところで。
「ほんとは、奥にあるんだろうけど。出しちゃえばいいのに」
笑いながらそういった、あいつの顔を、まだおぼえている。
まあ、ここまでは、たんなる前置きだ。
私がまいってしまったのは、家族の死、そのものではない。
そのひとの末期。私や、ほかの家族による介護がはじまったのだが。
そのひとが存命中に、せめてひとめ会わねばと。
そのひとの友人や、疎遠だった親戚などが、訪ねてきてくださった。
有り難いことだ。
素直に、そう思う。
だが、私には、負担でもあった。
親戚とはいえ。
ひとづきあいが苦手で、疎遠にしていたばかりか。顔や名前もろくにおぼえていない、彼ら彼女らと、日常的に接することになるのがだ。
私ではなく、両親たちと交流があるかたたちではあり。私自身は、幼いころお世話になっただけで。これでは、記憶になくても、しかたのないところはある。
亡くなったそのひとの、古い友人など、なおさらだ。
そのひとを通じてしか、わたしとは縁のない人間だからだ。
だが、こうして。そのひとに、会いにきてくださったことは感謝している。そして、その想いに、きちんと礼を尽くさねばならない、とも。
葬儀では、さらに精神をすり減らした。
そんなかたたちのなかで、私は、きちんと「遺族」の役をふるまわねば、ならないのだ。
もちろん、それをすることが。足を運んでくださったかたたちへの礼儀であり。私も、それをまっとうしたい、そう考えていた。
だが、どこかで。
私にも、無理がたたったのであろう。
介護の疲れも、少なからずあったのかもしれない。
会いにきてくれた、家族の友人や、親戚のかたたちは、ものすごく、よくしてくれた。私にまで、心づかいをしてくださって。こんなにくりかえすと、かえって、嘘くさい綺麗事のようにきこえるが、ほんとうに感謝している。
だが、それゆえに、申し訳なかった。
これまで、疎遠にしてきたことに、しかたない理由があろうとも。
あるいは、たんに私が不精にしてきただけ、といえる間柄も。
それなのに、私にまでかけてくださる厚意。それに、のうのうとあまえてしまうことに、ひどく恥じてもいた。
そんななか。
家族の死が、悲しくてではない。
その死に、ともなう状況が。
私に、ひとつの。考えの変化をもたらした。
後編につづきます。