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大阪を歩く犬5  作者: ぽちでわん
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西国街道と大原駅

パン屋があったけれど閉まっていた。右手は関西大学のきれいな高槻キャンパス。

しばらく行くと右手に、ここにも能因法師の墓があった。磐手杜神社の案内も出ていた。

車が走る高架道路(府道79号伏見柳谷高槻線)の下をくぐった。この北側が別所交差点。

右手、JR沿いに古い牛舎のようなものが見えた。

それから見覚えのある道と交差して、ここは安満遺跡から磐手杜神社へと歩いた時に通った道だった。

このあたりには岩さん、岩手さんも多かった。「磐手杜」となにか関係があるのだろうな。古い一帯だったけれど、すぐそばを線路が走っていて、雰囲気はだいぶ損なわれていた。

てくてく進むと、さらに鄙びた感じになってきて、右手に大泉寺が現れた。かつて春日神社に養楽寺なるお寺があったけれど、神社とお寺を分離させるようになった明治時代、お寺は廃され、移された薬師如来がすぐ横の山手町薬師堂にいるらしい。覗いてみたけれど、よく見えなかった。

平安時代のものと思われるそうだ。

次は瑞応寺があり、桧尾山春日神社の案内が出ていて、北上していってみた。前に安満宮山古墳に行ったとき、案内が出ていて気になりつつスルーした神社だった。ここも名神高速の向こうにあって、どんなふうに名神高速を越えて行く参道のパターンだろうと興味深かった。


大きな緑豊かな旧家を過ぎ、山手橋で渡ったのは桧尾川。

それから名神高速を普通にくぐった。ここは普通にトンネルになっているパターンだった。

どこか近くで工事が行われているみたいで、工事車両がトンネル内にも止まっていた。でも全然大丈夫。ここを通る車なんて一台もなかった。人も工事作業の人以外、誰もいなかった。

トンネルの向こうにすぐ現れた春日神社には「後鳥羽上皇行幸800年」と大きな碑がたてられていた。

詳しい説明はなかったけれど、このあたりもまた摂関家(藤原氏)の荘園(安満庄)だったところらしくて、それで春日神社(藤原氏の氏神)があり、上皇が行幸したこともあったのかな。

後鳥羽さんは水無瀬に離宮ももっていたらしく、水無瀬からここは散歩圏だし。

取り残された感じの神社だった。

集落との間に名神高速が通り、高速の北側には神社しかない。周りには何もなかった。右にも左にも上の道路に上がれる坂や階段はあった。上ってみると、高速の横の府道79号伏見柳谷高槻線。安満宮山古墳に上ったときの道だった。このあたりでは歩道は確保されていなくて、歩行者なんてまずいないだろうって前提でつくられた感じだった。

養楽寺があった春日神社というのはここかな。かつてはこのあたりの高台にあったのだろうな。


檜尾川まで戻り、川沿いを進んでいくと、府道(67号西京高槻線)に出た。

南には線路と、川沿いの素敵な緑が見えた。気になりつつスルーしたのだけれど、そこには日吉神社があったみたい。

神社について詳細は不明で、日吉神社といいながら祭神はニニギと天児屋根だったりするらしい。

67号線を東に向かうと、今度は北に法照寺の案内が現れた。坂を上って行ってみると、墓地がいっぱいだった。

西の方に細い木材で作ったような鳥居が見えて行ってみると、小さな富喜和神社で、ここは新興宗教系だったみたい(かな?)。

67号線に戻って続きを歩いた。左手に成就寺。地名は萩之庄。

バス停があって、右手に広い道路が現れたけれど、ここは工事中で、まだ完成していないようだった。今、工事中の「新名阪」って高速道路があって、そこにつなげる道を造っているところなんだって。

高いところをきれいな道路がはしっていた。これが新名阪なのかな?

雰囲気のある田舎だったけれど、これから幹線道路ができていって、変わっていくのだろうな。

今でも、右手にはJRと阪急と新幹線が走っていた。右手には淀川、左手には山があって、その間の狭いところをみんな走っているんだな。

また道路が造られているところがあり、ここにはけっこう家々が建ち並んでいた。地名は梶原で、梶村さんだらけだった。


左手にお寺と神社が現れた。

寺は田中寺でんちゅうじで、ぜんそくや痔封じのお寺だって。

神社は畑山神社。まちかど遺産「伝・林丹波守の五輪塔」なんかがあった。楠が立派だった。

白鳳期(飛鳥時代の終わり頃)の梶原廃寺の礎石も見つかっているそうだ。このあたりにお寺があり、裏山では瓦が焼かれていたのだって。

今もなかなかに広くて、雰囲気があった。元は室町時代に建てられた寺(永福寺)だったらしい。林丹波守が創建したんだとか。明治時代までは神も仏も分け隔てなく一緒になっていたから、寺には神社もあった。明治時代に寺と神社を分けるように天皇が決めたとき、寺は廃し、神社を残して畑山神社と称したのだって。

右手(南)には広がる平野と、そこを走る電車。左手には素敵な山影に建つ家々。

ずっと山際にあった名神高速がここにはなかった。それでこんな素敵な山影が見られるんだな。

名神高速はどこにいったのかというと、山の中の梶原トンネルを通っているらしかった。

このあたりの名神高速は、日本でつくられた有料高速道路第1号だったのだって。時は昭和30年代。車がスピードをだして走る高速道路は観光地と化して、路肩には観光地として高速を楽しむ人々がいたくらいだったのだって。

高速道路はドイツの設計技師の指導で設計されたそうだ。まだ車が100キロを超える高速で長距離を走ることを想定してつくられていなかった時代で、当初は高速道路でいろいろと車のトラブルが発生したのだって。


一乗寺や梶原一里塚跡があった。

JR(京都線)の線路沿いの道になり、高台に妙浄寺。線路の向こうあたりには「梶原台場跡」があったみたい。幕末のごたごたしていた時代には、西国街道はそこに設けられた関所を通るようになっていたそうだ。

JRの線路下をくぐっていく道には「上牧駅」(阪急京都線)と案内が出ていた。そちらの方は都会だった。ビルがいっぱい建っていた。

上牧も古代に牧のあった古くからの土地みたい。

古くは淀川はもっともっと川幅があり、支流も多く、そこに中州もいっぱいあった感じなのかな。

大和川と山とに挟まれた狭い小高いところに街道があり、その周辺は寺社も建ち並ぶ人家の密なところだったのかな。低湿地は牧になっていたのかな。街道周辺は昔のまま残り、低湿地だったところが新興住宅地になっていったのかな。

左手の新興住宅地っぽいところに普泉禅寺の案内が出ていたけれど、スルー。


道は上りになっていった。JRの線路を越して進んでいった。南には神内緑道が線路沿いに伸びていた。

神内こうない川でも流れていたのかな?

南は地名も神内(高槻市)で、梶原あたりにかけて神南備の杜があったところだそうだ。今はよそに合祀されてしまったけれど神南備神社もあったのだって。

そして神内や梶原のあたりではいろんな遺跡も見つかっているそうだ。神内遺跡、上牧遺跡、梶原南遺跡など。縄文土器や弥生土器、古墳群、梶原南遺跡では郡衙跡かもしれない建物の跡なども見つかっているそうだ。

西国街道の前身は山陽道で、奈良時代には、平城京から樟葉うまやへ、川を越えて対岸の三島の大原駅へと伸びていたのだって。大原駅の場所は不明だけれど、梶原南遺跡のある五領町(神内山のふもと)が有力な候補地だそうだ。

その駅に郡衙もあったのね。


このあたりで高槻市から島本町(三島郡)に入ったようだった。

なにも知らないと、のどかな、その割に線路や道路の多い、少し変わった丘を行く道。けれどここが大昔からの交通の要所だったあたりなのかもしれないんだな。

地名は桜井(島本町)だった。まだ上りの道が続き、いきなり都会に出た。

信号のある通りに合流し、ここを北上。

左手にNTT島本社宅やハイツが続き、島本駅(JR京都線)へ。パン屋などないかと探したけれど見つからなくて、コープの中のパン屋でおかあさんがパンを買ってきてくれた。いもとあんこのおやきがおいしかったな。

それから島本駅から帰ったのだけれど、その前に駅前の公園で休憩。

太平記という物語に、「桜井の別れ」が描かれている。楠木正成とまだ幼かった息子、正行との今生の別れの名シーン。物語の舞台は「桜井の駅」で、それが大原の駅のことじゃないかとされているそうだ。

つまりは舞台はここ桜井。公園にはそれを語る碑とか、いろいろあった。公園の名も「史跡桜井駅跡史跡公園」。

前に知ったことには、「桜井の別れ」の桜井はここじゃなくて、喜志駅近くの桜井じゃないかとも言われているみたいだけれど。


家に帰るのにけっこう時間を要した。帰りは疲れて爆睡するので短く感じるからいいとして、この距離を移動して、続きを歩くというのはきついものがあるな・・・。

そう思ったわたしはまだまだ未熟者だったな。年号は令和になり、わたしは島本町くらいなら近いものだな、と感じるようになる。

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