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大阪を歩く犬5  作者: ぽちでわん
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能勢街道と刀根山

あちこち寄り道してしまったけれど、能勢街道は南桜塚交差点から北西に道なりに進み、原田神社の西側(岡町商店街)を通ってここに至るみたい。

原田神社の西側の道を北上して、アーケードのある宮前通を進んでいった。信号で府道99号伊丹豊中線を越えた。少し上りの坂道で、ツシ2階の旧家なんかもあった。

右手には大門公園があって、ここは大門池を埋め立てたところだそうだ。このあたりまで善光寺だったというから、このあたりにその大門でもあったのかな?

また下りになり、地名は「岡上の町」だって。西には阪急電車が走っていて、低地になっていた。

岡上の町交差点で久しぶりの国道176号線に合流。服部天神から続いている幹線道路ね。道の向こうには墓地などあった。

すぐの豊中本町南交差点の道標によると、右折していくと箕面らしかった。そのまま176号線を行けば福知山・池田だって。

すぐ次の豊中本町交差点では都会の感じになり、阪急豊中駅が近かった。

交差点を大きな歩道橋を渡り、方向が分からなくなった。豊中駅を左に見ながら広い道(176号線)を進んでいった。


後で知ったことには、明治時代の頃までは能勢街道はもっと東側の道を行ったみたい。豊中本町交差点を右折して北上していく道。けれど山道で、物資の運搬に向いていなかったので、明治になって新しく平たん部に「新・能勢街道」がつくられ、その道をわたしたちは進んだみたい。元の山道を行く道は今では「石橋街道」とか呼ばれているらしい。

新・能勢街道の前方には、小高い緑と、上の方を走る大阪モノレールが見えた。箸方スキンクリニックなんかがあった。

右手(国道は西北西に向かっていて、右手は北)は低地のようで、昔は大きな池だったところじゃないかなという感じがした。

千里川を千里川橋で渡った。

右手に上る道があって、その上には池があるようだった。つい上がっていってみると、地蔵堂があって、ベンチなんかも置かれていた。その裏手が池だった。

円満寺なるお寺もあって、かつては池(箕輪池)のほとりにあったのだろうけれど、今は池との間に建物が建ってしまっている。

地名は刀根山だった。元は能勢街道はこの刀根山の山道を行く道だったみたい。

そして刀根山は荒木村重を攻めた信長の本陣、刀根山城があったところでもあるらしい。

元は本願寺の大寺院(刀根山御坊)があったそうだ。けれど織田信長によって討たれたかなにかして、刀根山城に。有岡城(伊丹市)にいる裏切者、荒木村重を討つべく、各地に軍を置いたところの1つだそうだ。

そして刀根山では、大昔の大きな象の牙の化石も見つかっているのだって。キバだけらしいけれど。


西の道路(国道176号線)の向こうには小高い緑が見えていた。さっきから見えていた緑のようだったけれど、中には入れないようだった。

中には現代的な建物が建ち、何だろう?と思ったら、麻田御神おかみ山古墳だって。前方後円墳なんだけれど、個人宅になっているんだそうだ。

古墳はどんどん壊し、寺がいつできていつ無くなったかも記録にもなく、どんどん古いものは捨てていっていた時代が千里方面にはあり、個人宅になろうと知ったことではなかったんだな、と思った。それだけこのあたりは戦い、戦い、また戦いで、過去よりも明日のことを考えて生きてきたところなのかも。史跡には意味はなく、過去のうんぬんはどうでもいい、それくらい戦いの多い地域だったのかも。

道は下って行き、蛍池交差点で167号線に戻った。ここで176号線を渡り、横の阪急宝塚線の踏切も渡り、すぐの蛍池駅に向かう道(府道11号大阪国際空港線)じゃなく、その次の道へ右折。

駅近だというのに、人の気配のない静かなところだった。

左手に立派な大きな石碑があって、「麻田藩陣屋跡」とあった。ここに美濃の青木氏がいて、陣屋をおいていたのだって。麻田が蛍池ほたるげいけに地名変更されたそうだ。

すぐ右手の11号線に出て北上して行ったのだけれど、その直前に蛍ヶ池公園や中学校があった。ここも池だったのだろうな。麻田藩は池を周辺にいっぱいつくっていたみたい。


横には高いところをモノレールが走っていた。ここからは阪急電車とモノレールの横を北上。

すぐに11号線は少し東に移り、細くなった道を北上して行った。

正福寺があり、このあたりから池田市みたい。モノレールは一瞬池田市をかすめて右折して東に向かっていった。ここから東に3kmほどで千里中央駅。さらに2kmで山田、それから万博記念公園、宇野辺、南茨木、沢良宜、摂津、南摂津、大日、門真市。

大阪北部もちょっとだけ地図が分かるようになってきた。

正福寺は、織田信長に敗れたとある武士が出家して、伊丹で住んでいた庵に始まるそうだ。その地に伊丹空港が造られることになり、ここに移転。大阪空港はこの南西に500mくらのところだった。


高速(中国自動車道)の下をくぐった。

ここを東に少し行くと待兼山町(豊中市)があって、マチカネワニが見つかったところらしかった。

体長7mだって。大きいなあ!

象とは違い、ほぼ一体分の骨が見つかったそうだ。

けっこう標高は高い所と思う。山というほどではないけれど、ゆるい上りを上がってきた印象だし、「小高い」くらいのところ。

この頃になって知ったのだけれど、何十万年って間には、高低差なんかもかなり変わってきているものみたい。地震やなんかで、高いところはより高く、低いところはより低く、ほぼ同じ高さだったものが今ではかけ離れていたりもするらしい。

ワニの歩いたいたところはどんなところだったのだろうなあ。


左手の小学校には「宮の前遺跡」の説明が書かれていた。

弥生時代中期や古墳時代などの遺跡みたい。旧石器時代の石器も見つかっているのだって。

前方に山が結構近くなっていた。

途中旧街道らしき道と交差したのだけれど、西国街道のようだった。まだ茨木市と高槻市しか歩いていないので、このあたりは未知だった。

阪急宝塚線の石橋駅が近いようだった。「レディースカフェ女人高野」なんてところがあった。

それから石橋商店街へ。

石橋駅から帰ると決めていたのだけれど、まだ時間が早くて、なかなか長くて賑わっている商店街を北に西にと歩いた。

パン屋をみつけて、お土産にゲット。おいしかったら、また西国街道歩きでも寄ろう。

それから石橋駅から帰途に。宝塚線は、地上を走ったり、高架を走ったりした。

面白かったな。豊中の本当の姿をちょっと見たような感じがした。岡町といい石橋といい、商店街も元気があって面白い地域だったな。

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