信貴山
秋になったら行こうと思っていた信貴山に、11月半ばのある日、行くことにした。
前にも行ったのだけれど、恩智神社から恩智越道で行くつもりが、道を間違えて山中を迷いながら行った。あれから1年。もう一度やり直したいと思っていた。それに「とっくり湖」(南畑)近くで見た紅葉をもう一度見たかった。
恩智駅(近鉄大阪線)からでもよかったのだけれど、1kmくらい遠いだけだからと、志紀駅(JR大和路線)から向かうことにした。
駅の東に出ると、信号を左へ。すぐにあるパン屋スワーハでまずはパンをゲット。この先、信貴山を下りるまで、パン屋なんてまずはなさそうだったから。買い食いできそうなのは、信貴山の茶屋で売っている焼きたて草餅くらいかな?
そしてそこから北東に1kmも行けば恩智駅のはずだった。それをどう間違えたか、正反対の方向に向かってしまっていたみたい。長瀬川沿いを南東に向かい、二股まで行ってしまった。元はここを流れていた大和川が、長瀬川と玉串川とに分かれていたという二俣。
今も、すっかり小さくではあるけれど、街の美観地区の一部のように存在する二股地点で間違いに気づいた。それでも玉串川沿いに北上していけば、恩智駅だった。それをまたも間違って北東に進み、近鉄電車を越えて、恩智川まで行ってしまった。
それでもまだ恩智川沿いを北上すれば恩智駅近くまで行けたので、大丈夫ではあったのだけれど、信貴山越えの前に1kmほどだけ歩くつもりが、なんだかやけに長く歩くことになってしまった。
ずっと近くにあった山が、どんと近くになっていた。
ゴミ袋に「八光殿」の広告の入った一帯では「犬の糞お断り。放置したら賠償金3万円いただきます」みたいな文言を見た。そしてヘリコプターが、轟音をたてて何度か飛んでいった。なんて無遠慮なんだと思う騒がしさ。
コープ野村恩智なるマンションのあるところで、なんだか古い道のようだったので右折して恩智川を離れ、東に向かっていった。
これがやっと正解で、天王の森(恩智神社の元の鎮座地)が現れ、さらに進めば恩智神社だった。
天王の森では保存樹木に指定されていたムクノキが切られていた。他のところでも、大きな木が切られているのを見た。ここらも台風の影響が大きかったのかな。
そして恩智神社に向かえばいいものを、右手に公園が見えるところで、ついそちらに進んでいった。久しぶりの恩智城跡公園は、せっかくなので寄らずにはいられない。
一番高いあたりまで上っていった。なんていう見晴らしのよさ。生駒山系を背にして、ビルディングの無かった時代には大阪湾の方までぜんぶ見えていたことだろう。
それから元の道に戻り、100%ただものでない集落をぬけていった。恩智神社の鎮座する高台に向かって勾配のある集落は、古くて、あえてその古さを守っている感じ。高安さんなどの旧家があった。
早く家を出たのに、もう11時を回っていた。もうこれ以上は時間をロスしないぞと、恩智神社には寄らずに、神社の右手の道を進んでいった。
「神宮寺小太郎の墓」の道標があり、長い階段が始まっていた。神宮寺小太郎は楠木正成、正行親子の家臣で、四条畷の戦いで討ち死にしたそうだ。神宮寺城にいて、恩智城の恩智左近とともに戦ったのだって。
階段を上りきると右手には恩智惣池があって、前回は間違えてそちらに行ってしまった。
今回は間違えずに左に。ずっと進んでいくと、神社の裏手を通り、神社の左側の道に出た。神社の右側から階段を上って遠回りしなくても、神社の左側の道を進んでいけばよかったみたい。すぐのところが神社の竜兎門だった。イロハモミジかな、モミジがきれいだった。
住吉大社と仲良しだという恩智神社だからか、住吉大社と同じく兎の像があった。ここの神(船戸大神かな?)と住吉大神が神功皇后を海路と陸路案内して、無事に韓国にお連れしたという話だった。三韓征伐の時ね。
11時半、やっと恩智越道スタート。
イノブタ注意と書かれたハイキング道は、ほぼ一本道だった。水飲み場や、ベンチなんかもあった。ここでも頭上を飛行機が飛んでいった。
紅葉シーズンだから人でいっぱいかもと思いきや、しばらくは誰とも出会わなかった。道中出会ったのは、二人連れのおばさん、のっぽのおばあさん、愛想のいいおじさん、不愛想なおじさん、以上5名だった。
途中、高安山への分岐などあった。オレンジのモミジがきれいだった。
まだ登りが続くのか~?と思っているうち平地になり、また登りになり、スタートから20分ほどでてっぺんあたりかと思われるところに到着。山々に囲まれて、きれいなここでベンチに座ってパンをいただいた。すごく小さなあんドーナツは、おもちも入っていて、空腹においしかった。
そこからは、緩いのぼりや下りで、ほぼ平地みたいなものだった。畑大池、高井田駅(6.5km)なんかへの道標があった。
霊園の横を通った。前回、迷ってたどり着いた高安山霊園かな。前回は最初から道を間違えて山中を突き進み、危ない車道から霊園にたどり着いて、霊園からやっとハイキング道へと軌道修正できた。道を間違えなければ、こんなにスムーズに進める、危険もない道だったんだな。
信貴山のどか村が現れたのが12時過ぎ。近いものだった。
のどか村の前で左折。このあたりからは前回歩いたのをよく覚えていた。ずっと進むと池があり、「二十五丁信貴山」「女(?)五丁信貴山」と丁石があり、地蔵がある。それから久しぶりの人家。「南畑歌舞伎座の碑」も懐かしかった。
ここは三郷町信貴南畑。山を越えて信貴山に至る直前の、田舎の集落だった。この南は柏原市の雁多尾畑。
山や畑の中に人家もあるけれど、人の姿は皆無だった。
禅入寺への矢印があって、前回はスルーしたけれど、今回は禅入寺の方にも行ってみた。随分な坂道を上った先にあった。地元の人たちは気軽に立ち寄れる素敵なところのようだったけれど、犬には入るのがはばかれて、Uターン。
そしてお寺の案内の立つ、その川(実盛川)向こうのモミジ。昨年はすごかったけれど、今年はまだ早かったかな、そこまでじゃなかった。
近づいていってみると、モミジの下には小さなお地蔵さんなどもいて、そこだけは江戸時代でもおかしくなかった。
集落には「石綿管の撤去工事」と書かれているところがあった。昭和の初め頃から、セメントに1~2割くらいの石綿を加えたものが鉄材の代わりに使われていたそうだ。安価で錆びないから重宝され、スレート板や水道管などに用いられたのだって。その後、劣化がひどいことなどが判明して消えていったけれど、昭和40年頃までは普通に流通していて、今でも石綿セメント管が使われているところが多々残っているらしかった。
道なりに進んで、左手は山(信貴生駒スカイライン)、右手は窪地というところへ。この右手にとっくり池があって、つり橋がかかっているらしい。
途中、車止めがあって、その向こうに丸い石の置かれた下り坂を下りていった。その先にはとっくり池。
昨年やって来た時には、このあたりには干し柿がいっぱい吊るされていたものだった。
池は橋がかかる割にはこじんまりとしていた。そこにワイヤーで吊るされた橋がかかっていた。絶対に揺らされないで下さいと書かれた橋は、風が吹くとゆらゆら揺れた。
渡ってみたのだけれど、なかなかに怖かった。そして橋を渡り終えたところのモミジが、黄色とオレンジのグラデーションで、そこに光が差して、きれいだった。この年の紅葉No.1はここだったかな。
桜の木は葉を落とし、もう残っているのは2枚ほどだけだった。よく見れば、もう芽をつけていた。新しい葉っぱの赤ちゃんかな。
大きなイチョウの木もあった。きれいなところなのに、ここにも不躾に飛行機が飛んでいった。
ここからはすぐ信貴山朝護孫子寺。
開運橋を渡ったのが13時過ぎだった。橋にはバンジージャンプの台があった。CLOSEDだったけれど、シーズンには飛んでいるのかな。
この橋で渓谷みたいな大門川を越えると朝護孫子寺で、平群町(奈良県生駒郡)。
前に食べておいしかった焼きたて草餅は、楽しみにしていたけれど売っていなかった。残念・・・。
「もみじまつり」とのぼりがいっぱい立っていて、人もかなり多かった。紅葉は「なんだこれは」というくらいきれいだった。
大きなイチョウがあって、日本で2本目に見つかった千手公孫樹という種類らしかった。その下を歩く道が素敵だった。なんて贅沢なんだろう。
本堂の見晴らし台(犬NG)にも荷物になって行った。100円払うところがあったけれど、有料なのは本堂の中みたいで、見晴らし台はフリー。けれど見えるのは近くの山ばかり。ここまでもきれいな山を見ながら来たので、その延長だった。
もっと高いところに信貴山城跡があるようだった。そこまで行けば、どんなに見晴らしがいいだろう。けれど今回はパス。
前回と同じくケーブル跡ハイキング道から帰るべく、仁王門から出ていった。門には大小のわらじが重ねられて吊るされていた。なにか意味があるのだろうな。
門そばにある猪上神社は記憶にあった。けれどあまり意味が分かっていなかった。今回はどきっとしたな。
そこに祀られるのは天足彦国押人命、5代天皇と尾張氏との間の息子だった。アメノホアカリの一族だ。
仁王門を出て、かつてはケーブル駅もあって門前町として賑わっていたのだろう通りを行くと、「90mで展望園地」と案内があって、90mならばと行ってみた。
トイレもあって、ケーブルがあった頃には、ちょっと寄るのにいいところだったのだろう。けれど今は人もおらず、遠くの山は見えもするけれど、木々であまり展望がきかず、車の音はよく聞こえて、いまいちだった。
そして1年ぶりのケーブル跡ハイキング道。前回と同じく、駆け下りた。2時前にスタートして、2時過ぎには下まで降りていたから、10分足らず。
そこからは前回は迷った記憶があったけれど、2度目なのでもう迷わず、学校の左手をそのまま同じ方向に向かって道を下っていった。毎回寄っているパン屋さんでパンを購入して、もう何度目かの信貴山下駅へ。
信貴山下駅では、前にはあったケーブルの駅にあるにふさわしい感じの地図が撤去されていた。
信貴山下駅から帰ってもよかったけれど、前回同様JR王寺駅から帰るつもり。
駅の右手の線路を越えるとすぐ三郷町役場と大和川。龍田大社の案内があって、懐かしかった。三郷町役場には差別云々の文言が多かった。
大和川沿いを左折して東に向かっていった。そこからいつも最初の橋を渡っていたのだけれど、次の歩行者用の橋(自転車も降りて歩行するようにと書かれていたけれど、みんな自転車に乗ったまま渡っていた)を渡れば駅に近いようで、そちらに。
橋を渡って、あと少しで王寺駅だった。王寺駅周辺にはリアルな動物の石像がいっぱいで、ちょっと怖かった。




