清滝街道と白庭台
車道を渡ると、その向こうに下りの道と、右手に向かう平面の道とが現れて、下りの道を進んでいった。民家の通り道みたいなところだったけれど。
また車道に至って、向かいには地蔵と俳句。俳句というか、「かるたウォーク」なるウォーキングコースがあって、そこにかるたの読み句が書かれているみたい。
ここを右折。車道を東に向かっていった。
歩道がなかったり、あっても道路の右だけとか左だけとか、ほぼ歩行者のことは考えられていない道だった。そのわりに狭くて、通る車は大型が多いので、ひやひやした。わたしはおかあさんにだっこされていたけれど、それでも。わたしたちの他に歩行者も自転車の人も他には見なかったから、考えなくてもいいくらいなのかもしれないけれど。
途中、新道の清滝峠をいつの間にか過ぎたようだった。旧道ではのぼりつめると峠だったけれど、新道は分かりにくかった。
そのままてくてく進んでいった。
左手、2つのトンネル口から車が出てくるのが見えた。
そして、さらなる車の社会へ。この先は自動車専用道路になるらしく、車が我が物顔でびゅんびゅん走っていた。歩行者は通行できないと見ただけで分かった。
「歩行者(奈良方面)はこちら」と案内が出ているのに気がついてそちらに。「歩行者(奈良方面)は旧道へ」と、矢印が出ているのだけれど、矢印に従って進むには、横断歩道のない、見通しもあまりよくない車道を渡らないといけなかった。
みんなトンネルの中の道へと進んでいくようで、車があまり走ってこないので助かったけれど。
寝屋川市野外活動センターがあった。こちらは「旧道」というだけあって、ほぼ車がやってこなくて快適だった。ただ「絶対ゴミを捨てないで」と書かれているわりに、ゴミだらけだった。
右手に大阪特殊自動車学校があり、次に左手にゴルフ場。それから左手に飯盛霊園。生駒山の西が四条畷霊園、東が飯盛霊園になっているようだった。
そして東大阪からは生駒を越えれば奈良だったけれど、四条畷市からは生駒を越えてもまだしばらく四条畷市だった。
下田原ランプ交差点にたどり着き、ここは知っているところだった。前に龍間越したとき(古堤街道歩きで)、あの怖かった龍眼寺からの道を歩いた先に現れた大きな交差点だった。
そしてここで、また困惑。飯盛霊園のある側の歩道から歩いていけばよかったのだけれど、わたしたちは反対側から交差点に進入していっていた。するとその先、歩行者が歩けるところはなく、目の前を信号のない車道から絶え間なく車が走り抜けていった。車との最前線に出てしまったかのようだった。
飯盛霊園前まで戻ってやり直した。
広い車道(旧163号線)をそのまま東に進み、下田原西交差点で前回(古堤街道歩き)同様、左手に分岐する旧道っぽい道に入って行った。
すぐ左手に「天満宮参道」が現れた。このあたりは、古い集落のようだった。立派な旧家が並び、左手の山側の高台にもずっと続いているのが見えた。
天満宮に行ってみた。階段を上っっていったところにあった。
詳細は不明のようだったけれど、天満宮、そんなものじゃなく、山の神様とかを祀っていたのだろうなあって感じのところだった。
川が流れていて、「西川大吉」と書かれた石碑があった。墓塔型道標だって。すごい名前の残し方だな。
西川橋で右手の歩道に渡れるようになっていた。
ここを渡って川(準用河川、戎川だって)沿いの歩道を歩いてみたのだけれど、これは失敗。横の畑から出された諸々が置かれていて、荒れた感じだし、歩きにくかった。
辻に地蔵がいて、「耳無地蔵 北へ○○(土中に埋まってる)」とある道標があった。
北(左)のほうは古そうな感じだった。気になったけれど、そんなに時間もなくてスルー。後で知ったことには、ほんの少し北に行けば法元寺があって、そこに耳無地蔵がいたみたい。○○の部分には「一丁」とあったんだって。一丁は100m少し。
法元寺についても耳無地蔵についても詳細は不明だそうだ。けれどお地蔵さんは耳の病にいいとされているのだって。
すっかり農村の感じになっていた。田んぼと旧家ののどかなところで、そこに車の列(国道168号線)も見えていた。
道が2つに分かれて、戎川は左の道沿いに続いていた。ここを右手の道へ。
川が現れて、高橋で渡った。これは天野川で、戎川が合流する川。ここが大阪府と奈良県との境のようだった。清滝街道もこのあたりまでみたい。磐船街道に合流して終わり。
磐船街道は北の枚方で知った道だった。枚方からここまで磐船街道が通っているんだな。そして枚方では、京街道歩きで天野川を渡った。淀川の支流で、七夕伝説も残る(そして彦星はニギハヤヒだったりする)
「天の川」は、この南の方から流れていくみたい。
ここで右折して、川と田んぼの間のあぜ道を南下していった。
北田原大橋交差点ではあぜ道が途切れて、車道を横切ったのだけれど、すごく揺れていて驚いた。道の姿をしているけれど、下を天野川が流れていて、ここは実質は橋だったみたい。
まっすぐ進むと大和高田・王寺、右(西)には大阪・四条畷、左には木津川・伊賀だって。地元で見る道路標識では見ないような地名ばかりで面白かった。
右手には緑を背にして、高台に旧家がいっぱい並んでいた。
大阪と奈良を分ける天野川には鴨がいて、途中、おかあさんは、足になにかをぶつけた。いたた、と足元を見ると、去っていく蛇が見えた。1mくらいの蛇が通行中、おかあさんの足とぶつかったらしかった。しばらく変に痛かったって。蛇との交通事故・・・。
清水橋、中央橋と天野川沿いを進むと、あぜ道がなくなって、山口川バス停が現れた。
出店北交差点で道が2つに分かれ、右手の道で進んでいってみた。このあたりに「まどか村」なるところがあった。鳥の鳴き声がしていて、たまごかけごはん350円だって。(犬もOKだったみたい)
右手は高台で、こちらに等しく向いた大きな旧家がずらりと並んでいた。
出店交差点(大阪府道かつ奈良県道701号中垣内南田原線)に至り、ここを左折していった。
後で知ったことには、ここで右折してしばらく行けば、住吉神社があって、さらにもう少し行けば月泉寺があったみたい。
田原って、日本最古のキリシタン墓標が見つかったってところだ。田原城主だった田原レイマンはキリシタン大名で、その菩提寺は千光寺だったのだって。千光寺は廃寺になって、その跡に月泉寺があるそうだ。
そして千光寺の墓地跡からは、レイマン(礼幡)の名と十字架の入ったキリシタン墓碑が見つかったのだって。
知っていたら、行ってみたかったな。
701号線を東に行くと、道は上り坂になり、左手は新興住宅地になっていた。おしゃれなお菓子屋さんとかもあった。
バス停があって、右手は古そうなところだった。山の中の田舎だったのだろうなあという雰囲気が残っていた。
それから右手に山道が現れて、その先は山の中に向かっていた。素敵な感じで、思わずここに入って行った。畑や池などがあり、どなたかの私有地らしくて、いろいろ地主からの注意書きが書かれてあった。けれどそれが「この池で泳がないで」とかで、歩くのは自由なのかな?
道はずっと続き、どこに続くのか、どんどん歩いていってみたかった。けれど、これでいつも失敗するのだ。道に迷い、いっぱい歩くことになり、時間は遅くなり、疲れ果てる。
だいぶ勉強してきたから、途中で引き返した。
そして701号線の続きを行き、右折できる最初の公道で右折。
この道をつきあたりまで進んでいった。新興住宅地のただ中だったけれど、途中「かんじょういけ緑道」なる道があって、素敵だった。そしてつきあたりで右折すればすぐ白庭台駅(近鉄けいはんな線)だった。
白庭台は最近できた新興住宅地のようだった。駅も新しく、町も新しくておしゃれだった。かしこそうな子どもたちと若いお母さんたちが目立っていた。
電車は30分くらいで大阪は本町駅(大阪メトロ)へ。アクセスはいいし、かなりの田舎に歩いて行ったつもりだったからびっくりした。
そして峠越えしたにしては早い時間に家にたどり着き、あとはゆっくり休んだ。




