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大阪を歩く犬5  作者: ぽちでわん
18/42

山田道

そこからは、吹田市のウォーキングルート「ぶらっと吹田」の「山田村コース」を歩いて行った。

山田道と呼ばれる道はいくつかあって、どれも切れ切れに残っているだけのようだった。「山田村コース」は山田村に残るなるべく古い道を歩くコースかな。

太陽の塔に向かいあえる丘を過ぎると、斜め右の道を下っていって、公道に出たら左(東)へ。

方角も、どこを歩いているかも、全く分からなくなっていたのだけれど、ここはまだ万博公園の南あたり。

車道が分岐するあたり、右(南)に向かう道があって、そこに入っていくと、下のほうに山田高校らしき学校が見えていた。その道には進まずに、左手、マンションの前の道を進んでいく。途中で道が2つに分かれたら、左手の上りの道に。急に静かになって、「痴漢注意」のポスターが目についた。

ここから静かな田舎に入るのかと思いきや、すぐ下りの道になり、そこは住宅だらけだった。最近山を切り崩したみたいな造成中のところもあった。

途中、右折して古そうな道に向かい、急な坂を下っていった。竹林があり、旧家があり、光源寺があった。しっとりとした古そうな一角で、別所自治会掲示板があった。古いだけあって、あちこちの屋根にブルーシートがかけられていた。

元はこの道の他はほぼ竹林だったのだろうな。そこが切り崩されて、ぜんぶが住宅街になっていったのかな。

光源寺の参道のような道を進んでいくと圓照寺。階段は歩かないでとあったから、地震やらもあって、危なくなっているのかな。

圓照寺が山田で一番有名なお寺のようだった。平安時代、最澄の弟子の円仁なる人によって開かれたと伝わるそうだ。円仁さんって初耳だけれど、行基と同じように「円仁開祖」と伝わる寺が各地にあるらしい。

歴代の天皇のおぼえもめでたく、大きなお寺となっていたけれど、応仁の乱の頃、破壊。乱で焼失はよく聞くけれど、燃えなくてもそういう目にあうのね。このあたりに城を築いた人がいて(山田城のことかな)、寺社は破壊されたそうだ。平安時代の仏像などは残っているらしいから、破壊される前に退避していたのだろうな。


圓照寺からこみいった道を南下していくと本説寺(ここは新しい感じ)。

このあたりは一帯が古くて、面白いところだった。地名は山田東で、大きな旧家がいっぱいあった。藁ぶきのおうちも普通にあった。吹田村と同じくらい大きかったらしい山田村の、中心だったところなのだろうな。

本説寺は車道沿いにあって、この車道を右折していくのが山田村コース。

山田村コースに進む前に、寄り道すべく左折した。この先に伊射奈岐イザナギ神社があるのだ。前に亀岡街道から寄り道しようとして断念した神社。

ほんの100mほど行った信号の手前に鳥居が現れた。川を小さな大宮橋で渡っていった。この川が素敵だった。素敵にカーブして、自然のままの姿に近く流れていた。山田川だった。千里丘陵から流れて山田を通り、味舌あたりで安威川に注ぐ。

神社は元は広かったのだろうけれど、今では道路や公園(あと小川公民館)なんかに境内を譲り渡し、かなりコンパクトになっていた。参道が公園の横を通っていて、そのそばの狛犬はイグアナのようだった。

ここは摂津国島下郡だったところで、伊射奈岐神社が2座あったそうだ。式内社で、そのうちの1座がここ。高庭山なる山だったところだそうだ。もう1座はこの南西の佐井寺ってところに鎮座。

拝殿には鏡が置かれていた。鏡が置かれているのは伊勢神宮系の特色だと分かってきた。

五柱(神様は「柱」と数えるのだって)の神が鎮座し、五社宮とか姫宮とか称されたそうだ。相殿に名が見えるのはアメノコヤネ、手力雄、天忍熊根、蛭子。あとはイザナミで五柱かな。伊射奈岐イザナギ神社だけれど、祭神はイザナミらしい。

ここも詳しいことはあまり分かっていないみたい。21代雄略天皇の時、伊勢神宮の外宮が祀られた山田(伊勢)に関わる地とも伝わるそうだ。外宮に祀る前、ここにしばらくとどまっていたとかで、ここが山田ヶ原と呼ばれるようになった(後に千里丘陵と呼ばれるように)、とか。

八幡らしき社の両脇には武者の人形がいた。

本説寺まで戻って、そのまま直進して、「山田村コース」を北西に向かっていった。


フルーツ餅の松竹堂なる明治創業の和菓子屋があった。

山田川を渡った。左手なんて古そうなのだけれど、そのバックにはマンションがそびえていた。

紫雲寺があり、もう少し進むと、旧竹中家(山田中村の庄屋)の馬上門。馬に乗ったままで通れたから馬上門だって。高い門だけが残され、それが新しいマンションの門に使われているものだから、妙なことになっていた。

そこから一本北側のJAのある道に移った。この古そうな通りからもエキスポの観覧車が見えていた。

竹中さんのお宅もあった。ここを進んでいって、道が2つに分かれると左手に。

「村長津中作治邸跡」が新しい公園になっていた。広い公園だった。緩い坂を下っていくと、大和棟かなっていうような建物もあった。

このあたりが一番、旧街道の面影を残すあたりだったのかも。けれど村長のおうちも公園になっているくらいで、だいぶ様子が変わってきているのだろうな。観覧車も見えた。

また山田川を渡り、道は緩い上りになった。

このあたりの旧家には「春日牧場」の牛乳受けがあった。春日牧場は茨木に明治時代につくられた牧場だそうだ。その後牛乳工場になって、平成の時代まで続いていたみたい。

右手の上り道には宗名寺、左には正業寺。このあたりも古いところで、旧家がずらりと並んでいた。次の四辻を過ぎ、次に右に入っていけるところで右折していった。

この上りの細い道を進むと小さな石像が、背の順に並んでいた。かつては田舎の山道だったのだろうなあ。

けれどもう少し進めば、いきなり駐車場と住宅だ。水路だっただろうところにも水は流れていなかった。つきあたりを左に行くと引谷公園があって、若い人が子どもを遊ばせていた。

川沿いには山田の集落が古くからあって、すぐそばの山々は未開のままで、そこにニュータウンが造られたんだな。

あと少し行けば大きなマンション群だった。ローレルハイツだって。素敵なところに建っていた。こんな高台の素敵な場所に居を構えるなんて、昔なら人里離れた庵住まいを覚悟しないといけなかっただろう。それが今や便利な立地で、しかも快適そうなマンション暮らし、そんな夢みたいなことがあるんだなあ。

マンションのロータリーで、左に1/4回って道を移り、ローレルハイツ5号棟の横を下っていった。


右手の高台に赤い屋根が見えて、小さな階段を上っていってみると愛宕神社だった。ところがここもすぐ横はアパートで、境内の隣はアパートの物干し場だった。

元の道を下って行くと、崖のように切りたったところに出て、斜めにつけられた坂を下って続きを歩いた。つきあたりを右折。

左に行ったほうが近道のようだったけれど、山田村コースに従って歩いて行った。

2号線の信号に出たら、左折して2号線を南下。山田川を八王子橋で渡った。おしゃれなお店なんかもあった。

いかりスーパーのある道へ右折(その前に直進したところにあるパン屋さんルマタン・ドゥ・ラヴィでパンをゲット)。上り坂を行くと、王子池なる池だった。

そんなに大きくない池で、周遊道もあったけれど、ちょっと草ぼうぼうだった。一応周遊道を行き、対岸の出口から出て、すぐを左へ。上りの道を進み、つきあたりをさらに上ると山田駅東公園だった。高台の、マンションでいっぱいのところだった。

ここを左に下っていけば阪急山田駅(千里線)。山田駅から帰ろうかとも思ったのだけれど、まだ時間があったので、南西の桃山台まで歩いてみて、桃山台駅(北大阪急行)から帰ることにした。

山田駅の地下道で駅の西側に移動。パンプラトーでパンを買い足した。

それから九十九坂なる坂道を上っていった。ここもおしゃれなニュータウンで、どこか素敵なよその国みたいだった。

ロータリーがあり、左に1/4回って、続きを歩いた。

津雲公園にたどり着いた。ここは高地性集落だったような素敵なところだった。元々山だったのを公園にしたのだろうな。昆虫採集するつもりらしい園児の集団が遊んでいた。10月だったけれど、「クワガタをとるぞ~」って。こんなところに暮らすって素敵だな。もしかしたら泉北ニュータウンなんかの、今や老人の多い公園も、できた当初はこんな素敵なところだったのかな。

ここで休憩して、パンをいただいた。津雲に九十九、どうしてここはツクモって地名なんだろう。そしてどうして九十九と書いて「つくも」なのかな、とか考えた。

いくつか説があって、99はももに1つ足りないから、「つく」になった、とか推測されているそうだ。


小さな祠があり、津雲台小学校との間を下っていくと、ピーコックなるスーパーがあって、ここでまたロータリー。ここでは2/5左に回り、南下を続けた。

九十九坂方面に比べて、こちらは古くに開発されたらしく、こてこて感があった。

今度は千里南公園。大きな池があって、釣り人がいた。木は倒れまくっていた。

公園の東側の道(府道121号吹田箕面線)を南下して、南千里駅前交差点で右折。西に向かうと今度は桃山公園。春日大池があって、すぐが桃山台駅だった。この南東に春日ってところがあって、春日神社があるようだった。

公園が多くて、公園をはしごしているうちに駅に着いた感じだった。

桃山台駅では「鬼のパンツ」の曲がかけられていた。本当は「フニクリ・フニクラ」というそうだ。北大阪急行南北線のチャイムに採用されているのだって。

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