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大阪を歩く犬5  作者: ぽちでわん
17/42

太陽の塔

それから次には山田道を歩きに行った。

前に亀岡街道を歩いたとき、寄ってみるつもりだった伊射奈岐神社にたどり着けなくて気になっていたし、ニュータウンの中にかろうじて残っているらしい北摂の古い道を歩いてみたくもあった。というわけで何度目かのJR茨木駅(京都線)へ。

山田道は万博公園近くから始まるみたいで、西の万博公園を目指して行った。エキスポロードではなく、まだ歩いたことのないもう一本南の道で。

北は駅前町、南は松ヶ本町だった。エキスポロードのような賑わいはなく、さびれた田舎町の雰囲気だった。下穂積交番前交差点で亀岡街道と交差。

Nittoなる大きな会社(日東電工)があり、大きなマンションも建設中で、このあたりから「さびれた田舎町」を脱却していこうとしているのかな。

春日丘小学校があって、このまま行くとエキスポロードに合流するようだったけれど、春日幼稚園の手前を左折。エキスポロードは万博公園の北側に続いているけれど、山田道は南側から始まっているようなので南下。

道なりに進んでいくと地蔵のいる辻があり、このあたりから道は西向きに上りになった。地蔵は不思議な、初めて見る形のものだった。2つ並んでいて、1つは頂上が平たく、1つは哺乳瓶みたいに凸になっていた。この日の散歩では他のところでも見かけたから、このあたりの風習なのかな。

次の辻を左折して南下。その前に、少し北にある神社に寄ってみた。

西に急な坂を上ったところにあって、ここも名神高速の走る高台のようだった。そしてここも春日神社。茨木に9つあるという春日神社の1つ、下穂積春日神社だった。

穂積は西が山になっていて、そこに上穂積春日神社、中穂積春日神社、下穂積春日神社があり、名神高速も南北に走っていた。「上」「中」は前に行ったけれど、下穂積春日神社はまだだった。ここでもまた、木がいっぱい切られ、黄色いロープがはられていた。

そしてここも創建については不詳。江戸時代と伝わるそうだ。


道を戻り、山麓部を南下していった。新旧の入り混じったところで、左手には素敵な旧家が残り、けれど新しく建った家もいっぱいだった。

右手の一段高くなったところに慈明寺。昔には、田舎の里のちょっと山を上ったところにある、見晴らしのいい寺だったのだろうな。今はイオンとかを見下ろしていた。

それから右手に竹ヶ池児童公園。正面は旧家の生垣で、ここを右に曲がると竹ヶ池だった。池全体を蓮が覆っていて、今は枯れかかっているけれど、シーズンにはきれいなのだろうな。

このあたりだけは田舎の様相だった。池から下っていけば、すっかり都会のようだったけれど。

ここは下って行かずに、「茨木西高校」の案内のある上り坂へ。左手に墓地が見えた後は、ずっとただただ住宅地だった。

広い上り坂に「さんくれ~る」なる集合住宅が並び、その裏、更に高台に茨木西高校があった。

さんくれ~るには、みどり地蔵がいて、説明も書かれてあった。「さんくれ~る茨木」(昭和53年)になる前は、ここもみんな竹ヶ池だったのだって。奈良時代には豪族、穂積氏の荘園の給水池であったそうだ。

ここは竹ヶ池なる大きな池のある丘で、そこに慈明寺と、いくつかの家々が建ち、あとは山林と田んぼってところだったのかな。けれど住宅が増え、竹ヶ池も一部を残して埋め立てられ、近くには名神高速やモノレールも走るようになっていた。

イチョウが街路樹として植えられていたけれど、台風21号で被害にあったんだろう。ちょうど木を切り倒しにかかるところだった。

地元でも、だいぶ切り倒し作業は進んでいて、住吉公園の桜もずいぶん目減りしていた。切られた木はまだいっぱい山になって残されたままだった。

若い職員っぽい男の人が「あの木とあの木と」と指をさし、作業着のおじさんが「いや、あれもあれもあれも、そのへんも全部だ」と言っていた。

大丈夫なようでも、ダメになった枝は葉っぱを枯らしていく。その枝はもろくて折れやすく、切っちゃわないとダメなんだそうだ。若者は枝を見て、おじさんは葉っぱを見たのだろうな。そばではおばさん二人が、今のうちにと落ちた銀杏を拾っていた。


さんくれ~るはまだ少し右手にと続いていくけれど、左手の道に。

昭和な感じのパン屋があった。気になったけれど、これから行く山田はパンの激戦区らしくて、スルー。そのまま進むと、名神高速の下を通り抜けられた。すぐ左折して、南下してみた。もしかするとこのあたりに万博公園への抜け道があるかもと思って。

ここもニュータウンのようで、けれど少しだけ古い家もあった。

ここでちょっとした坂を上り下りして、茨木市から吹田市に入ったみたい。そして道は行き止まり。やっぱりこちら方面からは行けないのか、と、名神高速の下を戻って、南下していった。そうしたらすごいところに出た。

中環(2号線)なのだけれど、その上にもいっぱい道路が走っていた。そこを車がごうごう走り、電車もまた上のほうを走っていた。そして観覧車も見える。

なんてこった、これがエキスポ跡か!と、呆然とした。大きな立体構造の、観覧車の見える、車オンリーの社会のただなかに、突然放り込まれた感じだった。

右手には吹田市資源リサイクルセンター。

右ではがちゃがちゃ(機械音)、左ではゴーゴー(車の音)、住居は皆無の交通網のためのような町だった。名神高速のほか、中国自動車道、近畿自動車道も走っているみたい。

右手に分かれていく歩行者用道路を進んで行った。歩行者はこのあたりでは車道を渡れないようだった。遠くには歩行者も渡れるのだろう信号が見えてはいたけれど。

資源リサイクルセンターの西側の階段から歩道橋に上がっていってみた。そこから見えたリサイクルセンターの北側は万博公園の一部のようで、広い駐車場になっていたけれど、車は一台も止まっていなかった。

歩道橋は南に向かっていた。そして北側には、モノレールの線路が宙に浮かんで、歩道橋と同じ高さのところに見えていた。

モノレールの線路にはオレンジ色の枠が造られていて、ここからだと、モノレールがやって来た時、ちょうどその枠からモノレールが登場するように見えるのじゃないかな。「20世紀に思い描いた近未来」、そのものの光景のようだった。

ここをお父さんに連れられて大阪万博に向かう男の子の、すごくわくわくする気持ちを、少し分かった。今でさえ、なんだかわくわくするもの。


歩道橋が分岐していて、規模が大きすぎて、よく道が分からなくて、そのわくわくも終わった。

分からないままにエキスポシティが案内されている方向へ歩道橋を進んでいってみた。ここは広い広い中環の南側のようだった。

中環の南側がエキスポシティ、北側が大阪万博のメイン会場だった万博公園。北側に通じる長い橋たちは封鎖されていたけれど、昭和45年、エキスポのときには通れたのだろうな。すごい数の人々が、いくつかの橋に分かれて通っていったのだろうな。

そのまま進むと、モノレールの万博記念公園駅近くに、今も北側に渡れる橋があって、多くの人々で賑わっていた。

地上は車社会だったけれど、高い場所にあるここは人々で賑わっていた。老若男女の人々が、北側の万博メイン会場跡地(自然文化園)へ、南のエキスポシティ方面へと、あちらこちらに向かっていた。

自然文化園にはパビリオン跡や太陽の塔があって、入るには料金がいるみたいだった。南にはニフレルやオービィ大阪など。

公園と言いながら、あまりに規模が大きくて、わくわくした。やって来るまでは、公園の脇からでも入れるんじゃないかと東側からせめてみたりもしたけれど、ここはそういうところじゃなかった。人々が車や電車で押し寄せる万博会場だった、そのままを残しているところ。

北側(自然文化圏など)は途方もない広さのようで、ペットNGだし、山田道を歩くべく、南に向かった。

振り返ると太陽の塔が見えていた。岡本太郎という人の作品なのだって。有名みたいだけど、なにかほくそ笑んでいるように見えた。


右手に人がいっぱい集まっている施設があって気になった(エキスポパークだったみたい)けれど、前方の階段も気になった。周囲には何もなくて、その上の空は広くて、そこに立ってみたくなった。

階段の方に進んでいった。

上るとそこはただの丘の上のようなところで、ベンチが置かれているだけだった。すぐまた下り階段が始まっていた。ここまでやって来る人はあまりいないみたいで、一人がベンチに座り、あと、買い物帰りらしい女性一人が通っただけだった。

振り返ると、みはらしがよくて、山がきれいに見えた。そして山をバックにした太陽の塔が見えた。塔のてっぺんあたりとほぼ同じ高さだった。そこから真正面に見た太陽の塔を忘れない。

さっきはほくそ笑んでいるようだった太陽の塔が、おいでおいでと言っていた。

腹黒い、醜い、小さい、弱い、そんなことも細かく見れば、あるだろう。けれどもっと高い位置から見れば、もっとグローバルに、広い視野をもてば、同じ時代を一緒に生きているって仲間、同じ地球に存在しているって仲間、そんな仲間への憐れみや愛を感じる。そんな世界においでおいでと、太陽の塔が言っていた。

岡本太郎さんがなにを思ってつくったのかは知らないけれど、おいでおいでって声が聞こえたんだ。

おうちに帰ってから、心に一番残っていたのは太陽の塔だった。岡本さんはあの階段の上、真正面から人々が見ることを想定して太陽の塔をつくったんじゃないかな?

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