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大阪を歩く犬5  作者: ぽちでわん
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天保山

涼しくなってきたら、電車に乗って天保山に行こうと決めていた。

そんなに急に涼しくはならないだろうし、夏の間に体はなまっているだろうし、とりあえず遠くはない、歩く距離も短く終わりそうな天保山がちょうどいいかと思って。

犬の身でありながらおかあさんと一緒に電車に乗って散歩に出かけるようになって4度目の夏。日本の夏は暑すぎて、30分を超えるともう死にそうになるので散歩もろくにできない。

近場を少しだけ散歩して、帰ったら氷を浮かべたミルクをもらって、あとはただただ惰眠。体がなまるなあ、と感じてきたらちょっとボール遊びにつきあってもらって、あとはただただ惰眠。

早く秋にならないかなあと待ち遠しかった。

そして9月半ば、最高気温は27度くらいと言っていた日、そろそろ中距離くらいなら歩けるかと天保山へ。大阪メトロ(中央線)で大阪港駅に向かった。地下鉄メトロといいつつ、途中からは地上に出て電車は走った。

駅で降り立ったところは、線路や一般道や高速道でつながっていて気づきにくいけれど、大阪湾に浮かぶ小さな島だった。


駅からは北に向かった。観覧車の見える方向に。

元々は難波八十島の1つだったのかな? 淀川の運ぶ土砂が堆積したりで、大阪湾にぽこぽこ生まれたらしいたくさんの島。

今では更に土砂が運ばれたり、新田開発されてわざと埋められたりで、川と海に囲まれている島ではあるけれど、地上に立つと普通の大阪市内だ。ただ道路がまっすぐで広く、そこを走る車は少なくて、道の先には観覧車が見えている、というのがちょっと変わっている。

すぐに観覧車にたどり着いて、左手は海遊館、右手には天保山公園。

とりあえず天保山公園に向かった。このあたりは大阪湾の一部のような安治川の河口部に近く、「関係者以外立ち入り禁止」の坂の向こうは岸壁のようだった。

すぐに着いた公園には天保山があった。日本で2番目に小さい山だそうで、ちょっとした階段と小さな広場があるだけで、山と言われなければ山とも思わない。

天保山の向こうは川で、小舟なども浮かんでいた。その向こうには、すぐ近く、上の方を阪神高速が走っていた。

天保山は江戸時代の天保年間に、安治川をみんなで浚って出来た山だそうだ。それで天保山というらしい。


難波八十島の時代、いっぱいの島があったりで航路の邪魔になり、大阪湾に入ってきた船は、小舟に乗り替えて島々の間を抜け、川口から淀川などをさかのぼっていっていたのだって。

江戸時代、乗り換えなしでもっと大きな船で大阪に入って行けるように工事が行われた。淀川の河口部にあって邪魔をしていた大きな九条島を貫通する安治川を開削して、安治川から川口に大きな船で入れるように。

江戸時代には鎖国していたから、入ってくる船は藩船とか商船とか、前に松島で知った朝鮮通信使とかだったのかな。船の便がよくなって、それで大阪は水の都になっていったんだな。

天保山は九条島よりも西にあって、安治川が大阪湾に注ぐ南側。

安治川が開削された後、大和川も付替えられて、淀川に合流していた大和川は流れが変えられ、堺の方に流れるようになった。

それで堺港に大和川に運ばれた土砂が堆積するようになって、堺港はだめになっていったけれど、その分、このあたりはだいぶ堆積がましになったみたい。

それでも堆積する土砂をさらって造られた天保山は、高さが20mくらいにもなったのだって。山には木など植えられて観光地になり、葛飾北斎も絵に描いているそうだ。灯台もたてられて、入港の目印になっていたのだって。

その後、ロシアの軍艦が大阪湾にやってきて不穏になり、天保山付近に砲台を設置。その時に土台に天保山の土が使われて、天保山は半分くらいの高さになったみたい。

日本で最初に新婚旅行に行ったのは坂本龍馬夫妻だと一般的には言われているけれど、そのふたりが旅立ったのもここだったそうだ。

新婚旅行と言うか、幕府のお尋ね者となって、京都の寺田屋で襲われて傷を負い、身を隠すためと療養のためもあって、妻おりょうと共に薩摩藩船で出立。ここから鹿児島の天保山(ここも天保年間に川をさらってできた山らしい)へ行き、そこから温泉などを回ったのだって。


そして明治時代になって、開国することになり、川口は外国船の行き来する港になった。

この東側、安治川河口部にある川口あたりは前に歩いた。今では交通網の発達した、道路でごみごみしているくらいの都心部のちょっと外れ。

残っているのは古い教会くらいだった。川口には外国人居留地ができ、外人さんの住む邸宅や教会、英語塾なんかも建ち並び、松島には居留地の人たちを得意先にする遊郭がつくられた。でも、もう何も名残はない。

当時、砲台跡地には天保山遊園がひらかれていたそうだ。クラブやプール、海水温泉、釣り場などがあった。

けれど川口は港としてはいまいちで、おおかたが神戸港を利用するようになっていったのだって。貿易商をする外人さんたちも神戸に移り、それが北野の町に今も残っている。

大阪では川口の代わりになる港を、天保山付近に新しく築く計画がたてられた。天保山遊園は閉園し、戦争などもあって、紆余曲折あって、大阪港が造られた。

明治時代から戦後にかけて、巨費をかけて港がつくられたのだって。ここはその中心地。

後には南港などもできて、天保山から出る船も少なくなり、平成になって観光地として再開発された。天保山ハーバービレッジがつくられ、それが海遊館や観覧車など。


天保山公園はなかなか広いように思えた。けれどどれくらいの広さかは、確かめられなかった。

天保山以外のところには黄色いテープがはられ、立ち入り禁止になっていた。大阪を強風が襲った台風からまだ2週間くらいしかたっていなかった。

その日、強い勢力を保ったまま大阪にやってきた台風は、大きなスレート屋根なんかを軽々と高々と飛ばしていった。家の窓の向こう、大きなものが、5階くらいの高さのところをビニール袋みたいに運ばれていくのを見た。

テレビでは観覧車がくるくる高速で回り続けている映像を見たけれど、あれはここだったのかな。

地元の住吉公園などでも木々が折れたり腐ったりで、立入禁止になっている区画がいっぱいあった。ここはほぼ全面が立入禁止。

船の音がしていて、阪神高速湾岸線や倉庫に囲まれている感じだった。


海遊館方面に向かった。壁の落ちた建物や、屋根をブルーシートで仮補修した家々もあった。

海遊館の手前で左折して、大阪文化館(永井GO展をやっていた)の前を南下していった。大阪湾はすぐそばだったけれど、このあたりも黄色いテープだらけで、海には近づけなかった。

島の中央を東西に走る大阪メトロの通る道(みなと通り)で右折。

右折した角の建物に存在感があって、思わず振り向いた。商船三井築港ビルと天満屋ビルだった。

商船三井築港ビルは1933年(昭和8年)に建ち、元は大阪商船の建物だったそうだ。大阪商船は明治にできた海運会社。

ずっと鎖国していたし、貿易が始まったけれど、まだ新しい分野で、いろんな船主たちが各々儲けを狙い、いろいろ不都合が生じていたそうだ。それらをまとめて大きな秩序ある会社をつくろうってことで住友家当主の代理人の広瀬って人(初代住友家総理事)が請われて奔走し、設立にこぎつけたらしい。後に三井と合併して商船三井になった。

元は3階建てだったけれど、盛土されて、地下のある2階建てになったんだそうだ。台風の度に甚大な水害被害が出て、盛土して海抜を上げたんだな。

大阪のこのあたりは海抜0メートルちょいしかなかったらしく、大雨が降ると大洪水。いったん水没すると何日も水が引かなかったそうで、水没は仕方ないにしても、せめてすぐに水が引くようにしようと、嵩上げしていった。地下鉄を掘って出た土とかが使われたそうだ。建物の周りも嵩上げされて、道路が2階くらいの高さになり、1階が地下になった。

大正区や西成区を歩いていても、半地下みたいな1階のある建物を時々見かける。

天満屋ビルは1936年のものだって。存在感がすごかった。

かつてはこんなビルが建ち並び、その前を市電が走っていたそうだ。大阪初の市電が走った通り、それが今のみなと通りらしい。明治36年に花園橋から築港までの5kmを結んでいたそうだ。花園橋は九条あたり。

当時、松島遊郭があり、遊郭って橋か門かからしか出入りできないようになっていて、遊郭に入れる橋の1つが花園橋だったそうだ。


みなと通りを西に歩いていくと、海に出っ張った中央突堤ってところがあり、ここからの景色が素敵らしい。突堤とっていって埠頭みたいな造りのところで、海岸浸食を防ぐ役割をしているのだって。

みなと通りの脇には緑道もあって、そこを歩いて海に近づいて行った。横を車がどんどん走るけれど、家や人はもう見なかった。そして、あと少しで突堤・・・というところで黄色いテープが現れた。

ハーバービレッジにも黄色いテープがはられていたから、ここにも黄色いテープがあることを予想しておくべきだった・・・。

横手のちょっと海の見えるところにだけ歩いて行けた。釣りのおじさんが一人と、たむろしている数人のおじさんたちがいた。

仕方がないからUターン。涼しくなったら天保山に・・・と決めていたけれど、台風被害のことには思い至らず反省。けれど今になって思えば、あの黄色いテープだらけの天保山はそれはそれで記憶に残っている。

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