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9話 苦労青年は語る

 我らは元は、ただの人であった。

 摩訶不思議な力を使えず、知らず、見たことも聞いたこともない――ただの人間であった。

 だが、そんな平凡は、ある日を境に切り離されることになる。

 それは唐突に、別々の地で同時に起こった。

 一人の少女は、己の両の手のひらに雪が。

 一人の少年は、己の両の手のひらに炎が出現したのだ。

 たちまちその“力”の何たるかを知った二人は、その雪で魚を凍らせ、その炎を鳥に変えてみせた。

 ――思えば、その時には既に、二人は天に導かれていたのかもしれない。

 だが、愚かにもその少女と少年は、己の使命までは気付かなかった。

 己こそが超常的な存在だと疑わず、傍若無人に振る舞った。

 ……本当に、愚かだった。

 超常的な存在は、天は実在したというのに……。

 …………。

 ……。

 そのお方が姿を見せたのは、あまりに早かった。

 特別な力を持った二人の人間は、その日同じ夢を見たのだ。

 そこは見知らぬ紺碧の異空間で、目の前には青く緑色に輝く巨大な球体と人の形をした者がいたという。

 二人は白と水色の布に包まれたその後ろ姿の在り様に、ようやく己の使命を理解したらしい。

 ――方や、長身で長髪の彼女は、この世を嘆いていると。

 ――方や、長身で長髪の彼は、この世に飽いていると。

 ああそうか、そうだったのかと、たちどころに二人は納得する。

 なぜ己の手は、雪で周りを冷やし凍らせることができたのか。

 なぜ己の手は、炎を自由自在に操ることができたのか。

 なぜこうも、不思議な現象を起こせたのか――? それは、神としか呼べないこのお方が、我々に力を与えてくださったからだ。

 神の使いとして、神の悲しみを癒すために。

 選ばれし人として、神の渇きを潤すために。

 あのお方は嘆いている。傷ついた人の子をどうすることもできず大層嘆いておられる。

 あのお方は飽いている。いつまでも変化がなく、鑑賞することしかできず飽いておられる。

 垣間見えるあの黒眼に満ちた曇りを晴らすのが、我の役目なのだ――!

 己がどうあるべきかを理解した二人は夢から覚めて、速やかに己の使命を実行した。

 後に『魔女』と称される彼女は、山の麓で蔓延していた病を払い、一つの村を救った。

 後に『悪魔』と称される彼は、最も繁栄している王国の城に潜入し、一人の姫を魅了した。

 全てはあのお方のために。あのお方を少しでも笑わせるために。

 故に魔女は力を活用し、慎み深く、思慮深く、他人を思いやった。

 故に悪魔は力を活用し、身勝手に、気ままに、自分勝手に踊った。

 それが全ての始まり。

 夢を見たのは彼と彼女だけでも、その姿は全ての人間と子孫の眼に焼き付き、虜にした。

 だから誰もが、彼らのことを敬意をもってこう呼ぶのだ。

 『魔女』と――『悪魔』と。




「……と、まぁこれが先祖が見たっていう夢であり、俺らが生まれた訳でもあるが……」

「……『異空間』」


 テーブルの上に開かれた書物。その綴られた文章を目で追いながら、ぽつりと呟くワカバ。リルマは頷き、異空間の文字に指を乗せる。


「そう。原初の悪魔と魔女であるこの二人は、わざわざこの場所を異空間と伝え残している。これがワカバのように異空間だと感じたからか、それとも夢の中で全然知らない場所にいたからそう思っただけなのか定かじゃねぇが。先祖はもうずいぶん前に他界しちまったし、先祖以外にこの夢を見たっていう人物は一向に現れないからな」


 リルマの言う通り、他に先祖と同じ夢を見た人物はいなかった。少なくともワカバは聞いたことがない。今朝自分が見た夢は、この話を聞いて自分が想像しただけであり、いわば空想の夢。本物ではない。

 なぜそう断言できるかといえば――自分の見ている夢の中のあの方は、明らかに女性であるからだ。本物であるなら、女性か男性か区別できないほどに中性的な顔立ちのはずである。ここまで解釈が分かれてしまうくらいに……。

 そして、何より、あの空間を夢と感じても、異空間と感じたことはなかった。

 ――そう、異空間。

 神秘の森に入ってしまった時の、あの感覚に。


「もしこれが異空間と感じてのことだったら、例の神秘の世界にいる可能性は――ある」

「……」

「ま、宇宙なんて地球の外にいるかもしれないけどな。そうだとしたら俺達にはお手上げだ。行けないどころか、あるかどうかさえわからない理論上の場所なんだから」


 続けて放った彼の言葉に、ワカバは耳を貸さなかった。宇宙なんてあるはずないだろう。本の読み過ぎだ。顎に指を添えて、前屈みになっていた姿勢を椅子の背もたれに倒し、思考する。

 ――確かに、あの森にいる可能性はあるかもしれない。あの世界ならばいてもおかしくない。

 それだけの、神秘的な世界だったから。

 聖なる場所のようには感じなかったけれど、私たちがいるだけで冒してしまうような――神域の世界。

 ……いや。

 穢れていなかったのは、あの森だけで……あの方がいる紺色の空間は、きっと……。


「……もしも、いるとして」

「ん?」


 黙り込んでいたワカバが声を発し、反応するリルマ。読み進めていたページから顔を上げる。

 彼の顔を見て、改めてワカバは思った。

 ――やっぱり、何を考えているのかわからない顔だ。みんな時々、そういう顔をする。

 だから、問うた。


「リルマは、あの方に会いに行くのか?」


 自分には、わからなかった。

 彼が行きたがっているのか――そして、自分が行きたがっているのか。

 あるいは本物に会ったとして、どうすればいい? 私は何を話せばいい?

 何をするのが、どう判断するのが、あの方のためになる――?

 だから、彼に訊いてみることにした。判断の材料になると思ったからだ。

 案の定、彼はきっぱりと、すぐに答えてくれる。これ以上、迷いなく。


「行くよ。行けそうな場所だったら、神秘の世界でなくても行く」

「……じゃあ、仮に会ったとして、どうするんだ?」


 俯きつつ、視線を彼の方へ上げるワカバ。するとリルマは考え事をするようにやや仰向けになり、


「そうだな……。まだ具体的にはこれといって考えてないが――」


 見上げていた顔をこちらに向き直し、努めて冷静に、いつも通りの顔をして、彼は言い放った。


「とりあえず殴る」

「えぇ!?」

「あとはその場の勢いでガツンと言うだけ言って、帰るかな」

「ちょ、ちょっと!」

「あ、女だった時のことを考慮して、ビンタの方がいっか」

「そういう問題じゃなくてっ――!」


 バンッと机を叩き、コップが少し跳ねて波紋が起きる。

 しかしリルマは手のひらでだらりと頬杖をついたまま、少しも動揺することなく平静と返した。


「なんだよ。なにしようが俺の勝手だろ?」

「ダメ! ぜーったいにダメ! 君だってれっきとした悪魔だろ? あんな弱った人に急に殴り掛かるとか何考えてんだよ!?」


 あの方がどれだけ絶望しているのかはリルマだって理解しているはずだ。なのに、なんで……。

 問い詰めると、彼は軽く息を吐いて、持ち前の悪人面であるジト目を向けた。


「別に至って普通の考えだろ。シュウに訊いても同じ回答をするか、興味ないってばっさり切るだろうぜ」

「なっ!?」


 もう訳が分からない。こいつには同情という気持ちはないのだろうか?

 さしもの良心を携える長寿の魔女でもドン引きするような苦々しい表情を浮かべ、一転して真剣な顔つきになる。


「わかった。じゃあ私も行く。リルマを止めるために」

「……いいけどよ、やると言ったら俺はやるぞ」

「だから止めに入る。何が何でも、絶対に」


 顔の向きを逸らし、眼を閉じて意思を固くして告げるリルマに、ワカバは金色の瞳を輝かせて更に意思を固くした。彼女のそれは、子供がムキになっているようにも見える。

 再度リルマは、ため息をついた。彼女があの方とやらを見たとき――どんな反応をするのか、何となく予想できてしまって。

 ……でも、見せる必要は、きっとある。現実を見なければ、彼女はいつまでも逸らし続けるだろうから。


「ねぇリルマ、もしかしてそれで今回、あっさり承諾してくれたのか?」

「――え? 何が?」


 声につられて、彼女の方へと視線を向けるリルマ。ワカバは大人しく座って、お茶を口にしていた。


「ほら、いつもは探し人を助けに行くの、反対するし付いて来てほしいって頼んでも断るじゃないか。なのに今回は頼まれる前に付いて行くって言ってたから、神秘の森に行って神に会いたかったのかなって」

「ああ……そのことか。珍しくコウが付いて行こうとしてたからな。それだけ危ないもんに首突っ込んでるんだろうと思っただけだ。反対なのは変わらない」

「……そう」


 また、否定した。リルマはいつも、魔女の使命を否定する。良い奴ではあるけれど、こういうところが苦手だった。

 ……と、そこへ、ガチャリと後ろから音が鳴った。扉が開く音だ。


「待たせたな。終わったぞ」

「うぅ……」


 大人びた女性の――シュウの声がする。振り返れば、そこにはフランクな格好をする彼と、足元にはげっそりとした様子の小さな麦わら帽子の少女、コウがいた。


「あれ? もう一時間経ったのか? まだ三十分くらいだと思うんだけど……」


 ワカバがきょとんとしてそう尋ねると、シュウは煩わしそうに仏頂面を崩すことなく答える。


「ああ、俺としたことが別世界の虎を捕まえるという何よりも優先するべき事項をすっかり忘れてあんなことを口走ってしまったよ。こいつに言われて思い出した」

「……え? その……診断に一時間かかるって聞いたんだけど?」

「……ん?」


 話が噛み合わない。というか今回はどんな建前を使ったんだったか……あ、思い出した。


「ああそのことか。特に異常が見られなかったから予定より早く終わったんだ」

「そっか……良かった」

「……」


 心の底からほっとしたように笑うワカバ。なんでこんな嘘に騙されるんだよ……と、コウは責めるような視線を送る。が、気付かれない。

 そんなことはどうでもいいとばかりに、「それよりも」とシュウは催促した。


「二人とも、行くぞ。虎を捕まえに行くんだろ?」

「ちげーよ! 俺の話聞いてなかったのか? 虎はついでで、目的は森の中にいる探し人だっての!」

「あん? 探し人なんてそれこそ明日にでも回せばいいだろ。虎の方が絶対面白いって」

「面白いかどうかの話なんてしてねぇー!」

「あはは……」


 二人のやり取りに、コウはもう苦笑いするしかなかった。相変わらずだなぁこの人は……。

 それからシュウを説得し、診療所を出たのは、約三十分後のことである……。

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