6話 苦労青年はフォローする
「リルマ、どうして……」
苦しそうな形相のワカバから名前を呼ばれた青年は、寄りかかっていた扉から離れ、二人に近寄る。
「昨日、デーウィがこっちの方角に歩いてるのが見えたから、もしかしたらって思ってな。ったく、あいつのちょっかいなんて無視すりゃいいのによ。別におまえとは直接的な関係なんてないだろ? いいように利用されやがって」
肩を竦める仏頂面のリルマ。しかしワカバは、そんなこよりと必死に問う。
「そうじゃなくて、どうしてコウを行かせようとするんだ? 万が一にもあの世界に入って、妖に襲われでもしたら……」
「……」こっちの話も聞けよと思いながらも、青年は抑えて頭をかきながらどう答えるべきかを考える。
コウがやらかしてしまった直後ならなおさら、ここで言葉を選び間違えたらややこしくなる。しかもワカバが納得できるような根拠で、嘘でない根拠……その辺も汲みいれながら、脳内で主張を組み立てるリルマ。ややあって、声に出す。
「まずコウが、なんで急に『死ぬときは一緒だ』なんて無茶苦茶なことを今言い始めたのか、その理由はわかるか?」
「そ、れは……」
――わからなかった。考えようとさえ、しなかった。何も思いつかない……。
頭が痛くなるほどに洪水状態の錯乱状態なワカバは何も言えなくなり、ふとコウの肩を掴んでいた力が緩くなる。
その様子に腕を組んでいたリルマは片目を細めて、答えた。
「止めたいからだよ。おまえを。死なせたくなかったんだ。俺は神秘の森なんてものに入ってないから何とも言えないが――ともかくそれくらい危険なんだろ? その妖って虎」
「……」
無言で肯定するワカバ。逃げきれればいい方……遭遇したあの日、奴からはそんな気配を感じた。
「なのにおまえは是が非でも行くときたもんだ。力で叶わないし説得もできないなら――まぁこういう手で責めるしかないわな。おまえが意地になったからコウも意地になった。それだけだよ――っと、合ってるか?」
植物の近くにいるコウに視線を移し、確認するリルマ。少女は頷く。
「うん、だいたい合ってる」
「……でも」
納得はした。だがそれでもなお、反論しようとするワカバ。
己の身が危険に晒されるのは一向に構わない。悪魔は能力を持っているから自己防衛できるだろう。しかし、何の力も持たないコウを巻き込むわけにはいかない。だからこれまでも、少しでも危なそうな勘が働いたら遠ざけてきたというのに……。
そんな彼女の態度に、リルマは呆れたように言った。
「あのなぁ……コウは神秘の森に行くことまでは譲歩してるんだぞ。ワカバもこれくらい譲歩したらどうなんだ? 要は守りきればいい話だろ?」
「それは……そうだけど……」
「俺も一緒に行くし、シュウは虎のこと話したらたぶん乗ってくれるだろうぜ。近くじゃ見かけない生物だし――なにより別の世界の虎だからな。捕獲したいってノリノリになるだろうよ。俺ら二人がいても不満か? ……不満そうだな……」
彼女は、とても微妙な顔つきをしていた。眉を下げ、目線を逸らし、言いづらそうに口を横に引っ張って、微妙という文字が書かれているような表情……そうか、そんなにも俺らが信用ならないか。
……というより、それだけその妖という人食い虎からオーラのようなものを感じたのだろう。この辺りの勘は幾つもの修羅場を潜り、自分たちより年上なワカバの方が当たりやすい。
つまり、彼女にうんと言わせるにはもうひと押しいると。うーむどうしたものか……さっきから考えは巡らせているものの、これ以上の説得の材料は持ち合わせていない。自分たち以外に悪魔や魔女がいるなら、そいつらに協力を要請することができるんだが……あいにくデーウィぐらいしか思い当たらない上に、あいつ自分たちのこと毛嫌いしてるから望み薄だろう。どこにいるのかもわからないし。
と、そこへ、少女のぽつりとした響きが静寂の部屋に落とした。
「デーウィが付いて行くって言ってた」
……。
「えっ!? それ本当か!?」
「……どこで聞いたの? コウ……」
リルマが愕然と、ワカバは眼を丸くして呆気に取られたように少女に問い詰める。
するとコウは、控えめの声で視線を泳がせ、途切れ途切れに即興で言い訳を考えながら答えた。もとより少女は、嘘は下手な方である。
「その……昨日夜中に森に出かけた時……たまたま独り言を聞いた」
「どんな独り言を?」
「それは……えっと」
ワカバに訊かれただけで急かされたように感じ、急いで彼の言いそうなセリフを構築する。
「……『今度こそあいつ痛い目あうだろうし、末路を見物しに行くか』……って。仮に神秘の森に僕たちが迷い込んだら近くにいる彼も巻き込まれるだろうし、虎を撃退してくれると思う」
「ああ、なるほど。確かに彼なら勝てるだろうし、自分の命がかかってるもんね。撃退する理由があるわけだ」
「……」
ワカバはすんなり受け入れたようだが、リルマが何も言わずにこっちを見てくる。明らかに懐疑心を持っているが、追及するつもりはなさそうだ。彼女を説得するための言い訳であることを察したからだろう。
疑いを持っているとすれば、それは――わざわざデーウィの名前を挙げたことだ。普通すぐに『敵』の名前を利用しよう、なんて発想にはならない。
デーウィとコウとの関係は、周囲の者には伏せていた。誰にも明かしたことがない。彼が嫌がったのである。親しめる余地があるなんて思われたら鬱陶しいとのことだ。
別にコウには気を許していることを知ったからといって、彼と無理やり親睦を深めようなんて思う人、少なくともここにはいないんだけどな。
思いを馳せていると、肩に乗っていたワカバの手が離れていくのを感じる。見れば、彼女の顔つきは疲れてはいるけれど、ずいぶんマシなものになっていた。
「彼がいるなら安心だな。うん、そういうことならいいよ。コウも付いてきて」
「……っ、ほんとう?」
問いかけるコウに、しかしワカバは顔をぐっと近づけて釘をさす。
「ただし、常に私たちのすぐ近くにいること。逃げろと言ったらすぐさま逃げること。いい?」
「……わかった」
いつになく真剣な表情の彼女に、大きく頷くコウ。満足したように彼女は離れ、リルマの方へと眼をやる。
「それじゃ、私たちまだ食事してなくてこれから作るんだけど、リルマはどうする?」
「俺はいいよ、もう食べてるし。先に帰ってシュウを説得してみる」
「そっか。彼を説得するのは大変だろうけど、お願いね。私たちも食べたらすぐに出るから」
「おう、任せろ」
男気溢れるその返答に、ワカバは安心したようにやや表情を弛緩させて、調理に取り掛かった。
リルマは外に出る前に、コウの下に来て小声で耳打ちする。
「あいつの前であんまり死ぬとか言うんじゃねぇぞ。そういうのには特に敏感に反応するし、思い込みも激しいから」
「……うん、次からは気を付ける。説得してくれてありがとう」
礼を述べると、リルマは笑ってこう返した。
「いいっていいって、もとはと言えばこういう役目は俺だから。様子見に来て正解だったよ」
「……」
さっきからコウの頭を掠っていた考えが、彼の言葉によって再び浮かび上がる。
「リルマ、ここに来る途中、どこからか気配を感じたり人影を見なかった?」
「うん? いや、そんなものはなかったが」
「……そう」
デーウィが付いてくるという話は、咄嗟に思いついた言い訳である。
しかし、昨日のあの反応を見る限り、あながち間違っていないのかもしれない。なんて思った。
ワカバやリルマ、そしてシュウを守りに来ずとも――コウを守るために、虎と戦ってくれるのではないか、と……。
それから、ちょっとした後日談。
「……ねぇ、ワカバ」
目の前の皿に置かれたものに、丸い眼をぱちくりさせてコウは問う。
「なんで、赤い実が六個もある?」
いつもは二つのはずだ。いやそもそも、赤い実が食卓に並ぶことは三日に一度程度しかない。なのに三倍も……。
「え? だってコウ、ミニマトマ好きなんでしょ? 昨日だって夕飯に待ちきれないから取りに行ったみたいだし……」
「あ、あれは突拍子もなく食べたくなっただけで……ほら、育て切ってないの食べたから。別に好きでも嫌いでもないよ」
「そうだったんだ……ごめん、ちゃんと訊かないで。じゃあ分けようか」
そう言って、ワカバはミニマトマを自分の皿に移す。
……それにしても、やっぱりミニマトマって違和感ある……。