表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/34

5話 空虚少女はミスをする

 ――小鳥の鳴き声がする。

 その空間は闇のような青さだった。『彼女』の嘆きに満ちていることは容易に見て取れた。

 ――小鳥のくちばしから声が囀る。

 彼女は泣いていた。嗚咽することなく涙を流し続けていた。呆然と、燃えるように、何かを口にしながら。

 ――小鳥はしきりに音を立てる。

 きっと、なんでどうしてを繰り返しているのだろう。あらゆる不幸に絶望しているのだろう。そんな瞳を、青と緑の大きい球体に向けていた。

 ――小鳥は歌うように鳴く。

 彼女の細い指は白い布に覆い隠されていた。彼女はペタリと座り込んでいた。その後ろ姿は、とても弱々しかった。

 ――小鳥の声が、ピタリと止んだ。

 私は何も言えない。何も言えずに、ただ首を垂れるばかり。どのような言葉をかけてあげれたら彼女を励ませるのか、まるで見当がつかない。

 彼女の嘆きの深さは理解している。だからこそ、何も言えなかったのだ。

 そんなか細いものでは彼女の心を癒すには至らないと。

 そんな薄っぺらいものでは彼女の耳に届かないと。

 自分たちにできることは、少しでも早く彼女の願いを叶えさせること――この衰えない四肢と余りある時間を以てして、彼女の手となり足となる。

 そのためなら、如何なる呪いにこの身を浸しても良かった。

 頭や肩に黒い液体が垂れる。膝をついた足は地面に沈み、その指先も隙間なく呪いに溶けていく。

 身体中が重い。身体中が軋む。

 それでも少女は、決して眼を閉じたりはしなかった。

 視界に垂れる黒い液体。その隙間から覗き見える彼女の泣き崩れる姿を最後まで目に焼き付け、忘れないように記憶に埋め込んだ。

 ――少女の金色の瞳は輝かない。その銀髪も光に愛されない。

 けれど、輝いてないし、光に愛されていないけれど――それでも少女の眼球は、表面的には光を反射していた。闇にも愛されていなかったのだ。

 それに比べて――彼女はどうだろう?

 泣いている。いつものように、当たり前のように、泣いている。泣き続けている。

 その姿の方が、少女にはよほど繊細に見えた。

 彼女の願いはただ一つ……この世界から嘆きを失くすこと。

 長年願い続けるその夢は、未だ叶わない。

 ですが、どうか、そのために――我らに力をお貸しください。祈りお待ちください。

 必ずや我ら魔女が一丸となって、貴方様の願いを叶えて差し上げますから。

 貴方の美しき微笑みを、いつか、私共に……。

 そして少女は――切なげに開けていた瞳を閉じる。



 次に眼を開けると、そこには形ある天井があった。

 自分の部屋、である。

 今身を沈めているのは布団。外では小鳥が囀っていて、少女はゆらりと身を起こした。

 窓から入る光が、少女の顔を影で形取る。そろりと眼と前髪に近づけた指先も、影になっていた。

 差し込まれる明かりによって、仄暗かった部屋は徐々にその様相を呈する。広々とした、柄のないすっきりした四角い空間を。

 眉間を軽く摘まんでから、ふと――少女は窓の方へと顔を向けた。

 その目つきは瞼で半分閉じていて、口は息を吸うために半開きになっている。

 ぼんやりとした――心ここにあらずのような、そんな表情。


「……朝、だ……」


 己の意思に関わらず、勝手に声を発する喉。

 一度ぎゅっと眼と唇を瞑って、少女――ワカバは立ち上がり、部屋を出た。

 その瞳の色は、前髪に隠れてよく見えない。




「――あ、ワカバおはよ」

「ん、おはよ。ごめんね、すぐにごはん用意するから」


 ダイニングキッチンに添えられた花に水をやっていると、彼女は三十分ほど遅れて起きてきた。申し訳なさそうな顔をしながらテキパキと野菜を取り出している。

 もう慣れさせられたとはいえ、それでもむーっとした口調のコウ。


「謝らなくていいのに」

「いや、そういうわけにもいかないよ。お腹空いてるだろうし――今日は出かけないとだからね」

「……」


 取り出した野菜を洗いながら、ワカバは表情を和らげる。謝ってほしいことがあるとすれば、そのことなのだが。リルマとシュウを連れて行くとは聞いたものの、やはりあんな危ない場所に突っ込まないでほしい……そんな動機で。

 デーウィの家から帰った後に(ちなみにワカバがコウを探しに出る前に家に帰れた)一応もう一度説得を試みてみたが、やはりダメだった。ワカバは行く気満々である。あの神秘的な世界の謎と、洞窟にいるという探し人を目指して。

 目線を合わせず、植物の手入れをしながら、コウは平坦な声で言った。


「僕も行く」


 強い意志を示すように、力強く。

 すると――途端に野菜を切る音が途切れた。次に彼女の息を吐くような音が、室内に響く。


「……コウ、昨日も言ったはずだよ。今度の場所は危険だから付いてきたらダメだって。コウは能力使えないんだから」

「それでも行く。どれだけダメって言われても離れない」

「そうはいっても……あの神秘の世界に迷い込んだら、さすがの私でもコウを守りきれる自信がないよ。いつもは留守番してくれるじゃないか。どうして今回はそんなに頑ななんだ?」


 今ワカバは、こちらを向いて話しかけているのだろうか。植物に視線を置いているから、それはわからない。

 けれど、彼女がどれほど必死な視線でも、表情でも、コウは意見を変えるつもりはなかった。

 彼女が己の意見を変えないように――僕だって意見を変えない。


「だって、危険な場所だから」


 根付くようなコウのあまりの言い分に、ワカバは強い口調になりかける。


「だから――危険な場所だからこそ、コウを連れてはいけないんだって。あの虎に遭ってしまったら私でさえ死にかねないんだよ。そんな所に君が行ったら――!」

「じゃあ、その時は一緒に死のう」

「――なっ!?」


 一瞬、理解が追い付かなかった。事もなげに口にした、少女の発言の意味が。

 そして――それまで視線を逸らしていた少女は、彼女の方へと振り返る。その透明な瞳に確かな意思が備わっていることが、さしものワカバにも察することができた。


「何を……言ってるの? コウ?」


 怖かった。

 どうしようもない恐怖感が、ワカバの腕と足を締め付ける。

 もしもコウが死んでしまったら――あの虎に食われてしまったらどうしよう。

 そればかりか、一緒に死のうとさえ言ってきた。それはつまり――自分が死んだ時も、命を落とす覚悟をしているということだ。

 やめてほしかった。そんな発言撤回させたかった。理解できなかった。思考停止しそうになる。

 自分のせいで――なるだなんて。

 そんなこと、今の今まで一度として言ってこなかったのに……それとも口にしなかっただけで、ずっと思ってきたことなのだろうか?


「……僕、本気だから」


 そう言ったっきり、コウは目線を切って植物の方へと移した。

 こうでも言わないと、きっと彼女は自分を守らない。守る理由がないからだ。他者のためだけの人生、故に自分の身に何が起ころうとも何も気にしない。

 しかし、自身が命を落としたらコウも命を失うことになる……これなら、彼女は彼女自身を守らざるを得ない。

 脅迫なのだろう、これは。好ましくないのはわかってる。こんな方法しかできない自分が嫌だった。できる人なら、これよりもっと上手い方法で彼女を言いくるめられるのだろう。

 ……まぁ、まるっきり嘘、というわけでもないのだけれど。

 村の人たちやデーウィが僕を受け入れるのは、僕を普通の女の子だと思っているからで。

 僕の正体がバレたら、たぶん――……。


「……っ!」


 植物を弄る手を止めて眺めていると、急に片方の肩を彼女に掴まれ、振り向かされた。

 目の前のあったものは、思わず丸い瞳を見開きさせられるもの。

 ――触れれば壊れそうな、ワカバの表情だった。


「お願いだから、やめて……そんな考えはやめてくれ。コウ」

「……っ」


 ――致命的なミスをした。と、反射的にコウは直感する。

 やってはならないミスを。したら崩壊するようなミスを。ここに来てしてしまった――と。

 『己のために他者が不幸になる』という彼女が唯一恐れている不安を、叩きすぎるほどに突いてしまった。魔女という生き物の性質を、自分は理解しているつもりだったのに……。

 今ここで彼女に同意しなければ――自分の発言を撤回しなければ、やばい。彼女が持たなくなる。


「ワ、ワカバ、落ち着――」


 コウは慌てて宥めようとするも、彼女の耳にそんな言葉は入らない。強迫観念に駆られたかのように、ぽつりぽつりとセリフを口にする。


「本当に……今回ばかりは守りきれる自信がないんだよ。だから――」

「行かせてやれよ。ワカバ」


 だが、そんな彼女のセリフを遮ったのは――玄関の扉を開けて入ってきた、リルマという悪魔だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ