2話 空虚少女は表裏少年と会う
その村は、魔女の力添えによって救われた村だった――一年前のある日、突如として大きな地震が襲ってきたのだ。
人口は少なめ。緑豊かで海がそれほど遠くないところにあって、生きていくための資源はある。けれど、街まではとても遠いところ。年に一、二回しか、僕も連れて行かせてもらったことがない。馬車が年に数回しか来ないからだ。
けれど他にもこういう村はあって、別段特別なにかがある村ではなかった。素朴で平穏で素通りされるような村。
だというのに、とても大きな地震に目をつけられてしまった。
力のある者は魚か動物を取りに出ていて、力なき者が畑仕事や衣服の仕立て、老人は簡単な作業を、子供は遊んでいた時間帯――昼間だったのが、まだ幸いといえた。暗い夜中に襲われていたら、いくら彼女がいようとももっと被害が出ていただろうから。
たまたま通りかかった彼女――魔女の常人離れした体力と、その小さな身体で幾人もの命を救った。
村の人たちは感謝した。「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。
そして魔女――彼女は、こう返したらしい。「気にしないでください。全員助かったみたいで良かったです」と。
本当に一語一句そう返したのか、だって? さぁ、それはどうだろう。本人に訊いてみたことはあるけれど、正確には覚えていないらしい。
彼女はこう言っていた。「ああいうことはよくあるからいちいち覚えてない。でも、ニュアンス的にはそんな感じだったと思うよ?」
よくあっちゃダメだろうに。
「そりゃそうだ。さっさと原因が解明されて、なくなってほしいよね」
ワカバは忘れっぽい。すぐに忘れる。
「コウが覚えすぎなんだよ。普通どんなセリフを言ったかなんて、すぐ忘れちゃうって」
――そう。
この村を救った魔女とは、ワカバのことだ。
僕より少しだけ背が高い、長寿の魔女。
次の拠点を探す旅に出ていた彼女が偶然通りかかって、何十人もの村人を助けたのである。
それを聞いた村人たちは、是非この村に住んでくれと勧めた。他の場所を探そうにもなかなかなく、困っているだろうと。
事実、彼女は困っていた。魔女を受け入れてくれる村は少ないからだ。
そんなこんなで、僕ことコウと魔女ワカバは、この村に住まわせてもらってる。僕は食料採りを手伝い、ワカバは力仕事をして。
復旧工事のついでに、村の端に新しく石を用いて建ててもらった、一人で住むには広すぎる三部屋もある家――僕の住まい。
そこを目指して、コウとワカバは歩いていた。
「……夕陽、綺麗」
意味もなく、コウはひとりごつ――少女の透明な瞳は、空に浮かぶ夕陽によって夕焼け色に色づいていた。
「んん――ああ、確かに綺麗だね」
考え事をしていたのだろうか。言われて気付いたように、ワカバは反応して顔を見上げる。
けれど、その反応は――反射のように聞こえて。その言葉からは響きが感じられない。
きっと、自分のようには見えてないのだろう。
その言葉に偽りはないのだろうけれど、自分のように――本当の意味で綺麗には見えてない。
それでも同調したのはなぜか……決まっている。僕に嫌な思いをさせないためだ。
彼女は――魔女は、そういう生き物なのだと聞いている。こればかりは、治らないものだと。
今ここで謝ったら、彼女は笑って「どうして?」と返すのだろう。だがこのまま話を続けていても、彼女の考え事の邪魔をしてしまう。
ワカバの反射的な言葉に、なんて返せばいいのかがわからなくて、それ以上の会話が続かない。
夕陽はやっぱり綺麗だった。夕陽は何も悪くない。
誰も何も、悪くない。
悪い人がいるとすれば、それは……
「――あの方にこれを見せたら、少しでも青色に染まった心を癒せるかな」
夕焼け色を、少しでも差し込めるだろうかと、彼女は言った。
遠くを見つめるような目つきで。
コウは深く被った麦わら帽子のツバ越しからワカバを見つめて、言葉を紡ぐ。
「その人は、夕陽を見たことがないの?」
「っ……」
と、そこで、しまったという感じに口を塞ぐワカバ。もう隠そうとしなくてもいいのに。
観念したように上げていた顔を下げて、ワカバは肩を落とす。
「さぁ……どうだろう。見たことがあるのかもしれないし、見たことがないのかもしれないし……ただ、言えることは、あの空間には夕陽なんてなかったよ」
あるのはただ、底なしの紺青と地球、そしてあの方だけ。
「でも、所詮はあんなの夢だから。まぁ夢といっても、実物を見たという先祖の夢通りのはずだけど」
「じゃあ、見てないかも」
「でもほら、あの方――神様だから」
「……」
肩を竦めるように眉を上げて頬を緩めるワカバに、コウは様々な感情が入り混じって黙り込む。
けれど、コウのそんな瞳に気付かないまま、彼女は続けた。
「あの方は全てを観測した上でああなってしまったのかもしれない。それっぽいこと、あいつ言ってただろ? コウはあの時のこと覚えてる?」
「……うん」
ワカバは優しい目でこちらを見る。同じ背の高さなのに、何だかお姉さんみたい。
でもそれは、あながち間違ってなくて――なんたって彼女は長寿の魔女。実年齢は確実に二十を超えているだろう。
それに比べて自分は、たったの一だ。
けれど、それでも彼女のそういう目は、あまり好きではなかった。してほしくなかった。
でも、僕にはそれを止めることが――できない――
「馬鹿馬鹿しい。夕陽如きで元気になるなら苦労しないよ」
と、そこへ、コウたちの会話に口を挟む少年がいた。
前へと顔を向ければ、彼女らの家がすぐそこにあって――近くにある程よい切り株に、本を手にして座っている。
齢十ほどの少年は、笑っていた。
「それともなに? 君たち魔女が高らかに掲げてる使命とやらはそんな安っちいものだったの? キレイな写真を一枚見せたらクリアってか? ははっ」
軽薄に、少年は詰る。それは彼女のみならず、全ての魔女に対する侮辱に等しいものであった。
だがワカバは、彼のやることだと表情を変えることなく眼を閉じて、受け流す。
「それは誤解だよデーウィ。さすがに私だって、それくらいのことであの方を救えるとは思ってない。あの方の嘆きの深さは正しく認識しているつもりだ」
「……あっそ」
デーウィと呼ばれた少年は一瞬言葉を詰まらせるが、つまらなそうに目線を逸らす。
しかし、すぐに切り株から立ち上がって、口端を上げた。
「にしても、やっとご到着かー。いつも通りの時間帯に帰って来たってことは、相変わらず荷物運びの手伝いなんてちっぽけなことしてたってことだよね? そんなので神の機嫌を取れると本気で思ってるの? ご苦労なことで」
「それより、今回はどんな事件を教えてくれるんだ? いや、起こしたのか?」
焦りの見えない返答をするワカバ。不機嫌になるか、ますます笑みを深める――かと思いきや、彼は眼を細めて東の方角を向いた。
意外な反応にやや戸惑うワカバだが、コウと一緒になってそちらの方角を見る。確か、あそこには……
「あっちの森には滝があるだろう。その滝より更に奥深くで森が一旦切られ、川が流れている。その川を渡ると向かい側にも森があって、入って進むと――そこには人っ子一人いない村があるんだ。その村の近くにある洞窟を探せ。そこに『探し人』はいる」
探し人――それは彼なりの、皮肉った言い回しだった。
探しているのは、求めているのは、どちらだと。
「……ワカバ、その村って」
「……ああ」
小言で訊くコウに、小さく頷くワカバ。
やはりそうだ。その村、その森を――僕は知っている。
「じゃ、あとは頑張って救ってみろよ。魔女サマ」
「わかった。ありがとね、教えてくれて」
「……」
その顔が気に食わない、とでも言いたげに、デーウィは無言で歩き出す。
もう帰るのだろう。コウの横を通り過ぎようとした――その時、
「おまえは行くな」
ぼそりと、コウにしか聞こえないほどの小さな声で、そんな一言を呟いた。
温かみのあるその声が、いつまでも少女の耳に残る。
(どうして……)
どうして、二人が喧嘩しなければならないのだろう。
彼の怒りはわかる。けれど、彼女の態度にも理解できる。彼と彼女が相いれないのは――仕方のないことだ。
でも、だというのに、二人とも僕に優しくする。
仲直りできるなら、してほしかった。そこまでできずとも、せめて互いに関わらないように努めることくらいしてほしい。
……板挟みになる自分の身にもなってくれ。