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1話 空虚少女は眺める

 ただでさえ背丈の低い少女は、しゃがんで赤い実を眺めていた。

 小さくて丸く、頭に緑の葉っぱがついていて、太陽の光によって艶のある実。

 肥料が含まれた土に埋まった種。そこから芽が生え、上へ上へと葉より薄い緑色の茎が絡まりながら伸びていて、空中にその実は生えている。

 麦わら帽子を被る空っぽな少女は、じっとその実を眺めていた。

 時々こくんと、首を傾げて。まじまじと。

 不思議だからとか、疑問だからとか、そういうのではなく――ただ、じっと。見入るように、魅入られている。

 この実を初めて見るわけではない。食卓で何度か出されたことがあるし、食べたこともある。けれど――こうして育っている姿を見るのは、初めてだった。

 まだちょっと、小さいな……それに、少し黄色い。

 少女の空虚な瞳に、赤い実の形が映し出される。繋がる葉っぱも、絡まる茎も。どういう色をしているのか情報が入ってくる。

 観察――なのだろう。それは。

 記録――とも呼べるのかもしれないが。

 ――インプット、とも。

 ……ああ、でも、不思議といえば、そう。

 この実からは、呪いを感じない。

 そればかりか、感情さえも感じない。

 同じ生命なのに、同じように育ってできるのに……心だけが、ない。

 野菜も果物も、他にも本やレンガの壁も――なぜないのだろう。

 僕と同じように、人の手によって創られた生命だからかな。

 少女はそっと、手を赤い実に近づけて、ポキッと茎から取った。

 葉っぱのついた赤い実を、少女はコロコロと手のひらで転がす。

 ――みんなみんな、呪われてる。呪われてない者なんて、珍しい。

 でも……。

 呪われていると呼ばれている物は、とても珍しい。

 夜になると動く絵画だとか、祟られて死んでいった人が身につけていたものだとか、書物でしか見たことがないくらいに――珍しい。

 物に溢れかえった場所に行ってみたいなと、ふと少女は思った。

 動物がいなさそうな山でもいい。静かな湖でもいい。

 古びた教会はやめておこう。呪いが根付いているかもしれないから――滅んだ村もやめておこう。きっと呪いが渦を巻いて襲ってくる。

 人の手が届かない場所へ、行ってみたい。

 ……あとであの人に、頼んでみようかな。


「おいおい、まだ食べれないぞ。それ」


 そんなことを考えていると、ちょうどいいタイミングであの人が来た。

 片腕を使って大きくて重そうな荷物を運ぶ、僕の育て親のようなあの人。

 ――呑気な声で、どこか遠いあの人。


「ワカバ……」


 こちらに歩み寄る彼女に向かって、手のひらで赤い実を転がしたまま少女は名前を呟く。

 その声は、瞳同様に無機質に。

 けれどワカバと呼ばれたこれまた背の低い少女は、はつらつとした印象を与えながらも穏やかな笑みを浮かべた。

 ――いや、本当に彼女は、はつらつとしてるのかな?


「その実はまだ熟しきってない。厳密にはそれくらい成長してるなら食べれはするだろうけど、美味しくないよ。ミニマトマ欲しかったら貰って来ようか?」


 彼女の気遣いに、しかし少女は返事をすることなく、赤い実を見つめながらこう返す。

 前から思っていたことだけど、やっぱり思う。


「ミニマトマって、変な名前」


 そんな少女の感想に、ワカバは訝しるように顎に指を添えた。


「ん? そうかな……別に至って普通の名前だと思うけど。どうしてそう思うんだ?」


 問われた少女は、やや顔を斜めに倒して、聞き逃しそうな声で答える。


「なんと、なく。自分でもわからない」

「……そっか」


 少女がこうしてほんの少しの常識に疑問を抱くのは、よくあることだ。こうなってしまう原因に、ワカバは心当たりがあった。

 どこにでもいそうな少女の外見年齢は七つや八つでも――その実、精神年齢は一にも満たない。何も知識を持たない状態で、言語や感情の名前だけを変に知ってしまっている。

 世界の常識が組み上がる前に、己の常識が確立されていると言うべきか。

 まだまだ時間がかかるな……と、ワカバは口端を落として頷くも、すぐさま明るい声に切り替えた。


「ま、じきに慣れるさ。それで、食べたかったらおじさんから貰ってくるけど、どうする?」

「……いい。食べたかったわけじゃない」


 そう言って、少女は手のひらで転がしていた赤い実を、千切れた茎へと近づけて戻そうとする。まだ成長途中なら、ちゃんと熟したものを食べたい。それに、これはうちの畑ではないのだから、取ったままにしてはならないだろう。

 だが、茎へと戻そうとしても、一向に元に戻る気配がない。


「ワカバ、これどうやったらくっつく?」


 隣で立っていた彼女に助けを求めるが、少女は苦笑しながら答えた。


「残念ながら、一度千切った茎はくっつけられないよ。いつまでも千切れたままだ」

「……ワカバの能力を使っても?」


 一般的に無理なことでも、彼女の能力ならばできそうだと聞いてみるも――彼女はなおも平静と答える。


「できなくはないけど、慣れてないからもしものことがあるかもしれない。やらない方がいいな」

「……わかった」


 素直に頷く少女は、赤い実を持ったまま立ち上がった。


「悪いことをした。後でおじさんに謝る」

「そうだな。ああでも、あまり気にするなよ。悪気があったわけじゃないんだし、取ったのは一つだけだろ?」


 首肯する少女。両の手のひらの上に置かれた赤い実を、彼女に見せる。


「これ、どうすればいい?」

「捨ててもいいし、食べてもいいし、コウの好きにするといいさ」

「……じゃあ」


 葉っぱを取って、はむっと口の中へと放るコウ。眉は変わらず、声色を変えることなく、呟いた。


「美味しくない」

「だろうね」


 歯を見せて苦笑いするワカバ。けれど、コウは思う。

 美味しくなかったけれど、呪いは感じない――だからこそ、僕はこの実を食べられたのだろう。

 抵抗することなく――惹きつけられるでもなく、口の中に入れられた。

 改めて、コウは彼女を――自分より少しだけ背が高い少女をよくよく見つめる。


「ん? なに?」


 コウの透明な瞳の奥底では、きょとんとした顔をこちらに向けるワカバへの驚愕の念が秘められていた。

 本当に、この人は凄い。

 ――だからこそ、おかしいと思う。こんなにも報われないのは。

 灰色のスカートにスパッツを履いて、青い半袖に、雲模様の半袖の上着――それがワカバの身を纏っている衣服で、彼女を象徴するものだった。

 その髪色は銀色で眩しいけれど、綺麗すぎるあまりに――全然綺麗に見えない。

 金色の輝いた瞳も、輝いてなんかないのだ。

 どうしたら、この人を本当の意味で輝かせることができるのだろう……どうすれば、せめてもの恩返しができるだろう。

 そんな考えが時々ふっと降りてきては、何もしないでなかったことにする。


「……なんでもない」


 麦わら帽子を更に深く被り、眼を逸らすコウ。それを真に受けるワカバは、何も聞かないし疑問にも思わない。


「そう? じゃあこれ運んだら終わりだから、一緒に行こ。ミニマトマのことも謝らないとね」

「うん」


 そうして、畑から出ようと手を繋いで歩き出す二人。

 ――コウは、静かに思う。

 呪われている物は少ない。

 けれど、呪われている人は多い。

 この人も呪われてる。

 魔女という使命に、自分以上に縛られている……と。

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