4話
虹色の壁は高さは2メートルほどで横幅は1メートルと少しと言ったところ。緩やかに揺れ動き奥行きの見えないソレは見つめていると心がざわめく。
恐る恐る虹色の壁に触れると一瞬視界が歪み、先ほどまでとは違う場所。
ダンジョン内部へと転送されます。
事前に調べておいて良かった。
急に別の場所へ飛ばされたことへの驚きもありますが、転送酔いがここまで酷いとは。
私が今、嫌な浮遊感を解消しようとストレッチをしているのは、講習会会場の地下にあるFランクの『トネリダンジョン』。内部構造は全3階層で2階までが表層、3階の終点だけが上層に区分されています。
転送酔いも収まり軽くなった身体で階段を降りると開けた場所に出る。
ダンジョンの中は明るい洞窟とでも言うのでしょうか。地面は硬く荒れており、見たことの無い草や木が所々に生えています。
かなり広い空間ですが一番奥に下に降りる階段が見えており、ダンジョン内部としては単純な構造とのこと。
ここまでダンジョンについて詳しいのは、講習会を終えた後でしっかりと調べたからです。些か以上に無知過ぎましたからね。
トネリダンジョンは初心者向けということもあり、中は多くの探索者で賑わっています。
前方では、腰の引けた恰好で両刃の剣を振るう男性や、大して動いている訳でもないのに息を切らせた女性など、一見で武芸の色を知らない方々のパーティーが1匹のゴブリンと戦っています。
「おらぁ!! くらえ!!!」両手剣をバットのように振るう。
「って、あぶねぇだろうが! オレに当たるところだったぞ!」
「お前がどんくさいからだろ」
「んだとこらっ!?」
「あんたたち集中しなさいよ!!」
リーダーらしき女性に一喝され舌打ちをしつつも、散らかった動きだったパーティーがまとまりだす。とはいえ、急に強くなる訳でもなく、悪戦苦闘の末にゴブリンを倒し歓声を上げる。
「楽勝!」「何が楽勝よ、あんた震えてんじゃん」「言ってやるなよ」「最初怖かったけど、攻撃が当たれば簡単だったね」「スフィアさまさまってかんじ~」「この調子でゴブリンを狩り尽くすぜ!!」「熱すぎうっぜ」「まぁ、初戦だし喜んでもいいんじゃない」
初めての戦果にパーティーが湧き立ちます。綺麗な武器を掲げ歓喜の声を上げるので、観戦していた私まで嬉しくなってくる。
改めてフロアを見渡せば、あちらこちらで戦闘が繰り広げられていますが、共通するのはどのパーティーも楽しそうに戦っているということ。
命を賭けた戦いであるはずですが、敵は弱く、自分たちは集団で魔力での強化もしている。狩りというよりも程よい緊張感のある体験型アトラクションを楽しんでいるようです。
さて、私もそろそろ動き始めなければ。
セオリー通り風上へ向け歩き始めましょうか。
他の方々の迷惑にならないよう端の方へ移動していく。
今回、私はあることを確かめるべくダンジョンに赴いています。確かめたいことは至極単純で『魔力が無くてもモンスターを倒せるか』を実戦で試してみたいんです。
魔力について調べましたが、新垣さんが仰る通り上層以降は魔力膜をモンスターが持つので、魔力がなければ探索は不可能だと言うのが常識なようでした。
しかし、表層のモンスターについてはどうも情報が少なく。
というのも、そもそも魔力があること前提で世の中の皆さんは話を進めており、魔力を持たずにダンジョンへ挑むということ自体が非常識な考えなのです。当たり前ですよね、だってダンジョンへ挑戦する前提条件がスフィア注入により魔力を得ること。
この前提条件のもとに皆さんは話をしているのです、むしろ新垣さんがあの時点で忠告して下さったのは運が良かったと言えます。
この世界に魔力のステータスが『N』なのは私だけ。もちろん、ステータスは基本的に非公開なのが原則ですから他にもいるかもしれませんが、現状情報は全くありませんでした。
こうして色々調べた結果。表層のモンスターに魔力無しで挑みどの程度戦えるのかは自分で戦って確かめて見るしかないと分かりました。
分からないことが分かったと進捗を喜ぶべきか悲しむべきか。
でも、私は考えるより行動する方が好きなので。自分の行動で物事を進められる現状が嫌いではありません。
それに、ふふふ、ついつい笑みが浮かんでしまう。
現代社会でまさか実戦で刀を振るう機会を得られるなんて。
命のやり取りが戦国の世のように出来る、これほど心が躍ることもありません。
不謹慎ながら昂ぶる心を抱え歩いていると前方から生物の臭いが。臭いの出どころは前方に生えた木の裏、集中して気配を探るも集団とは思えません。
警戒しながら腰に佩いた刀を抜く。
この刀は四季家の家宝、七ツ胴の名刀『流転』。刃渡りは二尺六寸、湾れの刀文に浮かぶ玉が涼やかで、巻き直したばかりの柄巻の感触が心地いい。
気配を殺しそっと木の裏を伺うと、ゴブリンさんが2匹座ってギャアギャアと騒いでいます。彼らに言語体系があるのか意思の疎通をしているのか分かりませんが隙だらけです。
殺気が漏れないよう呼吸をする自然さで飛び出すとそのままの勢いで1匹を袈裟切りに斬り捨てる。
刀越しに伝わる皮膚、肉、筋肉、骨、臓器を断つ感触が、相手の命を絶ったと伝えてくる。
ゴブリンさんだった肉塊が2つに分かれて地面に倒れ伏すと、どっと紫色の液体をぶちまけ血だまりを作り出す。
やりました! 殺せる、魔力のない私の攻撃でもゴブリンさんなら殺せます!
初めて生物を斬って捨てた感触で心臓が高鳴る。
もっともっと鍛え上げた刀の腕を試したいと攻撃への欲求が溢れ出し、我慢できないほどの攻撃への欲望で脳が蕩けてしまいそう。
突然仲間が殺され呆然とするゴブリンさん。
試さなければならないことはまだあるけれど。
もういいや。
実戦で刀を振る気持ちよさに身を預け、こちらを向いたゴブリンさんの左眼球へ片手平突きを繰り出す。
直線運動を目で捉えるのは難しく、眼球とその奥にある脳を鍛えることはもっと無理。
刀の先が眼球を抜け脳に達する。頭蓋は硬く刀を傷つけるので押し込み過ぎず脳幹を破壊するに留め、刀を捻り傷口と脳を抉るようにしながら引き抜く。
ゴブリンさんの左眼窩からピンク色の脳漿と紫色の体液が噴き出す。傷口を押さえようとするので『即死させられなかったか』と追撃を加えようとするも、手を止める。
敵の手が傷口を押さえることはなく、その場に崩れ落ちるとガクガクと死後痙攣を繰り返しやがて動かなくなった。
2匹のゴブリンさんを殺してまず分かったのは、私の息が上がっているという事実。
生まれた時から今まで、四季家の当主となるために日々稽古を積んできたのに。
実戦とは、命を奪うとは、これほど疲れるのですね。
戦いからの多幸感に酔う心を鎮めようと呼吸を整えていると、最初に殺したゴブリンさんの体が崩れていき塵となって消えていく。もう1匹も同じように消え、残された親指の先ほどの魔石を2つ拾う。
あとで換金しようと袴のポケットに入れると後方より小さな足音を感じる。
振り向くと小さなこん棒を構えたゴブリンさんが1匹忍び寄っていました。
気づかれないと思っていたようで、目が合うと驚いたように止まり「ウギャアッ」と吠えます。奇襲を狙い忍び足で近寄るとは、意外と知性があるようで馬鹿にしていると危険かも。
ゴブリンさんが攻めあぐねるようにステップを踏む。
先ほどは私の攻撃で殺せるのかどうかを試し、無事に人間と同じように急所を狙えば即死させられることが分かりました。
今度は、どのような攻撃を相手がしてくるのか、試させてもらいましょう。