秋野の思い出巡り計画 1
放課後に話があるとチャットアプリで言われた翌日、いつも通り席に座ると少し遅れて秋野が登校してくる。
秋野は俺に目を向けると、一瞬目を逸らしてまた目を合わせた。
「おはよ」
「ん、おう」
き、気まずい。一応挨拶はしたが、特に会話もせずに時間が過ぎていく。
スマホを触って暇を潰すが全く集中できない。
たくさん会話をしたいわけではないが、この気まずい空気の中放課後まで過ごすのは勘弁だ。
「もう、身体は大丈夫なのか?」
「えっ、うん。もう平気」
「そっか。ならよかった」
うん、熱もないなら一安心だ。それが確認できただけでも大きい。
わざわざ放課後に呼び出すのだから、よほど大切な話なのだろう。
思いつく話は二つ。一つは俺たちの関係について。
幼馴染であることを思い出したのならしっかり話し合いをする必要がある。もう逃げない。
そして二つ目、昨日の出来事について。
あの先輩についてなど、話を聞いていたかもしれない俺と話がしたいのだろう。
この二つのどちらかか、あるいは両方と考えていいはずだ。
「おっすー、おはよおはよ。秋野ちゃん昨日早退したんだって? 大丈夫なん?」
「うん、もう元気になったよ」
「おっ、ならよかった」
一之瀬は秋野が早退するらしいと伝えた内容しか知らない。
なので当然昨日あった出来事や、俺が秋野をおんぶしたことなどは知らない。
知っていたらまた気まずい空気になるところだった。
「ふふっ……」
「え、何か面白い要素ありました今? なあ、杉坂。お前はどう思うよ」
「分からん。お前の顔が面白いんじゃないか?」
突然笑いが零れた秋野に、一之瀬は混乱した。
俺も理由は分からないが、まあ一之瀬が面白かったのだろう。こいつの生き様とか特に面白い。
「そんなわけない!!!!! 違うよねっ、秋野ちゃん!?」
「いやっ、今の顔は面白いかなーって……あははは!」
「最悪だよもおおお!!」
一之瀬が会話に参加してくれたおかげで、随分雰囲気も良くなった。
暴れる一之瀬を見て秋野と一緒に笑っていると、先生が教室に入ってくる。
それに気づいた一之瀬はすぐに席に戻り、会話は一旦終了した。
朝のHRが始まるので黒板を眺めていると、横目に秋野がこちらを見ていることに気づく。
「放課後にね?」
「……ああ」
柔らかい笑顔でそう伝えてくる秋野。
重い重い話になるのではないかと思っていたが、この様子では予想よりかは明るく話をすることができそうだ。
* * *
放課後、一之瀬からの遊びの誘いを断った俺は秋野と共に中庭の隅まで移動した。
周りに生徒はいなく、陰になっているので人目にもつかない。
「……それじゃ秋野、俺を呼んだ理由を教えてくれ」
秋野は今日、本来ならば女友達と遊ぶ予定があった。それを断って話をするのだから相当の覚悟があるのだろう。
俺の言葉に小さく頷いた秋野は、深呼吸をして心を落ち着かせた。
「えっとね、話が三つあるの」
三つ。思っていたよりも多かった。
一つは昨日の先輩についてだとして、二つ目は俺が幼馴染であること、三つ目は……普通に何らかの相談だろうか。
「一つはあの先輩について……か?」
「うん。あたし、みんなと仲良くなりたかっただけなのに……友達だと思ってた誰かが、そんな話をしていたなんて信じられないの」
今まで通りの友達付き合いをしようにも疑いの目を掛けてしまうのだ。迂闊に関わるわけにはいかない。
しかしその誤魔化しも長くは続かない。女子の噂は恐ろしいもので、瞬く間に広がってしまう。
それが原因で秋野が孤立してしまうこともあり得るのだ。
「二つ目はそのあとのことか?」
「そのあと? 確かに怖くなって気を失っちゃったけど、その話は一つ目と一緒だと思うけど」
「……気を失った、ね」
秋野はあの時ぐったりとしていたが、気は失っていなかった。多少だが声も出ていたし、身体に力も入っていた。
だが、目の前の秋野は気を失ったと言っている。つまり、秋野は俺がおんぶしたことや俺のことをゆーじと呼んだことを忘れているのだ。
抱き着いてきたことも、忘れているのか。
「秋野。突然だけど俺を下の名前で呼んでみてくれ」
「え? ゆ、裕司?」
「うん、ありがとう」
「今の何なの!?」
あらぬ誤解を受けてしまったがこれで確定だ。秋野は俺のことを思い出していない。
なら、あの時俺のことをゆーじと呼んだのは意識が朦朧としていたからだ。たまたま上手く声が出せなかっただけで、あの頃の呼び方に聞こえただけ。
なんだか少し悔しい気持ちではあるが、まあ忘れているのならそれでいい。
しかしそうなると二つ目三つ目の話は何なのだろうか。
「話を戻して、二つ目は?」
「あ、うん。昨日のことで、友達が何なのか分からなくなっちゃて……杉坂くんと一之瀬くんみたいにお互いに信頼している親友が欲しいの」
なるほど、今までいた友達との関係が薄いのを気にしていて、俺と一之瀬のような関係に憧れていると。
正直おすすめはしないが、何かを言い合えるような友達がいると気分が楽になるのは確かだ。俺もよく一之瀬でストレスを発散しているので気持ちは分かる。
「要するに、親友作りか」
「そういうこと。というか、あたしとしては杉坂くんがなってくれたら嬉しいんだけど……?」
「ん、考えとく」
「絶対考えてなーい……」
秋野の親友?
悪くない話だが、俺だけが幼馴染だと知っている状態で深い仲になるのは勘弁だ。
なるのなら、秋野が俺のことを思い出したときだ。
「で、三つ目は?」
「三つ目! これも相談なんだけど、杉坂くんって昔のこと覚えてる?」
「っ、ああ。多少はな」
何気なくという風に、秋野はそんなことを言ってきた。
過剰に反応してしまったが、秋野は気にしていない様子。どういうことだ、なんでそんなことを聞いてくる。
秋野は思い出していない。これも全て偶然か?
「あたしはねー、全然思い出せないんだー。何でだろうね?」
思い出せない? 確かにどこか抜けている性格ではあったがそこまでではなかったはずだ。
そこまで来て、思い出せないわけがない。どこか違和感を感じつつ平常心を保つ。
「いや、知らないけど……心当たりとかはないのか?」
「それも全く……あ、でも中学生の頃なら思い出せるよ」
「いつから思い出せないんだ?」
「小学校……低学年くらい? 何やったんだったかすっぽり。医者に聞いたらショックによる一時的な記憶喪失じゃないかって。それでもここまで忘れてるのは珍しいんだってさ」
ショック、その原因も分かっていないのか。
そしてちょうど俺が転校するまでの記憶を失っている。なるほど、覚えていないわけだ。
「なんかね、ずっとモヤモヤするの。いい加減これをどうにかしたいなって」
一応、秋野にも思い出したくても思い出せない記憶があるのだろう。
それが俺なのかは分からない。俺はそうであってほしいと思ってしまった。
あれだけ思い出さなくていいと思っていたのに。
「どうにかって、どうするんだ?」
どうにかするにしても思い出せないのでは仕方がないだろう。
俺が目の前に現れても思い出さないのだから相当だ。
「小さい頃の思い出を巡る!」
「……うん、で。何でそれを俺に?」
「何でだろう? でも、手伝ってほしいな。他の友達とそんなことできないし」
幼少期の思い出巡り。それで本当に記憶が戻るのかは分からない。
この状態の秋野を放っておくわけにもいかない。
だが、秋野が思い出したら俺のことを拒絶するかもしれない。
秋野の思い出巡りに付き合い、さらに思い出したときに気まずくならない方法。
それを一瞬の間に考え、奇跡的に一つの打開策を思いついた。
「そうだ、さっきの親友の話。受けてもいい」
「ほんと!?」
「ただし、条件がある」
俺は真剣な顔で秋野を見つめる。
少し焦りながらも、秋野はごくりと生唾を飲み込みながら頷いた。
「その記憶だ。それを思い出したら、親友になろう」
親友になろう、沙織。