杉坂裕司の懐古 4
唸り続ける秋野をベンチに座らせ、様子を見る。
全員がベンチの周りに集まり、心配そうな目で秋野を見つめた。
俺も、秋野ほどではないが頭痛に襲われていたため木に寄りかかって耐える。
おそらく、古い記憶を思い出したことや、これまで忘れていたことのショックなどで脳に負担が掛かっているのだ。俺の頭痛の原因がそれだとしたら、秋野は相当な激痛が走っていることだろう。
「ゆ、ゆーじ……? わたしは……」
「大丈夫だ、落ち着いてから喋ろう」
呼び方がゆーじになっている。これは当時の秋野が俺を呼ぶときの言い方だ。
そうなると、もう思い出していると考えていいだろう。
俺自身も、今は気持ちの整理が追い付かない。
最初から、責任を取るつもりでいたのに、今こうして秋野が思い出しそうになって、不安に押しつぶされそうになっている。
本当に大丈夫なのだろうか。俺は、どうすればいいのか。
秋野が、俺を拒絶するんじゃないか。この関係が終わってしまうのではないか。
不安で不安で、心臓が苦しくなる。
気付けば、頭よりも心臓を強く抑えていた。
「杉坂、お前までどうしたのさ」
「ちょっとな……俺も少し休むわ」
心配する一之瀬にそれだけ伝え、俺は息を整えようと呼吸をする。
呼吸が上手くできない、息を吸うのが難しい。
視界ははっきりしない。考えても意味なんてないのに、頭の中でぐるぐると不安がループし続ける。
「沙織はこっちで落ち着かせておく、裕司はちょっと離れて休んでろ」
「そうします……」
気を聞かせてくれたのだろう、彩斗さんがそう提案してくれる。
俺はありがたくその場を離れ、別のベンチに座る。
お互いに気持ちの整理をするべきだ。
「お兄ちゃん大丈夫?」
「はーっ……はーっ……あ、ああ。落ち着いてきたから大丈夫だ」
心配そうにこちらを覗き込んできたそらの頭を撫でる。
苦しいが呼吸はできるようになってきた。ネガティブな思考に寄ってしまっている。
嫌でも昔のことを思い出す。
地元の友達と同じようなノリで、転校した先の学校の生徒に話しかけた。
だが、相手は馴れ馴れしいと感じてしまったのだ。次第に、俺は周囲から浮いた存在になってしまっていた。
一人になり、俺が今までしてきたことが間違いなんじゃないかと思うようになった。
一人で、ゆっくり過ごしていたっていいじゃないかと。秋野は、何も間違っていないんじゃないかと。
俺はなんて余計なことを言ってしまったのだと。
自己嫌悪しながらも、俺はそんな気持ちを隠して生活した。
そらの前では明るくしていようと思ったが、少しずつ、素の性格が変化し落ち着いて話すようになった。
月日は流れ、もう当時の交友関係はリセットされたと思っていた。
知られたくない、知りたくない。俺が昔どう思われていたのか、転校してどう思ったのか。
だから、本当に誰とも会わないことに安堵していた。一之瀬という悪友もできて、学校生活が充実し始めた。
そんな中、秋野に再会した。
もう嫌だ、もう別れたくない。もうあんな思いはしたくない。
あんな思いをするくらいなら、いっそのこと出会わなければよかったとさえ思うほどだった。
嬉しくて、不安で、この気持ちがどういったものなのか、全く整理できなかった。
「杉坂くんも、何かを思い出したの……?」
「ああ、それと嫌なこととかもな……」
「今こそ、言う時ではないかしら。秋野さんは貴方を待っているのよ」
「そんなの、分からないだろ! これでまた関係が終わってしまったら、俺は……俺は!」
事情を知っている沢野がそう背中を押そうとする。
簡単に言うが、そう簡単に気持ちは整理できない。
「ね、ねえ。場違いで申し訳ないんだけどさ、どういうこと? 僕全く状況が理解できてないんだけど」
苦笑いを浮かべながら、一之瀬はそんな質問をする。
そういえば、こいつだけ俺と秋野の関係を知らなかったのだった。
「杉坂くんと秋野さんは幼馴染なのよ。それを秋野さんが忘れていて、今思い出しそうになっているの」
「マジかよ!!! え、いいことじゃん。どうして苦しんでんのさ」
「それだけ聞いたらな……記憶喪失の原因とか、昔のこととか、色々あるんだよ」
今の説明だと、感動の再会の直前に聞こえるだろう。
しかし、実際は過去のしがらみや約束について、トラウマ、性格が変わった原因、現在の不安などが押し寄せてきているのだ。
「ふーん、よくわかんね。でも踏み出さないと何も始まらないでしょ」
「お前たまにまともなこと言うよな……」
「たまにってなんすか!?」
一之瀬の言うことは一里どころか百里くらいある。
そう、踏み出さなければ何も始まらない。どっちに転ぶにしろ、今はそれしか選択肢はないのだ。
逃げ出すことはできない。ならば覚悟を決めるべきだ。
「お兄ちゃん。そらね、どうしても秋野さんのことは好きになれなかったんだ」
「……お、おう?」
覚悟が決まらず震えていると、そらがそんなことを言い始めた。
秋野のことを好きになれない、何故だろう。普通に話しているところはよく見かけていたが。
「だって、秋野さんはお兄ちゃんを奪っていく人だから。昔から、そういう認識だったの」
「……」
「でもねお兄ちゃん。最近、寂しそうな顔するよね」
「そうか?」
「そうだよ。その原因も、秋野さんでしょ。嫉妬しちゃったよ、そら」
……そらがブラコンなことは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
思いを伝えられ、嬉しく思った。愛されているんだと実感できた。本当にかわいい妹だ。
「でも、そらのせいで二人が会えなくなっちゃった。病気のせいだってことも理解してる。それでも、負い目はあるんだよ?」
「それは……」
「だからね、そらはお兄ちゃんに笑っていてほしい。あの頃、秋野さんの話をしている時のお兄ちゃんが一番幸せそうだったから、ずっと、そんな顔をしていてほしいの」
「……」
当時の俺は、そんなに幸せそうだったのか。
確かに楽しめてはいた、だけどみんなはどうだったか。秋野はどう思っていたか。
「そら、信じてる。きっと大丈夫だよ。また昔みたいになれるよ。あ、もし上手くいっても、そらのことも構ってね?」
そらの言葉に、自分が情けなくなる。
ここまで来て、引き下がれるわけがない。俺のために、秋野のために、そらのために、覚悟を決める。
これからはもっと楽しくなる。終わらない、終わらせない。昔みたいに遊びに誘って、また笑いあう。絶対にだ。
「……ああ、当然だ。俺はシスコンだからな」
「嬉しい! じゃ、行ってきて!」
「おう、待ってろ。全部終わらせてくる」
なんだか上手く乗せられたような気がするが、これでいい。
俺はベンチから立ち上がり、そらに背中を物理的に押されながら秋野のいるベンチに向かった。
次回――