一之瀬湊の暴走 3
翌日、いつも通り学校が始まった。
放課後まで過ごし、一日を振り返る。
変わったところと言ったら、昼食を四人で食べるようになったところだろうか。
「杉坂、秋野ちゃん、委員長。放課後予定はないんだよね?」
帰ろうとしたとき、一之瀬がそんなことを言った。
俺たちはお互いに顔を見合わせ首をかしげる。一之瀬が何かを誘ってくるとは思わなかったのだ。
「ないけど、どうした?」
俺の言葉に同意するように秋野と沢野は首を縦に振る。
沢野は確か、週末は委員会の仕事がないんだったか。
「よしっ! 杉坂はジャージ着て、秋野ちゃんと委員長は教室の外で待っててよ」
「だから説明しろって」
「まあまあ、ほらほら早くして」
「お前な……」
一切の説明がないまま、俺はジャージを着させられた。
一之瀬もジャージを着るようだ。何故俺と一之瀬だけがジャージを着るのか。みんなで運動するというわけではないのか。
何かしら意味があるのだろう。そう納得して準備を済ませ、上機嫌な一之瀬についていくのだった。
* * *
一之瀬に連れられて向かった先は、野球場だった。
しかもそこには、秋野を泣かせた岸田先輩と知らない先輩二人が立っている。
どうやら、野球で勝負をして負けた方が何でも言うことを聞くという約束をしたらしい。
だから、昼休みに飯を食ったらすぐにどこかに行ったんだな。
「なんでだよ!!!」
「約束しちゃったんだからしょうがないじゃん?」
「じゃん? じゃねーよ! なんで急にこんな……」
「だって秋野ちゃん泣かせたんでしょ? 謝らせないとじゃん」
「勝って謝らせるために勝負仕掛けたのか」
秋野に謝らせるために岸田先輩に勝負を仕掛けたのだ。
昨日の今日でこんな勝負を思いつくとは。やはりこいつは馬鹿だ。
「そゆこと。ちなみに岸田は野球部だよ」
一之瀬がさらりと放った言葉に一瞬理解が追い付かなかった。
岸田先輩は野球部で、野球で勝負を仕掛けたと。
そして俺たちは負けたら何でも言うことを聞かなくてはいけないと。
「勝てるわけねーだろ!?」
「そ、それじゃなきゃ引き受けてくれなかったんだよ。それに……」
某密林のマークを彷彿させるほどニヤリと口元を歪ませた一之瀬が、ドヤ顔でこちらを見てくる。
その顔やめろ。
「僕は小中で野球をやっていたんだよ。甘く見てもらったら困るね」
「だとしても相手は現役だぞ……?」
「楽勝! お前は僕のボールをミットで取ってればいいからさ!」
「……分かった、任せるぞ」
不安は残るが、一之瀬には勝算があるのだ。
それよりも、気分屋の一之瀬が野球をやっていたことの方が衝撃だ。
俺はもう覚悟を決めたが、秋野はどう思っているのだろう。
「ほ、本当にやるの……? あたしのために?」
「もちろん! あんなの聞いたら放っておけないでしょ!」
「まあ俺もモヤモヤしてたしな。やり返せるって思ったらやる気出てきたぞ」
「いいねー、それでこそ杉坂!」
一之瀬が暴走した時はどうしたものかと思ったが、あの先輩が謝っているところを想像したら気分がよくなってきた。
これは本気でやらなければならない。
「杉坂くんも馬鹿だったのね……」
「おい、こいつと一緒にすんなよ。流石にここまでじゃないだろ俺は」
沢野が俺のことを一之瀬と同じ馬鹿と言ってきたので思わず反応してしまった。
「そうね、杉坂くんが馬鹿なら一之瀬くんは大馬鹿よね」
「分かってくれたか……」
「それでいいのかよっ!」
俺は一之瀬と同レベルの馬鹿だと言われなければそれでいいのだ。
実際、俺は自分が馬鹿なことは分かっている。男はみんな馬鹿なのだ。変なことなんかやり尽くしている。
そんなやり取りをしていると、岸田先輩がこちらに近づいてきた。
「おい一之瀬、本当に何でも言うこと聞いてくれんのか?」
「もっちろん。でも僕らが勝つんであんまり期待しすぎない方がいいっすよ」
「あん? 手加減はしねぇからな、後悔すんなよ」
「大丈夫っす!」
岸田先輩の視線が秋野と沢野に向けられていたのが気になった。
一之瀬が連れてきたことで、あの二人にも何でも言うことを聞くという約束が反映されてしまうかもしれない。
「あー。ルールって聞いてもいいですか。俺何も知らないんで」
「一之瀬の助っ人か。審判はこっちが用意してる。ワンアウトで交代しながら交互に打って、先にホームランを打った方が勝ちだ。簡単だろ」
「フォアボールとかデッドボールになったらどうなるんですか」
俺は野球部ではないが、ルールはある程度知っている。
公式のルールだと一塁進むことになるが、このルールだとどうなのだろうか。
「あ? そうだな……」
「カウントをリセットしてやり直しはどうだろう。打つ回数が増えるから有利になるよ」
審判として呼ばれたであろう先輩が横から入ってくる。
なるほど、カウントリセットか。それなら確かに打数が増え有利になる。
「おお、それでいいか。そんなもんだろ、いいよな?」
「はい、じゃあそういうことで」
秋野に酷い言葉を言っていた場面を見ているので、あまり長く会話する気は起きない。
一応機嫌を損なわないように立ち回ったが、やはり気に入らない。
先輩が去ったあとに、俺は用意された道具を確認する。
野球か。小学生の頃に遊びでやったくらいかな。あの時は軟球だったけど、今回は硬球だ。感覚も変わってくるだろう。
それに、キャッチャーなんてしたことがない。練習はしておくべきか。
バットは……使わないか。
「素振りしとけば?」
「俺は打たないだろ」
「そか。でもまあ少しくらいやっとけば? もしもがあるじゃん」
「もしもか……あってほしくないな」
もし一之瀬が打てなくなったら俺が打つしかなくなる。
まあ、よほどのことがなければ打者交代はないだろう。
「備えあればなんちゃらだって。どうせ僕が打ってるとき暇なんだしその時にでもやっときなよ」
「確かに」
一之瀬が打席に立っている時、俺は見ているだけになる。
その時に少しだけ素振りで感覚を確かめる、ということもできるわけだ。
「よし、僕のボール取る練習するぞ! ミット持てミット!」
「はいはい」
流されるまま、俺はキャッチャーミットを受け取り手にはめる。
そして一之瀬のピッチャー練習兼俺のキャッチャー練習を始めた。
ガードがあるので怪我をする心配はないのだが、やはり怖いものは怖い。
それでも、何とか取ることはできる。取れなかったらどうしようと心配していたが、これならばなんとかなりそうだ。
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