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9.我儘を言っても宜しいでしょう?

やる事を決めたサティアの行動は早かった。

まずひとつ。使用人たちからの人気獲得。ヘレナのお気に入りという理由で遠巻きにされてはいるが、優しい若奥様という印象を与えられればもう少し居心地よく過ごせそうだ。

ふたつめ。夫との関係はどうにかして改善し、おしどり夫婦とまではいかずとも、普通に一緒に食事をし、寝る前の会話を楽しみ、ゆくゆくは子供を作って添い遂げられるくらいの仲を目指す事にした。


「で、どうしたら良いのかしら」


刺繍をしながらうんうんと頭を悩ませるが、良い案は浮かばない。幸いヘレナは最近お気に入りの遊びがあるらしく、友人たちとショッピング街に出かけては楽しかったとあれこれ報告してくるだけだ。遊びの詳しい内容は教えてくれないが、別に興味は無かった。


「ギルバート様はお仕事以外にお好きなものは無いのかしら」


知っている事は、仕事が好きで、騎士団長様で、次期侯爵。社交会での二つ名は鴉だし、最近知ったのはメレンゲクッキーが苦手なこと。

どう役立てれば距離を縮められるのか全く見当がつかない。悩み事をしながら刺繍をするのは慣れているが、流石にハンカチ三枚分も刺繍をしても、何一つ案が浮かばないのはどうしたものか。


「申し上げます」


こんこんとドアをノックして、メイドが控えめに声を上げる。どうせヘレナが戻ってきたのだろうとうんざりするが、メイドの口からは別の名前が挙げられた。


「若旦那様がお戻りです」


仕事はどうした。思わず取り落としそうになった刺繍針を何とか手の中に収めて、あたふたと箱に仕舞い込んだ。


「何だ、此処にいたか」

「お、お帰りなさいませ」


日当たりの良いサンルームで刺繍をしていたのが悪かった。玄関から近い部屋にメイドが入って行ったからと、ギルバートがひょっこりと顔を覗かせた。


「上手いな」


テーブルの上に広げられていたハンカチを一枚手に取ると、素直に褒める。模様をゆっくり撫でると、僅かに口角が上がっているような気がした。

何を縫ったものだったかと残りのハンカチから推測すると、猫のシルエットをあしらったものだと気付いた。


「猫、お好きですか」

「どうにも嫌われるがな」


苦笑しながらもう一度猫を撫でると、ギルバートはサティアにハンカチを返した。もう一つ知れた夫のこと。猫が好きだけれど、猫には嫌われる。可哀想に。


「でしたら、これ差し上げますわ。刺繍の猫なら逃げませんもの」


ぐいとハンカチを押し付けると、困惑した顔でサティアの顔を見る。いつまでも握ろうとしない手を無理に握らせると、更に困ったような顔で自分の手を見下ろした。


「妻から夫へのプレゼントですわ。大切にしてくださいますわよね?」

「…ああ、大切にしよう」

「私刺繍が好きですの。でもいくら好きでも、あまり縫っては使い道に困ってしまうのです。ギルバート様へのプレゼントにさせてくださいまし」


にっこり微笑んでやれば、「妻はこんなによく喋る女だったか」と言いたそうな顔だ。だが、分かったと頷くと、握らされたハンカチを大切そうにポケットに仕舞い込んだ。


「それよりも、お仕事はどうされたのです?」

「午後は休みにした。流石に疲れた」

「一月もお休み無しで働くからですわ。折角ですから夫婦でお茶でもいかがです?」


チャンスを逃すまいと、サティアは畳みかけるように椅子を勧め、メイドにお茶を用意しろと急かす。驚いた顔をしながらも、断る理由が無いのか、ギルバートは大人しく椅子に腰かける。


「…随分と、雰囲気が変わったか?」

「何も変わってなどおりませんわ。私はいつでもこのように」


明らかに可笑しいと言いたげな視線。負けじと笑顔を張り付けて、サティアは夫の顔を見つめ続ける。先に根負けしたのはギルバートの方で、真っ黒な瞳をふいと外へ向けた。勝った、と謎の優越感を胸に、更ににんまりと笑うと、サティアも窓の外へ視線を向けた。広い庭。散歩したばかりの、ビルが毎日美しく整えてくれるお気に入りの場所。


「素敵なお庭ですわね」

「ああ。庭師の腕が良いんだ」

「ビルとはお話しましたわ。とても良いお方でした」

「ビルがお前と話したのか」


意外そうな顔をされるが、それが何故なのかサティアには理解出来ない。ただ挨拶をして、注意事項を聞いた。それだけだ。


「可笑しなこともあるものだ」


喉の奥で笑うような笑い方。夫の笑顔を初めて見た気がする。成程、笑うと少し幼くなるのかとまじまじ観察すると、さっと表情がいつもの仏頂面に戻る。もっと笑ったら良いのに。


「ビルがギルバート様のことを坊ちゃんと呼んでいましたわ。仲が宜しいのですね」

「爺と呼んでよく構ってもらった。仕事をするようになってからはあまり会話もしていないがな」


メイドが二人分の紅茶と茶菓子をテーブルに置く。良い香りだ。


「あれは女性には少々粗暴に見えるだろう」

「仕事が出来る方ですもの。良いお方でしたし、私は何も気にしておりませんわ」

「…変わった人だ」


僅かに口元を緩ませて、ゆっくりとカップを傾ける。こんなに穏やかな顔が出来るのなら、普段からすれば良いのに。日の光を浴びるギルバートの髪は、僅かにキラキラと光を反射しているように見えた。友人の夫とは全く違うが、彼は彼なりの美しさを持っていると思う。

それに、こんなにきちんと会話をしたのは初めてだ。仕事をしていない彼ならば、仲良くなりたいという望みは叶えられるようだ。


「ギルバート様、お願いがありますの」

「何だ」

「私がこの家に嫁いでから、殆どギルバート様と一緒に過ごしていませんわ」


当然の不満。ぐっと息を詰まらせて、ギルバートは目を閉じた。仕事ばかりで放置している自覚はあるらしい。


「いつもお仕事でお帰りは遅いですし、会話らしい会話は今初めてしている気がいたします」

「…すまん」

「毎日毎日クラリスとお母さまとお話してばかり。私は貴方の妻ですのよ」


キッと睨みつけ、サファイアブルーの瞳を真直ぐにギルバートに向ける。真っ黒な瞳が見つめ返し、何を言われるのかとそわそわしているような気がした。


「もう少し夫婦の時間が欲しいのです」

「夫婦の、時間」

「そうですわ。婚約期間中も八年も放置され、結婚してからも毎日お仕事お仕事…お母さまが可愛がってくださるのは嬉しいですが、見知らぬ方々ばかりのお茶会もパーティーも疲れてしまいます!」


要は、妻にもう少し目を向けて、夫婦の時間を作れと言いたい。

いざ本人に訴えるとなると少々気恥ずかしかったが、この男はこうしてはっきり言ってやらねば分からない。察するという事が出来ないのだ。


「お疲れのところ責めるような物言いになってしまって申し訳ございません。ただ私は、寂しいだけなのです」


どうだ。ここまで言ってやれば少しは考えるだろう。じっとギルバートを見てみると、何故だか頬を少し赤らめて、あらぬ方向を見ている。真面目に話を聞いているのかと問いただしてやりたいが、少し我慢して紅茶を飲んだ。少し喋りすぎて喉が渇いた。


「どうすれば、お前は満足する?」

「週に一度、半日だけでも良いのです。二人でこうしてお茶をしたり、お散歩をしたり、会話をゆっくり楽しめる時間が欲しいですわ」

「…繁忙期は難しいぞ」

「ではその時は穴埋めを。それと、私はお前ではなくサティアです。きちんと名前を呼んでくださいまし」


つらつらと並ぶ言葉。ぱちくりと目を瞬かせて、ギルバートはふっと笑う。今日はよく笑う。


「分かった、週に一度休めるよう努力しよう。他にサティアの望みは?」

「次回までに考えておきますわ」


満足げに微笑んで、妻からの初めての我儘は成功した。これから少しずつ距離を縮めてみよう。まずは友人のように会話をするところから。今日の戦果は上々だ。

バターの香りがふわりと香る焼き菓子を頬張りながら、サティアは嬉しそうに笑い、それを見るギルバートも穏やかに微笑んだ。


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