8.いい加減しっかりしましょうか
サティアはじっと指輪を眺めながら考える。嫁いで来た日に就けられた専属侍女のクラリスに不思議そうに見られていようが気にならない。
気に入らない指輪なのだから、嵌めていなくても良いのでは?なんてことまで考えて、それは流石に駄目だと頭を振った。
「サティア様、お加減でもお悪いのですか」
「いいえ、元気だから大丈夫よ」
友人の結婚式から数日。何度かヘレナに連れられて茶会に参加したが、新婚の頃はどうだった、と思い出話に花を咲かせるご婦人が多かった。
結婚当初から仲が良かった夫婦は珍しいらしく、共に生活するうちに情が芽生え、仲良くやっていくようになるらしい。勿論、義理の両親のような夫婦もいるのだが。
いつまでもくよくよと後悔しているよりも、もう少し夫に寄り添う努力をしようと思い始めたのだ。セレスとアランのようにとは言わないが、せめてもう少し、二人で出かけたり、穏やかに話をしながら寝る前の酒を楽しむくらいの仲になっても良いはずだ。
「ねえクラリス。ギルバート様ってどんな方?」
妻であるサティアよりも、クラリスの方が付き合いが長い。クラリスは代々ハミルトン家に仕える一族出身らしく、子供の頃からギルバートと過ごしてきたのだ。
「仕事に真面目、それ以外は無頓着なお方です」
それはよく知っている。仕事ばかりでなかなか夕食を共にすることもない。帰宅して、一人で食事を済ませ、湯浴みをして寝室に来て眠るだけ。体を重ねることは本当に稀で、夫婦とはこれで良いのか疑問に思っている。が、致した次の日はヘレナがいやに優しくて気味が悪いのだ。子供の名前はどうするの?お部屋は日当たりの良い部屋に…なんて妄想を垂れ流すのだ。どうせ息子夫婦がきちんと夫婦生活を送っているのかどうにかして監視しているのだろうが、本当に気持ちが悪い。
「何故、私にそのような事をお聞きになるのですか」
「だって貴女の方がギルバート様のことをよく知っているでしょう?」
「それは…幼馴染として存じているだけです」
「私ね、友人夫婦のようにとは言わないから、もう少しギルバート様と仲良くなりたいのよ。あの人の好きなものとか、何か知らない?」
クラリスは暫く考え込んで、苦し紛れに一つだけ挙げた。
「仕事…でしょうか」
◆◆◆
申し訳なさそうに眉尻を下げたクラリスをお供に、サティアはぶらぶらと庭を散策する。丁寧に揃えられた庭木が風に揺れ、そこかしこから漂う花の香りが香しい。
「良いお庭だわ。ここでお茶会をしたら素敵ね」
「それは難しいかと」
同意されると思っていた提案に、すぐさま否定の声。どうして?と目を瞬かせると、目を細めたクラリスが言い難そうに口を開いた。
「以前、奥様がお庭でお茶会をと仰せになり、庭師も含めて支度をしたのですが…お茶会の最中、メイドの一人にお怒りになられ、カップを投げつけたのです」
「まあ」
「その際、庭師が一等大切にしていた木の周りに破片が散らばりまして…」
それ以来、庭師は屋敷の女主人であろうとも、庭に割れ物を持ち込む事を拒絶しているのだそうだ。
丹精込めて育てた植物に、折角支度した庭を台無しにされて怒るのは当然だと思った。
「それなら仕方ないわね。お母さまが駄目なのに、新入りの私が良いなんてことあり得ないもの」
「ご理解いただけて何よりです」
遠くでせっせと草むしりをしている老人が、歩いてくるサティアとクラリスに気付いて立ち上がる。遠目からでも分かる敵意。
「こんにちは、庭師の方ね」
「どうも、わしゃ育ちが悪いもんで、粗野な物言いしか出来んよ」
「構わないわ。私暫く前にギルバート様に嫁いで来たの。サティアと言うから覚えて頂戴」
にっこり微笑んでみせれば、いきなり何だと言いたげな顔でじっと顔を見られる。あまりいい気分ではないが、この屋敷の女貴族が皆ヘレナと同じだと思われたくない。
数ヶ月見ていて学んだのだ。ヘレナは使用人から嫌われているか、恐れられている。それならば、使用人たちを全て味方にしてしまえば、ヘレナに反抗出来るかもしれない。きっと、この屋敷はもっと快適になる。
「坊ちゃんの奥方かい」
「あら、ギルバート様を坊ちゃんとお呼びになるのね」
「坊ちゃんが赤ん坊の頃から知っとるよ。それで、庭に何か用かい」
後ろでクラリスがはらはらしているのが分かる。別にこれくらいで気を悪くしたりなんてしないのに。むしろこれくらい気さくに話してくれる人間は珍しくて面白い。
「ただお散歩していただけよ。素敵なお庭だから、ずっと見て回りたいと思っていたの」
いつも窓から覗くだけだった庭。やっぱり素敵だわと微笑むと、庭師は照れ臭そうに笑った。
「わしゃビルだ。散歩するのは構わんが、芝生を荒さんでくれよ」
「分かったわ。舗装されているところだけを歩くようにするわね」
素直に頷いた事に満足したのか、ビルはまた草をむしりに戻って行く。クラリスがほっと息を吐いた気がしたが、仕事に熱心なのは良い事だ。夫は少々熱心すぎる気もするが。
「申し訳ございません。ビルは旦那様以外にはあの調子でして…」
「構わないわよ。良い人なのは分かったし、これだけ素敵なお庭を造れるのだから、ちょっと態度が不躾なことくらい何でも無いわ」
約束通り舗装された道だけを歩きながら、広い庭を見て回る。色とりどりの花。本当に、こんなに見事な庭でお茶が出来たらどんなに良いだろう。この屋敷の自慢になるだろうに。ビルを敵に回したヘレナは馬鹿だと内心呆れながら、サティアはもう暫く散歩を楽しむことにした。