6.最低な結婚初日
中止になってくれと何度も願った結婚式。少しは嬉しい記憶になるだろうと期待していたのに、それは姑によって残念な思い出に変えられる。流石に何度か意見を言ってみたが、絶対に譲る気のないヘレナに何度も意見をする事に疲れ、もうどうにでもなれと全てを諦めた。
「まあ、綺麗よサティア!」
何故花嫁の控室にいるのだ。実母も引いているが、姑になるヘレナは何も気にしていないのか見えていないのか、嬉しそうににこにこと微笑みながらサティアの手を取った。
大きく膨らんだ袖。ふりふりと沢山のフリルを縫い付けられたスカートの膨らみ。まるで布に埋もれた子供のようだなと自嘲しながら、鏡に映る自分の姿を見ては何度も唇を噛み締める。
本当なら、もっとすっきりしたドレスを着ていた筈なのに。
「さあ、そろそろ時間よ。これを着けて…ああ、ベールも降ろさなくてはね」
両親に別れの挨拶をするための時間は、姑の嬉しそうな声ばかりが響いた。視線だけで「ごめんなさい」と詫びると、両親は小さく頷いて、部屋の外へ連れ出される娘の後を追う。
「さあポーター様、私は席でお待ちしておりますわ。ヴァージンロードのエスコート、よろしくお願いいたしますわね」
そう言ってさっさと消えていくヘレナに、父は苦笑いを浮かべるしかなかった。母もそろそろ開始時間だからと席へ座ると、すぐに入場の音楽が流れ始める。
ああ、本当に両親に最後の別れをする事すらできなかった。もっとゆっくり、あれこれ話したい事があったのに。まさか式の直前、着替えが終わったタイミングで控室に来るなんて思いもしなかった。
「サティア、お前はこれからハミルトン家の妻になる。それでも、私の愛する娘には変わらないよ」
小さく囁かれた言葉に涙が溢れそうになるが、花嫁が涙で化粧を台無しにしてはいけない。そう思い直し、大きく息を吸い込んだ。
両扉が開かれる。真っ白なベールで視界が白いが、視線の先には真っ黒な制服を着たギルバートが立っていた。
ああ、こんな日まで黒い制服だなんて。私は白い衣装を着てほしいとお願いして、了承してくれた筈だったのに。
何も、何も思い通りになっていない。
今この場で怒り狂って、子供のように泣き叫べたらどれだけ良いだろう。
そんな事、出来る筈も無いのだけれど。
「若き二人よ。我らが王の子供たち」
司祭が仰々しく説教を垂れる。早くこんなもの終わってしまえば良い。無様に布に埋もれた子供の姿を、こんなに沢山の人の前で晒さなければならないなんて。
人生で一番、大切な日になるはずだったのに。
「ギルバート・パーシヴァル・ハミルトン。汝はサティア・ポーターを妻とし、生涯支え合い、死が二人を別つまで愛し続けると誓うか」
「誓います」
嘘ばっかり。支えてもらった覚えなんてない。愛された記憶もなければ、歩み寄られた記憶もない。今後愛される気さえしない。
「サティア・ポーター。汝はギルバート・パーシヴァル・ハミルトンを夫とし、生涯支え合い、死が二人を別つまで愛し続けると誓うか」
ここで「いいえ」と言ったらどうなるのだろう。言えるわけもない。
「誓います」
小さく呟くと、参列者たちが一斉に立ち上がり、ギルバートがベールをゆっくりと持ち上げた。
整った顔。さらさらとした真っ黒な髪。何を考えているか分からない黒い瞳が、ゆっくりと近付いていた。
もう良い。今日の事は悪い夢だと思って忘れてしまおう。そう諦めながら、サティアは目を閉じた。
一瞬だけ唇に触れた何か。きっと誓いのキスというやつで、今自分は人前でファーストキスを済ませたのだと理解する。
ああ、もっと素敵な、物語のような恋がしてみたかった。友人はもっと素敵な式を挙げるのだろう。あの二人は、サティアが理想とする夫婦になりそうだ。
◆◆◆
サティアは遠い空に輝く月を眺める。式の途中からのことはよく覚えていない。披露宴に参加してくれていた友人に祝福されたような気がするのだが、本当によく覚えていない。
ヘレナの友人だとか、祖国の親族だとか、誰だか分からない人間を何人も紹介され、両親との別れもそこそこにハミルトン家へ連れ帰られたのだ。
気が付いたらウェディングドレスは脱がされ、湯浴みをさせられていたし、初夜だからと気合を入れるメイドたちが盛り上がっていた。何か言おうという気すら起きず、されるがまま、まるで人形のように無表情でベッドに座らされて、メイドたちは部屋から出ていった。
初夜と言われても、肝心の夫が部屋に来ない。最初の夜からこれかと溜息を吐いたところで、漸く寝室に姿を現した夫は、少し気まずそうな顔をした。
「すまん、待たせた」
「不束者ではございますが、これから宜しくお願いいたします」
深々と頭を下げ、一杯どうぞと酒を差し出す。それを受け取ったギルバートは、窓辺に置かれたソファーに腰かけて、サティアにも酒を勧めた。正直酒はあまり好きではないが、今日は呑んでいないとやっていられない。
「疲れただろう。私も知らない親戚が大勢いたな」
「ええ。お母さまの御親戚だそうですわ」
従姉の夫の姉だとか、ほぼ他人だと言いたくなるような相手まで紹介され、サティアは全員の顔と名前を覚えられなかった。どうせもう会うことなんてないだろうに。
「母上が少々暴走したようだ」
「少々…そうですわね。式まで何度も延びておりますし、楽しみにしていただいていた、ということでしょう」
サティアが十五歳になってすぐ、結婚式をする予定だった。それがハミルトン家の前領主が亡くなり、喪中だからと延期された。
次の年に延期されていた予定も、今度はサティアの叔父が亡くなったからと延期された。今年行う予定だった式は戦争により延期されていたし、楽しみが先に延びていた事は事実だろう。それにしても、暴走しすぎだとは思うが。
「母上は領地へは戻らない。この屋敷で共に暮らす。私は仕事で戻らないか、遅くなる事も多いが…やっていけそうか」
「そう仰られましても…やっていくしか無いのでしょう?」
望めば何処か別の屋敷でも準備してくれるのか。そこにヘレナを押し込んでくれるのか。それともサティアを押し込むのか。どちらも出来ない事を分かっていて、サティアはサファイアブルーの瞳をギルバートに向けた。
「式の支度でヘレナ様がどういったお方かは分かりました。何も問題はありませんわ」
あの人が大人しくなるまで耐えれば良いのでしょう?
そんな気持ちで微笑むと、ギルバートはもう一口酒を飲み込んだ。グラスをテーブルに置いて、サティアを抱え込んで、たった一言「すまない」と詫びた。
その後の事は、また何も覚えていない。いや、覚えてはいるのだが、朧気だ。
痛くて苦しくて、早く終わってくれと願うだけの時間が過ぎた。ぷつりと意識を手放して、サティアはシーツの海に沈み込んだ。