5.今更なんですの?
ただ引っ張られるだけの、エスコートなどと言えないそれは、唐突に止まる。
少し息を荒げながら、サティアはじろりとギルバートを睨みつけた。いきなり現れて何をするのだと今すぐ怒鳴りつけてやりたかったが、周囲には大勢の人がいる。騒いで面白がられるのは嫌だ。
「すまない、大丈夫か」
大丈夫に見えるのかと更に睨みつけるが、ギルバートは大して悪いと思っていないようで、睨まれていることも気にしていないようだ。
「いきなりどうされましたの?」
「いや、一曲くらい踊ろうかと」
耳が可笑しくなったのだろうか。今この男は、一曲踊ると言ったのか。ぱちぱちと目を瞬かせながら、サティアは何度も言葉を反芻しては眉間に皺を寄せないように必死で顔の力を抜いた。
今まで彼と踊ったことがあっただろうか?何度思い出そうと努力をしても、踊った記憶など一度もない。
ギルバートの成人祝いの時は、サティアはデビュタントを迎えていなかった為、内輪だけのパーティーをしただけ。踊ってなんていない。
さっさと取れとぷらぷら手を揺らしながら、ギルバートはサティアを見下ろす。その手を恐る恐る取ると、ゆっくりとダンスの輪に入っていった。
「まあ、サティア様が踊られているわ」
輪の外から聞こえる声に、少しだけ頬が熱くなる。そんなに珍しく思われるほど踊っていなかっただろうか。思い出せる限り思い出してみたが、こうして人前で踊った記憶は無い。
背の高いギルバートに合わせて足を動かすが、正直言って、彼はダンスが下手だ。リードが壊滅的に下手。身長差を一切考慮しない動きに、振り回されるばかりで碌にステップを踏むことが出来ない。子供の方がまだ上手いであろう動きに、サティアは何か考える事も、文句を言う事も出来ず、転ばぬように必死に足を動かし続けた。
「お前はダンスが下手だな」
お前のせいだと言いたくとも、今は無様な姿を晒さないように必死だ。後で思い切り文句を言ってやろうと、今はただ睨みつけるだけに留めた。
どこか楽しそうな顔で、満足そうに笑うギルバートは、曲が終わるとすぐに輪を出ていく。勿論はぐれない様にしっかり腰を抱かれてはいるのだが、息も絶え絶えになってしまっては大人しく付いて行くしかない。
ウェイターからドリンクを二つ取って、ギルバートは、壁際に陣取った。
「大丈夫か?女性は体力がないのだな」
「お気遣い感謝いたしますわ」
差し出されたグラスをぐいと煽り、いよいよ文句を言ってやろうと思ったのだが、それより先にギルバートが口を開いた。
「同僚に、婚約者と一曲くらい踊って来いと言われたんだ」
「はあ、そうなのですか」
「いつも放っているのだから、こういう時くらいはと」
同僚とやらの助言を素直に聞き、下手くそなエスコートとダンスをしに来たのか。意外な行動に少々面食らい、文句を言う気が失せてしまった。
ちびちびとグラスの中身を舐めながら、次の言葉を待つ。
「式の件、任せきりですまん。詳しくは話せんが、落ち着き次第すぐに婚礼を」
その続きは紡がれない。部下らしき男が駆け寄り、こそこそと何かを耳打ちされると、ギルバートはすぐに仕事へ戻って行ったからだ。結局、彼が何をしたくて姿を現したのかは分からない。
今まで放置していたくせに、今更一曲踊ったところで何だというのだろう。
今更、という言葉が頭から離れないまま、サティアはそっと会場を後にした。なんだか疲れてしまった。
今日はもう帰って休もう。夢の中に逃げてしまえば、暫しの間は平穏なのだから。