3.それで後が楽ならば
さて、どうしたものか。目の前で嬉しそうに微笑む美女。彼女は言わば、未来の姑。ギルバートの母、ヘレナ・ハミルトン。
ブロンドの髪に水色のような青い瞳を持つ美女は、ギルバートとは似ても似つかない。顔立ちは何となく似ているのかもしれないが、色が違いすぎて分からないのだ。
「久しぶりに会えて嬉しいわ、サティア。元気にしていたかしら」
「はい、ヘレナ様」
ぎこちなく微笑むのも許してほしい。彼女の目が怖いのだ。ねっとりと絡みつくような視線。子供の頃から苦手な彼女に、久しぶりに呼ばれてしまった。婚約者本人よりも会っているかもしれない。
「ギルバートとの結婚式、楽しみにしているわ。貴女が嫁いでくるのを本当に楽しみにしていたのよ」
赤い口紅に彩られた唇が弧を描く。ぞわりと背中が泡立った気がした。
ああ、まただ。またこの人は、私の色しか見ていない。
そう思うと、サティアは手をぎゅっと握って耐えた。
「毎日毎日嫌になっちゃうわ。鴉に囲まれて、なんだか気分が悪くなりそうよ」
ヘレナは夫を含め、息子たちの黒目黒髪を忌み嫌う。元は異国の侯爵令嬢だったそうだが、親が決めた縁談によりハミルトン家へ嫁いできたらしい。何故そこまで夫や息子たちの黒い色を嫌うのかは知らないが、少しだけハミルトン家の男性陣を可哀想に想った。
「そうそう、今日は結婚式の事についてお話したくて呼んだのよ」
「何か不備がございましたか?」
招待客の名前でも間違っていただろうか。不安げにヘレナを見ると、楽しそうに両手を顔の前で合わせて微笑んで言った。
「サティアには、あのドレスも指輪も似合わないと思うのよ」
何を言っているのだろう。似合う似合わないを何故ヘレナに評価されなければならないのか、本気で理解が出来ない。呆けている間に、ヘレナはどんどん言葉を続けていく。
「もっと可愛らしいデザインの方が似合うと思うのよ。指輪も石が少ないし小さすぎるわよ。結婚指輪も石がたったの一つだけだなんて!」
数日かけてデザイナーとああでもない、こうでもないと悩みながら作り上げたデザイン画を思い出す。確かにシンプルなデザインにしたが、それは歳を重ねても使い続けられるようにと考えてのものだった。
「ドレスもよ。貴女は小柄だし可愛らしいお顔なんだから、もっとふんわりしたものが良いと思うのよね」
Aラインの何が悪いと言うのか。うっとりと語るヘレナの理想のドレスは、どこの御伽噺から出てきたのか問いたくなるようなデザイン。リボンやフリルと沢山あしらって、ベールは総レースが良いわ!なんて盛り上がっているが、着るのはサティアだ。
人生で一度きりの結婚式。女なら誰もが憧れるもの。姑どころか母親にも口出しされたくないものなのに。
「だからね、オーダーはキャンセルして、私が新しく選んだものを用意しようと思うの」
眩暈がする。
にこにこと嬉しそうに微笑んでいる美女の頭の中は、お花畑でも広がっているのだろうか。今からでもオーダーし直せるだろうか。まだ間に合うだろうか。それよりも先にギルバートに抗議すべきだろうか。
何も言えないままぐるぐるとあれこれ考えていると、ヘレナはそれを「肯定」と受け取ったようだ。
「結婚式まで見せてあげないわ。楽しみは取っておかなければね」
文句を言おう。いやでもこの人は姑になる。夫を嫌って、夫のいる領地に戻ろうとしないヘレナとは同居するのだ。今から揉めて、ただでさえ面倒そうな結婚生活を更に憂鬱にしたくない。
サティアは熱くなった目頭を落ち着かせるように大きく息を吸い込んでから微笑んだ。
「楽しみですわ、お母さま」
たった一日を我慢すれば、平穏な日々を過ごせるのだから。子供のような憧れは、今ここで捨てた。
「そう!私も楽しみだわ。それと披露宴なんだけれどね…」
まだまだ口出しする気なようで、もうヘレナが主役の式をすれば良いとさえ思う。
何でも良い。結婚式なんて、無くなってしまえば良いんだ。そう思いながら、サティアは静かに微笑み続けた。