18.楽しい新婚生活
ちょっとした家出をして、夫に迎えに来させてからというもの、何だか夫が可笑しい。朝はサティアが目を覚ますまでベッドにいるし、仕事に出るときも戻った時も欠かさず口づけをする。気恥ずかしくて堪らないのだが、それはギルバートも同じようで、毎回顔を赤くしながら照れたようにそっぽを向くのが可愛らしいとさえ思う。
「おかえりなさいませ」
今日も軽く触れるだけのキス。それ以上の事もしている筈なのに、どうして今更こんなに恥ずかしくなるのだろう。使用人たちの前でしているからだろうか。いや、眠る前ベッドの中でする時も同じなのだから、それは違う。
「今日はどうだった」
「はい、特に問題も起きず平和でしたわ。刺繍をして、友人に手紙を出して、お父さまの御友人の奥様方からのお誘いに返事を出しておりました」
「なかなか忙しかったな」
ヘレナが王都からいなくなってからというもの、少しずつではあったがサティア宛に誘いの手紙が来るようになった。元々何度もヘレナに連れられて顔を出していたせいか、大して苦労せず顔と名前を把握出来た。それだけは大いに感謝しているが、数日前屋敷を出て行ったヘレナは随分荒れているらしい。
あの屋敷で働く使用人が辞めて行かなければ良いなと思うが、それはサティアにどうにか出来る事では無い。
代わりに、この屋敷の使用人たちはカップが飛んでくるような生活から解放され、皆すっきりとした顔をして働いてくれている。
「着替えてくる。食事をしたら、昨日の続きをしようか」
少しだけ微笑んで、ギルバートは階段を上って行った。その背中を見送って、サティアはクラリスに誘われるまま食卓へ着く。まだ慣れない夫婦らしいスキンシップに頬が熱いが、クラリスはそれを知らぬふりをしてくれた。
「奥様、お部屋に昨夜のメモを置いておきました」
「ありがとう」
ヘレナが出て行ってからの変化の一つ。サティアの呼び名は「奥様」になった。まだギルバートは爵位を継いでいないが、使用人たちが勝手に呼ぶようになったのだ。ギルバートもそれを止めないし、この家での奥様は確かにサティアなのだから、と誰もが譲ろうとしなかった。
「随分と仲良くなられましたね」
「ええ、そうね。とても嬉しいわ」
少し照れたように笑うサティアを見ながら、クラリスも嬉しそうに笑う。幼馴染が可愛らしい奥様を娶り、嫌いだった元女主人はもういない。それが嬉しくて堪らないが、それを口にする事は無く、ただ穏やかに笑うのだ。
「今日は何かしらね」
ハミルトン家のシェフは腕が良い。毎日そう言って褒めてくれるからと、キッチン担当の使用人たちは以前よりも張り切って料理をするようになった。レパートリーも増えたし、サティアが喜ぶからと、色とりどりのデザートを出してくれることも増えた。お茶会のケーキも可愛らしいものが増えたし、その度に褒めちぎり、ギルバートと共に美味しそうに頬張るのだ。
「待たせてすまないな」
「いいえ、今日のメニューを考えている時間も楽しいですわ」
向かい側に座ったギルバートは、真っ黒なシャツを着て本当に鴉のようだ。サティアはその姿が好きだからもっと着てほしいと強請ったのだが、照れた顔でそっぽを向かれただけだった。
だがサティアは知っている。ギルバートが黒いシャツを少し増やした事を。にやにやと緩む口元を必死で誤魔化せば、不思議そうな顔をしたギルバートが穏やかに微笑んだ。
◆◆◆
食事を終え、少しの休憩。その後は夫婦揃って寝室でああでもない、こうでもないと唸りながら相談をする。それはもう数日続いており、まだそれが終わる気配はない。
「だってこのデザイナーは私が気に入って選んだのですよ?一度却下されているのですから、今度こそこの方にお願いさせてくださいませ!」
「違う、そのデザイナーに頼むのは構わん。だが私にそのデザインが合う気がしないから、指輪のデザインを少し考え直さないかと言ってるんだ」
家出から帰る時に約束した、サティアからの条件。
もう一度結婚式と、指輪を作り直す事。
それは二つ返事で了承され、現在二人で相談し合っているのだが、なかなか話は進まない。言葉を選ぶのが下手なギルバートがサティアを怒らせる事が多いからなのだが、サティアもサティアで一度全く好みでない式をさせられた思いが強く、素直にギルバートの意見を聞き入れられない事があった。
「サティアの指輪はこれで良い。似合うと思う。だが私は石は入っていない方が良い」
「良いではありませんか。大きなものではありませんし」
「鴉が光物をしていると笑われるから嫌だ」
もう昨夜も散々したやりとりを繰り返し、サティアはいよいよむくれだした。むすっとした顔でギルバートを睨むが、ただ笑われただけ。それが気に食わないが、こうして少し喧嘩をしながら話し合うのも悪くない。
「だって、お揃いが良いんですもの」
「う…」
「ギルバート様が石は要らないと仰るのなら、私も石無しのものにしますわ」
「分かった!分かったから…あまり大きな石はやめてくれよ」
全く好みでない指輪を作ってしまった事を気にしているギルバートが折れた。漸く通った希望に、サティアは嬉しそうに笑う。ころころとよく表情が変わるなとギルバートが苦笑したが、にこにこ笑ってデザイン画を抱きしめるサティアはあまり聞いていない。
「指輪はこれで決まりだな。明日正式にオーダーしておこう」
「はい!ドレスもお願いします」
「分かってる。当日まで見せてくれないのか?」
「絶対見せません」
くるくると丸められた紙を大事そうに抱えて、サティアはまたにっこり笑う。絶対に見ないように念を押して、朝になったら使用人に渡す用のメモと共に脇に寄せた。
「それと朗報だ。身内だけの小さな式をすると言ったらな、ビルが庭を使えと言ってきた」
「本当ですか!」
「ああ。サティアはビルの気に入りだからな。欲しい花は早めに教えてくれれば準備してくれるらしいぞ」
あの偏屈な老人が、サティアの為に長い間守り続けた庭を渡してくれる。屋敷の敷地なのだから、ビルが好き勝手出来るわけでは無いのだが、不思議とこの屋敷の人間達はビルを庭の主として見ている。
「嬉しい、きっと素敵な式になりますわね」
「今度礼を言いに行こう。酒を持って行けばきっと喜ぶぞ」
ビルが整えたあの美しい庭でドレスを着て、皆に祝福されたらどんなに素敵だろう。まだ日取りも決まらない式を想いながら、サティアはまたにこにこと微笑んで、数枚のメモに目を落とした。




