2.幸せが逃げると言いますが
さて、どうしたものか。
八年ぶりに会った婚約者は随分と大人びた。成人祝いをした時の彼は十五歳。今は二十三歳なのだから、それなりに大人になってくれていないと困るが、思わず「どちら様ですか?」と聞きたくなる程印象が変わっていた。変わらないのは黒目黒髪と、つまらなそうな顔だけ。
身長はこんなに高かっただろうか。随分と縦に伸びたものだ。
「私の顔に何か付いているか」
じろじろ見すぎたかもしれない。声もこんなに低かったかしら?などとどうでもいい事を考えながら、「失礼いたしました」と詫びて表情を引き締める。
今更ながら、婚約者の成人祝いを放り出すとは何事かと怒りを覚えるが、今更なので何も言わないでおくことにした。
それよりも、八年も会っていない事の方が問題だ。
「本当に、お久しぶりですわね」
サティアは季節やイベント毎に「そろそろお会い出来ませんか」と打診していたのだが、それら全てを「仕事があるから」と断られている。
領地運営の勉強に軍関係の仕事や訓練。いくらなんでも詰め込みすぎではなかろうか。
「すまなかった」
まさか詫びられるとは思わなかった。一瞬驚いて、サティアが動きを止めるのとほぼ同時に、婚約者によって椅子に座らされた。
向かい側に座った婚約者を改めて観察してみると、表情筋がほぼ眉間しか機能していないものの、かなり美形なのではと思った。
ギルバート・パーシヴァル・ハミルトン。侯爵家の長男。黒目黒髪、社交界での二つ名は鴉。王国騎士団の真っ黒な制服を着るから、鴉。
「式の日取りは決まっている。あとはドレスと指輪、それと招待客の確認か」
つまり、日取りと場所以外はほぼ何も決まっていない。それもこれも、ギルバートの仕事馬鹿具合がいけないのだ。招待客リストも、殆どサティアが纏めてやった。何故新郎側までと憤慨したが、忙しいのだから仕方ないと目を瞑ってやったのだ。
「指輪とドレスは、私が決めても宜しいでしょうか」
「好きにしろ」
本当に結婚に全く興味が無いのかといら立ちはするが、自分の好きに選んで良いと思うとわくわくした。近いうちにデザイナーを呼びつけなければ。
「結婚指輪もお前に任せる」
「宜しいのですか?」
「私はそういったものは付いていれば何でも良い」
優雅にカップを傾けて、手元の書類を捲りながらギルバートは言う。どうせこれも仕事の書類なのだろうと思うと、サティアは深く溜息を吐きたくなった。結婚を間近に控えているのに、こんなに気分が良くならないのは何故なのか。
分かりきっている。夫となる男が何も協力しないから。
こんな調子で結婚生活が上手くいくのかと不安になるが、もう結婚する事は昔から決まっている。今更やっぱりやめますなんてことは出来ないのだから、大人しく準備を進めるしかない。
「代金は此方で負担する。決まったら請求は我が家に送れ」
「かしこまりました」
とびきりお高いものにしてやろう。そう心に決めて、サティアは今暫く続く話し合いに耐える。話が殆ど続かないことの気まずさと苦痛を、ギルバートは何も気にしていない。もう何種類目か分からない書類に目を通し、サティアの方を見ようともしないのだ。
後ろに控えるギルバートの従者が、とても申し訳なさそうな顔をしていた。
気にしなくていいのよ、貴方は何も悪くないのだから。そんな気持ちで、サティアはうっすらと微笑む。
氷の妖精などと呼ばれるサティアの静かな微笑みは、婚約者の無礼な態度に怒っているように見えた。
◆◆◆
殆どサティアが喋るだけのお茶会を終わらせてから数日。漸く納得のいくデザインが決まり、言われた通り請求はハミルトン家に送られた。
これから嫁ぐ家だからと、流石に値段は控えめにしたが、それでも良いデザイナーを捕まえた。結婚式の少し前には完成予定の指輪とドレスを楽しみに、サティアは日常を過ごす。友人とお茶をしたり、結婚式の準備をしたり。やることは多く、あっという間に時間は過ぎていく。
時々セレスと手紙のやり取りをして、アランと婚約することになったと知った。友人が今度こそ幸せを掴めると良いなと願うが、今は自分の事で精一杯だ。二人分の仕事を殆ど一人でやらなくてはならないのだから。
「ギルバート様の次のお休みはいつだったかしら」
「残念ながら未定です」
聞くまでも無かったなとげんなりして、サティアは深い溜息を吐いた。もう何日も何度も繰り返すこの行動に、メイドも苦笑いを浮かべた。
「セレスが羨ましいわ。きっとゴールドスタイン様なら率先して結婚式の準備をなさるのに」
金獅子と呼ばれる男を思い浮かべて、すぐに鴉と呼ばれる己の婚約者を思い浮かべてみる。二人とも容姿に文句は無い。ギルバートの表情筋肉だけが不満ではあるが。性格はアランの圧勝だろう。ギルバートのことはよく知らないけれど。久しぶりの婚約者とのお茶会で仕事の書類を広げる非常識さを考えると、あまり性格は良くないかもしれない。
そんな事をぼんやり考えて、何故友人の婚約者と比べているんだと頭を振った。比べたところでどうにもならないのだから、最初から比べるものではない。
「疲れたわ。お茶にしてくれる?」
そう言うと、サティアは今日何度目か数える事も忘れた溜息をもう一度吐いた。