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12.歩み寄りましょう

随分とすっきりした気がする。とはいえ薬のおかげで随分遅くに目が覚めたのだが、夫はとっくに仕事に行ったらしい。

クラリス曰く、ギリギリまで休むかどうか迷っていたそうだが、どうしても期日があるからと仕事に向かったそうだ。

仕事人間のくせに、随分妻を気に掛けるようになったものだと、サティアは薄く笑った。


「お加減は如何ですか」

「もう大丈夫よ。ありがとう」


クラリスもほっとしたようで、少しだけ口角を上げた。水と軽い食事を持ってきたメイドも、安心したような顔をしていて、使用人の人気獲得作戦は順調に進んでいそうだと思った。

特に何かしているわけでは無く、ただ何かしてもらったら礼を言い、粗相を厳しく叱りすぎないようにし、ヘレナの理不尽な怒りを宥めているだけ。確か今来たメイドは先日ヘレナに「紅茶がぬるい」と文句を付けられていたはずだ。長々とお喋りをして冷めさせたのはヘレナだというのに、本当に理不尽で可哀想だった。


「お召し上がりになれますか」

「いただくわ」


ベッドの上で食事をするのには慣れないが、まだ熱が下がったばかりだからとベッドから降りることを許して貰えなかった。

温かいスープと柔らかいパン。それと少しのフルーツ。病み上がりの胃にはありがたいメニューを、サティアは少しずつ口に放り込んでいく。


「このスープ美味しいわ」


たっぷりのキノコが細かく刻まれたスープ。刻むのは大変そうだが、口の中に広がる良い香りが食欲を刺激した。


「料理長に伝えておきましょう。きっと喜びます」

「そうしてちょうだい」


スープのおかげか、すんなりと胃袋に収まった食事たち。空になった皿をメイドが下げるが、ヘレナのように急に怒ったりしないからそんなに怯えないでほしい。

どうにか盆を持ち上げて、頭を下げて逃げるように部屋を出ていってしまう。


「私ってそんなに怖いかしら」

「いいえ、全く」


首を傾げながら、あんなに怯えることは無いのにと少しだけ落ち込んだ。


「随分良くなったようだな」

「おかえりなさいませ」


ドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせて、入っても良いかとサティアに伺うギルバート。背の高い男がこれをやっていると思うと、ドアの向こうはどんなに面白い光景だろうと、サティアは少し面白くなる。


「折角お休みしてくださっているのに…申し訳ございません」

「構わん。今日はここで話せば良い」


本当に、結婚前とは大違いだ。何がどうしてこうなっているのか分からないが、昨日言っていた部下に心の中で感謝した。


「では、私は失礼いたします」


気を利かせたクラリスが部屋を出ていく。きっと後でお茶を持ってくるだろうが、今は夫婦の時間を楽しむことにする。


「そういえば、鴉は怖くないかとはどういう事です?」

「お前が鴉は怖いと言ったんだろう」


またお前と呼んだなと少し睨むが、鴉を怖いと言ったとは何だ。記憶を漁ってみるが、そんな話は思い出せない。


「…母上と話しているのを聞いた。真っ黒な鴉に嫁いでくるが、私がいるから大丈夫だと言われていたんだ。お前…いや、サティアは鴉は怖いと泣いたんだ」


うんうんと頭を悩ませ、なんとか朧気な記憶を引っ張りだした。もしかしてあの話をしているのか?と疑問符が頭の中を埋め尽くしていくが、ギルバートは至って真面目な顔で此方を見ていた。


「鴉は、鳥の方ですわよ?」

「は?」

「確かそのお話をされたのは、婚約したばかりの頃では?」


あの時は、鴉というのがギルバートたち黒目黒髪の男たちの事を揶揄していると分からず、鳥の鴉に嫁ぐのかと怖くなって泣いたのだ。後から父親が笑いながら説明していたが、子供相手に分かりにくい表現をするのはやめてほしい。


「だって黒くて大きくて、子供にはとっても怖く思えたんですもの。まさか自分の家族の事を鴉と言うなんて思いもしなくて…」


もしかして、それを気にしていたのだろうか。放置され続けていたのは、怖がられていると思って避けられていた?


「ギルバート様のことは、初めから怖がってなどおりませんよ?」

「…そうか」


頭を抱えて溜息を吐いているが、ギルバートの耳は赤くなっている。長年の勘違いに漸く気付いたのが恥ずかしいのだろう。


「それよりも、私は長年放置されていた事を気にしておりますのよ」

「すまん。怖がっているのならあまり会うのもどうかと…」

「結婚式のことを私に丸投げしたのも怒っております」

「私は気が利かないしセンスが無いから、任せた方が良いかと思ったんだ」


何だ。ただの会話不足ではないかと、思わず笑ってしまった。

どうやらギルバートは、不器用で優しい男らしい。


「私の一番のお友達も、ギルバート様と同じく黒髪ですの。目は新緑ですけれど」

「ああ、ゴールドスタインの奥方か」

「ですから、黒髪は好きですのよ」


そう言うと、ギルバートは照れ臭そうに自身の髪に触れた。


「ああそうだ…私がいない間、母上に何か言われるようならすぐ教えてくれ。使用人に聞く限り、母上は少々暴走しすぎだ」

「夫婦生活について聞くなどですか?」

「…それは、どういう」


ギルバートの動きが止まる。何を聞かれているんだとげんなりしているようだが、げんなりしたいのはサティアの方だ。


「事に及んだ次の日は、何故かお母さまがとてもお優しいのです。今からなら生まれるのはいつ頃ね、とも。暫く期間が開くとあれこれ指南してくださいますわ」

「ちょっと待て。それはいつからだ?」

「最初からですわ」


大きな溜息を吐いて、ギルバートは心底申し訳なさそうな顔で詫びる。息子夫婦のプライバシーを何だと思っているんだと怒っているが、告げ口をしたようで何だか気が引けた。


「初めはハミルトン家の習わしかと思っていたのですけれど…周りの使用人の顔が曇っておりましたので、少し気になりまして」

「普通ではない。普通なわけがないだろう…」


では、今後は思う存分気持ちが悪いと思って良さそうだ。

孫を心待ちにしてくれるのは良いのだが、もっと色気のある寝間着を着ろだとか、その気にさせるにはこうしてやれとか、そういう情報を聞かされるのはあまり気分が良くない。

そもそも、数少ない夫婦生活の次の日を的確に把握しているのも気持ち悪いし、期間が開いている事に気付いているのも不気味だ。誰か使用人に探らせているのだろうか。


「すまなかった。気分が悪かっただろう」

「そうですわね、あまり…」

「母上には私から言っておく。サティアから聞いたことは伏せておこう。使用人を使っているだろうから、そちらも任せてほしい」

「あまり使用人を叱らないでくださいませ」


分かったと頷くと、もっと楽しい話をしようと話の内容を変えた。

最近詰所に猫が住み着いたが、やっぱり避けられてしまうだとか、アランが事ある毎に惚気てきてうんざりするだとか。

アランの名前を聞いて、セレスは元気にしているかなと少し気になった。きっと大切にされているだろうから、何も心配していないのだけれど。


「ああそうだ。最近母上に付き合ってばかりで自分の友人に会えていないだろう?奥方も寂しがっているそうだから、我が家でお茶でもすると良い」

「宜しいのですか!」


思わず大きくなってしまった声に、ギルバートが少し驚いているが、久しぶりにセレスに会えるのが嬉しい。早く手紙を出さなければ、いつ会えるだろう。どこでお茶をしよう。あの素晴らしい庭を見てほしい。でも庭でお茶は出来ないから…などとあれこれ考えて、嬉しそうにギルバートに案を話す。

それを静かに聞いて微笑んでくれるギルバートに、サティアは少しずつ情を抱き始めていた。


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