1.特別な想いとは?
前作「寝取られ令嬢の王子様」とリンクする箇所がちらほらありますが、読まなくても大丈夫なようにしていきます。勿論読んでいただけたら全力で喜びます!
今作もお楽しみいただけると幸いです。
【20201003追記】
なるべく前作を読まなくても大丈夫なように書いたつもりだったのですが、読み返してみると少々分かりにくい場面があるようです。
多分前作を読んでいただいた方がお楽しみいただけると思いますすみません…
人は誰でも、婚約者には特別な想いを抱くものだと思っていた。
子供の頃、「この人のお嫁さんになるんだよ」と紹介された彼は、真っ黒な髪に真っ黒な瞳。六つも年上の少年は、妹のような年頃の幼女に興味は無さそうで、つまらなそうに眉間に皺を寄せて何処か遠くを睨みつけていたのをよく覚えている。当然と言えば当然だろう。十一歳の男の子が、五歳の女の子を前に「この子がお前の将来のお嫁さんだよ」なんて紹介されたのだから。早く帰りたいと大きく顔に書かれているような、気に入られていないのだなと思うと、その当時とても帰りたかった。
もう遠く懐かしい思い出だ。
「結婚おめでとうサティア様」
そう言って微笑む幼い頃からの友人、セレスことセレスティア・ハンナ・ダルトン。彼女も幼い頃からの婚約者がいた。十二年も一途に愛し続けていたが、手酷い裏切りによりその婚約は解消された。
暫くは塞ぎ込み、王都の屋敷に引き籠っていたようだが、最近は随分元気になったらしい。
「聞きましたわよ!あの金獅子のゴールドスタイン様と婚約だなんて!」
「ちょっと待ってちょうだい、根も葉もない噂です!」
顔を真っ赤にしながら否定していても、あのアラン・ニール・ゴールドスタインに求婚されているという噂は社交界では今一番の話題だ。寝取られ令嬢が随分良い人を、などと言う輩もいるが、サティアに言わせれば「私の友人にはあれくらいの男でなければ釣り合わない」だ。
「というか、金獅子?」
年頃の令嬢ならば絶対に知っているであろう名前を、セレスは知らないらしい。本当に元婚約者以外の男に興味が無かったのかと半ば呆れる。
「知りませんの?ゴールドスタイン家特有の金の巻き毛、飢えた獅子の様に剣を振るわれるお姿は正に金獅子と有名ですのよ」
何だそれはと言いたそうな顔をして、セレスの表情は一瞬消えた。
「あの長身に逞しいお体!御髪が乱れる事も厭わずに剣を振るうお姿の勇ましいこと…」
少々ドラマチックに語ってやろうとわざとらしく言葉を選んでみたが、セレスは誰の話だと言いたそうな顔に見える。
「容姿端麗、家柄も申し分なし、王国軍騎士団所属どころか第三部隊長様!言い寄る令嬢たちを笑顔でやんわり追いやっていらっしゃるそのお姿さえもお美しいのよ!」
何を考えているのかまでは分からないが、何故かセレスの顔は赤く染まっている。どうせ二人でいるときのアランの事でも考えているんだろうと一人納得し、サティアはセレスをからかう事に専念した。
「セレス様、お顔が赤いですわよ?」
「気のせいです」
「嘘を言っているわ。ティナ、何を隠しているのか吐きなさい」
「申し訳ございません、セレスティア様から直にお聞きください」
セレス同様、幼い頃からの顔馴染みの侍女に凄んでみるが、彼女はしれっとした顔で何も教えてはくれない。
僅かに口元が緩んでいることに気付きはしたが、これ以上侍女に何を聞いても無駄だと判断する。
「ウィリアム様とのことがありましたし、まだお心が沈んでいるのではと心配だったのです」
「もう何とも思っておりませんわ」
「そういう嘘は感心いたしませんわね。お顔にしっかり出ておりますわよ」
ウィリアム本人がどうというよりも、まだ嫌な記憶を引きずっているのだろうという印象。静かに紅茶を啜ってはいても、僅かな表情の変化くらいは分かる。もう十年以上の付き合いなのだから。
「最近セレス様は夜会に出ておりませんし、一応念の為お耳に入れておきますわ」
すうと息を吸い込み、サファイアブルーの瞳が冷たく輝く。あまり言わなくても良い内容かもしれないが、大切な友人の為に忠告をしてやりたかった。
噂の真相がどうであれ、もしセレスがアランに好意を寄せていて、この話を知らなければ傷付くと思ったから。
「マクベスのあのお方。ゴールドスタイン様に鞍替えする気ですわよ」
「は…?」
「ウィリアム様よりも良さそうな殿方を見つけ、しかもセレス様と関りがある。婚約者を奪い取るような形になってしまったけれど、一度きちんと謝りたいだのなんだの言って、やけにべたべたとしておりましたわ」
セレスの目はこれでもかと大きく見開かれ、新緑の瞳が零れ落ちそうだと思った。サティアのサファイアブルーの瞳とは違う、優しくて温かみのある色。サティアは彼女の瞳の色が大好きだ。初めて会った時、目に宝石を入れているの?なんて聞いてしまった程、セレスの瞳は美しい。
「それよりも、ウィリアム様の事は聞きませんのね」
「え…」
言われて気付いたようで、セレスはきょろきょろと瞳を動かして困惑している。
「お慕いしていらっしゃるのでしょう?」
「…そのようですわね」
「ああお可愛らしい!」
真っ白な肌を真っ赤に染め上げて、セレスは素直にアランへの好意を認めた。
サティアも興奮のせいか、頬をうっすらと赤く染め、友人の恋路を応援する。
普段社交界では氷の妖精なんて呼ばれているが、本来のサティアはもっと普通の、年相応の少女でしかない。
ただ見た目が雪国出身者の血を引いているだけの、刺繍が趣味で、お茶会と言う名のお喋りが大好きで、少し涙もろい、優しい女性だ。
「サティア」
「なあに?」
「幸せにね」
貴方もねと微笑みながら、サティアはケーキを頬張る。
今まで楽しいお茶会だったのに、近々久しぶりに会う婚約者の事を思い出してしまった。
侯爵家の長男。次期侯爵として今は色々と勉強中。かつ騎士団でも働いているせいで随分と多忙。もう何年も会っていない。
定期的に手紙を出してはいるが、数ヶ月に一度思い出したように殴り書きされた手紙が返ってくるだけ。
最後に会ったのはどれくらい前だっただろう。確かあれは、彼の成人祝いで会った時だから…
「あら、もう八年?」
「何のお話です?」
思わず声に出てしまったが、いくら何でも会わなすぎではなかろうか。というか、サティアの成人を祝ってもらった記憶が無い。恐らく何かしらの贈り物くらいはあったのだろうが、会った記憶が無い。そうだ、ダンスのパートナーは御父上にでも頼んでくれと手紙が来たんだったと思い出すと、つい頭を抱えた。
「今度、久しぶりに婚約者と会うんですの」
「あら、素敵では…もしかして」
「八年ぶりに会いますわ」
流石のセレスも、後ろに控えているティナまで口をあんぐりと開けている。色々と言いたいことはあるだろうが、大して気にもしていなかった自分の無関心さに少々笑えてきた。
いつか夫となる婚約者に、特別な想いなんてものは抱いていない。抱ける気もしない。
「婚約者への恋心って、芽生えるものなのかしら?」
「八年も会わないのなら…分からないわ」
セレスは困ったように笑う。それもそうかとサティアは紅茶を啜り、どうやって今度のお茶会という名の結婚式の話し合いを乗り切ろうか考え始めた。