8:辛い儀式
「……君の言いたいことはわかった」
たった今、名前の出た楡さんが、額に手を当てながら、絞り出すように言った。これだけいっぺんに推理を捲し立てられたのだから、頭痛がしても仕方あるまい。
「しかし、君の推理は、実際の状況とは矛盾しとる。ホンマに鮎子さんが犯人やとしたら、彼女はどこに消えてもうたんや? 事件当時島から脱出した人間は、私ら以外におらんかったんやろ? なら、鮎子さんは島から出ずに、どこかに隠れとったはずやが、それでも、警察の目を掻い潜ることができたとは思えん。
それに、死体の数っちゅう問題もある。もし鮎子さんが君の言う『もう一つの首』を持ち込んどったなら、数が合わんくなるんやないか? ええっと、焼け跡から発見されたのは、確か……」
「完全な状態の男性の死体が二つと、女性の死体が一つ。そして、首と体とに切り離され、剥製が縫い付けられていたと見られる男女の死体が、それぞれ一組ずつです」
「せやったせやった。告白文にもあったように、犯人は我々の発見できんかった残りの死体──ミノタウロスの首と件の体を、図書室の剥製の中に、隠しとったことになる。しかし、あの首が鮎子さんの物ではないとなると、焼け跡から見付かった女性の体は、どこから出て来たんや? 鮎子さんが持ち込んだ身代わりは、首だけやったんやろ? 彼女の荷物も旅行鞄一つだけやったし、人の体まで一緒に入れられるわけあらへん。……であれば、『首を切断された女性の死体』なんて、見付からんはずや。首しか用意してへんのやからな。
いや、そもそもの話、あれは誰の首やったんや? 鮎子さんと同じ顔をした女性っちゅうのは、いったいどこの誰なんや。それに、どうして鮎子さんは自分の死を偽ってまで、繭田んたちを殺さなあかんかった? 君にはもう、そこまでわかっとるんか?──緋村くん!」
最後にはとうとう怒鳴り声を上げていた。彼も混乱しているのだろう、荒い息をしつつ、真っ赤な顔で青年を睨み付ける。
「心配なさらずとも、全てお答えしますよ。楡さんの疑問を整理すると──」
一、犯行後、神母坂さんはどこへ消えたのか。
二、死体の数に狂いが生じていないのは何故か。
三、彼女の「もう一つの首」とは、誰だったのか。
四、繭田父子を殺害した動機は何か。
「と、言うことでしたね。ではまず……三番目の問いからいきましょう」
こともなげにそう言うと、彼はこれまでとは一転、いきなり結論を口にした。
「神母坂さんが自身の身代わりに使ったのは──瀬戸くんの首です」
「は?」
そんな、声とも溜め息とも取れぬ音が、楡さんの口から発せられた。不意打ちどころではなかったはずだ。「は?」の形に口を開いた状態のまま、彼はしばしフリーズする。
僕には楡さんの気持ちがよくわかった。昨日の僕も、全く同じリアクションを取ったから。
「な、何を言っているんですか? 瀬戸さんが、鮎子さんのもう一つの首だったなんて……」
未だに口を閉じることさえできない院長に代わり、東條さんが抗議する。
「だいいち、瀬戸さんの顔は鮎子さんとは少しも似ていないじゃありませんか。鮎子さんの首と見紛うはずがない」
「春也さんのように、彼もまた整形していたんですよ。神母坂さんの顔に、ね」
「整形⁉︎」東條さんが、まっさきに叫んだ。「だ、だとしても、それならそれで、楡先生が気付いたんじゃ」
「と言うことですが、いかがですか? 楡さん」
水を向けられた院長は、しばし腕を組んで考え込む。
「一般的な美容整形やったら、すぐに見抜ける自信はある。ヒアルロン酸を打っとるとか、目尻を持ち上げとるとかならな。ただ、顔ごと他人に作り変えたとなると……」
「判別は難しい?」
「……かも知れん。実際、私は島に来たんが顔を変えた春也くんやと見抜けんかった」
「けれど、それは初めて見る顔やったからやないの?」隣りから、妻が話に加わる。「鮎子さんくらいよく知った人やったら、気付いたかも知れんやない。それに、幾ら整形したところで、百パーセント他人と同じ顔にできるとは、思えへんわ」
「もっともなご指摘です。幸恵さんの仰ったとおり、完璧に神母坂さんの顔になることは、困難でしょう。しかし、あの死体は無理矢理剥製に縫い付けられたことにより、形相が歪み、尚且つ髪を振り乱していた。たとえ『本物の首』をコピーしきれていなかったとしても、多少の違いであれば気付かれはしない──神母坂さんは、そう考えたんです」
そもそも、かようにオゾマシイ死体をジックリ観察しようなど言う人間が、警察の捜査官以外にいるわけがない。いるとしたら緋村くらいだろうが、彼が事件を調査することなど予想できたはずがないし、どのみち島にいる間、死の偽装は露呈しなかった。
「屋根裏部屋の窓と同じことですよ。『何か仕掛けがある』と初めから疑っていなければ、見破ることは意外と難しい。
また、瀬戸くんは、元々男性にしては長く艶やかな髪をしていました。神母坂さんの首の代役を務める男性として、彼以上の適任者はいなかったでしょう」
瀬戸は、井岡が「男にしておくにはもったいない」と思うほど、美しい黒髪の持ち主だった。例の告白文の中で、春也さんはこの髪質の違いから目を逸らさせる為に、瀬戸の死体を牛頭人身の怪物に見立てたとされていたか。
無論、これは偽りの動機であるのだが……何にせよ、緋村の語ったとおり、神母坂さんの身代わりとして用いるには、申し分ない人材だったのだろう。
「当然、井岡が尾行した女性も、本当は彼でした。だからこそ、『金縛りに遭う女』は、井岡を見た途端逃げ出したんです。自分の正体がバレてしまわないように」
井岡は彼女──いや、彼か──が、「明確に自分だと認識した上で逃げた」と考えたと言う。これは正解だったのだ。
「あの人が、瀬戸くんやった……。……そっか。だから、あんなに不安げな目をしとったんや……」
そう独語した友人は、どこか合点がいった様子だった。
「井岡を車道に突き飛ばすよう、神母坂さんが春也さんに命じたのも、本当はこの尾行が原因だったのでしょう。井岡は彼女の『もう一つの首』を見てしまっただけでなく、軍司さんと接触し、流浪園を訪れようとしていた。もし本当に井岡が流浪園にやって来たら──いや、軍司さんと面会するだけでも、今回の計画は破綻しかねない。軍司さんから井岡とのやり取りを聞かされた彼女は、この招かれざる客を、事前に排除することに決めたのです。
また、瀬戸くんはご両親からの電話に出られない期間があったそうです。確か、七月から十一月までの間は、メッセージのみでしかやり取りができなかったのだとか。……おそらく、これは整形手術による影響で、喋ることが難しかったからでしょう。──以前、楡さんに伺ったところ、顔全体を整形した場合、ダウンタイムが終わるのは、個人差はあれど半年ほどである、とのことでした。瀬戸くんが手術を受けたのが大学を辞めた直後だと考えれば、ちようと半年が経過していることになります」
つまり、春也さんと並行する形で、彼の方でも他人に生まれ変わる為の準備を進めていたのだ。
「それから、瀬戸くんが誉歴さんの葬儀に参列しなかったのは、すでに神母坂さんの顔に整形したあとだったから。当然の話ですね。そんな状態で、ご両親や榎園家の関係者たちに、会えるはずがない」
「ね、ねえ、緋村くん。神母坂さんの顔に整形したってことは、やっぱり瀬戸くんは……」
「ああ。彼は──性同一性障害を抱えていたんだろう」
井岡もすでに気付いていたらしく、あまり驚いた様子はなかった。ただ、辛そうに表情を翳らせ、胸の前で右手を握り締めていた。
むしろ、その言葉に強い反応を示したのは、秀臣さんと渋沢さん、そして織部さんだった。
「それじゃあ、例の『下着泥棒の夢』も、瀬戸くんの心の性が見せたものやったんやな?」
「断言はできません。ただ、僕も渋沢さんと同じように解釈しました。──秀臣さんは、本当は悪夢のことだけでなく、性同一性障害に関しても、相談を受けていたのでは?」
「あ、ああ……」元産婦人科医は戸惑いつつも首肯した。「君の言うとおりだよ。中学に上がった頃、藍児くんは、すでに自分の望む性別を自覚し始めていたようだ。しかし、誰にも──ご両親にさえ打ち明けることができず、悩んでいた。罪悪感のような意識もあったのかも知れない。だからこそ、彼は夢の中で、咎められていたんだろう」
「秀臣さんは『気にすることはない。君は何もおかしくなんてない』と、瀬戸くんを勇気付けたそうですね。そして、それ以来彼は悪夢に魘されることはなくなった──きっと、受け入れることができたでしょう。その悩みを、自分の“個性”として」
「だといいんたがね……。正直なところ、あんな風に軽々しく励ましてしまってよかったものか、未だに自信がないんだ」
「しかし、実際に瀬戸くんがその言葉に救われたのは確かだと思います。もしかしたら、秀臣さんであれば味方になってくれると信じていたからこそ、まっさきに相談したのかも知れません」
それこそ励ますような口調で言うと、彼は話を本筋へと戻す。
明らかな動揺を面にする織部さんを、わざと黙殺するように。
「整形手術の費用は、口座の中にあった金から捻出したのだと思います。瀬戸くんの口座には、誉歴さんの援助により、かなりの額が預金されていたようですから」
「口座の金が全て引き出されていたのは、そう言うことだったのか!」
「やはり、金が下されていたのですね? では、間違いないようです。──瀬戸くんは、神母坂さんに生まれ変わろうとしていた。そして、それは神母坂さんの方から、瀬戸くんに持ちかけたことでした。つまり、彼女は初めから自分の死体役を務めさせる為に、彼を唆したのです」
「ま、まさか……藍児くんは、そんな理由で殺されたのか……?」
愕然とした表情で、彼は問う。
緋村はわずかに顔を歪め、俯くようにして首肯した。それは、酷く苦しげな表情に見えた。
彼にとっても、この推理は辛い儀式なのだろう。
「ば、馬鹿な……」
力なく呟いた彼は、祭壇に飾られた遺影の一つを睨み付ける。怒りと口惜しさの為だろう、ギリギリと音が聞こえて来そうなほど、強く歯を食いしばって。
「くっ──」堪えきれぬとばかりに大きな拳を振り上げたが、結局それは弱々しくテーブルを打っただけに終わった。拳を握り締めたまま、彼は項垂れる。
「……また、救えなかったのか……」
また──千都留さんのことを言っているのだろう。彼は、彼女の自殺を止められなかったことを悔いていた。だからこそ瀬戸を取り上げ、その成長を見守って来たのだ。
誰も、言葉をかけることはできなかった。
見ていられなくなり、僕は思わず目を伏る。




