2:その義務を負ってしまった
残る二人の参列者が到着したのは、それから間もなくのことだった。
喪装で現れた東條さんは、大型の黒いトートバッグのような物を携えていた。大きさや形状から察するに、どうやら絵画が入っているらしい。その証拠に、彼は織部さんに手伝ってもらい、丁寧な手付きで、鞄を祭壇の傍らに置いていた。
だが、そんなことよりも重要なのは、彼と共に会場に入って来た人物だ。祭壇の前で振り返り、その人の姿を見た時、僕は我が目を疑った。瓜二つだったからだ。流浪園で炎に包まれて散華だ、軍神と。
それは緋村や、主催である楡夫妻も同様であったらしい。亡霊にでも出くわしたかのように、誰もが一瞬、顔を蒼褪めさせた。
「昨年はどうも。また会えて嬉しいよ」
その言葉は僕と緋村ではなく、渋沢さんたちへ向けられたものだった。彼らのやり取りを見て、僕はようやくその老人が何者なのかを、理解する。
「みなさん、初めまして。軍司将臣の弟の、秀臣です」
学生たちへの挨拶を済ませると、今度は僕らの方へ向き直り、そう名乗った。彼が軍司さんの双子の弟──国内での代理母出産を敢行し、産婦人科学会を追われた、軍司秀臣さんなのか。
「東條くんが出迎えに行ってくれてたんや。しかし、一卵性双生児なだけあって、よう似とるな」
そう耳打ちして来た院長に、僕は頷き返した。確かによく似ている──のだが、よくよく見てみれば髪の長さが異なるし、兄にはなかった無精髭が生えていた。何より、瞳の奥の暖かさが大違いだ。
秀臣さんの荷物は、喪服には不釣り合いなナップサックだった。初めは単に、着替えでも入っているのだろうとと思ったのだが、そうではないことがすぐにわかる。
祭壇の前にやって来て手を合わせた彼は、ナップサックを肩から下ろすと、中から写真が入った額縁を取り出した。
瀬戸の遺影だ。
彼は会の主催者に一言断ってから、それを祭壇の右端──繭田さんの隣りに空いていたスペースへ、飾り付けた。初めから、瀬戸の遺影も祭壇に加える予定だったのだろう。
出席者が全員揃ったところで、僕たちはそれぞれ指定された席に着く。
“喪色の宴”が、始まろうとしていた。
その間際、僕は井岡の姿を盗み見た。彼女は俯けた視線を自らの手元に落とし、落ち着かなそうに膝の上で両の指を絡めている──いつになく、口数が少ない。
厳粛な場故に遠慮しているのもあるのだろうが、それ以上に、緋村から下された指示に従っている為だろう。
昨日、突然彼女に電話をかけた緋村は、こんな依頼を口にしていた。
「──会場に着いたら、俺が話を振るまで、なるべく黙っていてくれないか? 無論、挨拶くらいだったら構わない。だが……何があっても驚くんじゃねえぞ?」
その指令には、いったいどのような意味があるのか?──僕はすでに知っていた。あのあと、一足早く、緋村の推理を聴かせてもらったからだ。
その内容は、複雑且つ突飛なものであり、何度も説明や補足を加えてもらいながら、どうにか理解することができた時には、すでに夜が更けていた。《えんとつそうじ》は本来ならばバータイムに突入している時間帯なのだが、店主の計らいにより、昨夜は早めに「close」の札をかけもらい、僕と緋村の貸切状態となった。
──僕は、緋村が辿り着いた真相を知っている。が、しかし、それでもまだ完全には、受け入れることができていない。
だから、今日は見届けさせてもらうつもりだった。彼の辿り着いた結論が、本当に正しいのか否かを。
そして、もし正解なのであれば、この事件の真相が、彼らに何をもたらすのかを。
観客に徹することを決めた時、会の始まりを告げる一声が発せられた。
「みなさんもご存知のとおり、昨年の事件で亡くなった人たちのご遺体は、未だに帰って来ていません。おそらく、検死や身元確認やらが、十全に済んでいない為でしょう。そこで、葬儀を執り行うことが叶わない代わりに、せめてもの弔いを捧げようと、本日はこのような会を設けさせていただきました。改めて、ご列席くださり、本当にありがとうございます」
格式張った挨拶と共に、幸恵さんは椅子の上から項垂れるように礼をした。隣りにかけた夫や使用人も、それに倣う。
「つきましては、故人との思い出を語らったり、わたくし共に事件当時のことを訊いてくださったりしても、構いません。……先ほどから堅苦しい言い方ばかりしていますけれど、とにかく今日は、遺族や友人同士、親睦を深めたいと考えています。みんなでお食事やお酒、お喋りを楽しみながら、衣歩ちゃんたちの冥福を祈りましょう」
白い面に幽かな笑みを讃え、そう付言した。今回の集いの趣旨はわかったし、彼女の提案には僕も望むところだ。いや、この場にいる全員が同じ想いに違いない。
だが、その前に──事件を乗り越える前に、まだやるべきことが残っている。
「では、さっそくいいですか?」
その硬質な声音は、僕のすぐ左隣りから響いた。緋村だ。
ちなみに、左腕を吊った彼は、そちらの袖には腕を通さずに、礼服を羽織っていた──ネクタイは、親切な大家さんに結んでもらったそうな。
そんな緋村に、幸恵さんは少々意外そうな顔を向け、
「ご質問ですか? もちろん、構いませんよ。──どうぞ?」
「ありがとうございます。幸恵さんに伺いたいのですが──衣歩さんの遺書には、何と書かれていましたか?」
その問いを聞いた途端、主催者は瞠若した。
いや、幸恵さんだけではない。楡院長も、織部さんも、そして東條さんまでもが、一様に目を剥き、青年の姿を見返していた。完全に不意を衝かれたようで、四人とも動揺を隠せていない。
「ど──どうしてそれを……」
「何故遺書の存在がわかったか、と言う意味でしたら、『ただの勘』としか答えようがありません。この家に、遺書に類する物が残されていると思ったんですよ。……それも、手書きではなく、パソコンを使って作成した文章で」
「……えらい、勘がええんですね」幸恵さんは、怪訝そうに眉根を寄せる。「確かに、遺書はパソコンを使って書かれていましたよ。内容はとてもプライベートなことですので、この場で口にするのは」
「当ててみましょうか?」
彼女の言葉を遮り、緋村は不敵な笑みと共に、こう続けた。
「衣歩さんの遺書には、彼女の密かな希いについて認められていたはずです。すなわち──明京流さんとの子供を授かることを望んでおり、軍司さんに依頼して、明京流さんの精子を病院で保管してもらっている、と。……みなさんは、この希いを叶えてあげるべく、準備を始めようとしている。違いますか?」
体を前に傾けた緋村は、四人の姿を素早く見回す。榎園家の関係者らは、誰もが返事を迷っている様子であり、その他の者はみな、この状況に戸惑っているようだった。
ただ一人、田花さんだけは、先ほどからウツスラと笑みを湛えたまま、椅子の上で踏ん反り返っていたが。
「緋村様は、ご存知だったのですか? 衣歩様の望まれていたことを……」
織部さんが尋ねる。
「ええ。直接ご本人から伺いました。なんでも、四年前──明京流さんが亡くなる直前に、お二人で話し合って決めたことだそうですね。誉歴さんの許可も得ており、相続した遺産も、体外受精の費用に充てるつもりだと、仰っていました」
「……そうやったみたいですね。衣歩ちゃんの遺書にも、全く同じことが書いてありました。やっぱり、クローンの作製なんて、依頼してへんかったんですね」
幸恵さんは、自嘲的な微苦笑が浮かべた。しかし、すぐにそれを引っ込めると、今度は確固たる決意を窺わせる表情で、
「私たちは全員、衣歩ちゃんの意志を尊重することに決めました。遺書に書かれていたとおり、代理母出産の手配を行い、産まれて来た赤ん坊を、みんなで立派に育て上げてみせます」
「……やっぱり、そう来たか」
緋村が独語する。今のところ、全てが彼の想像したとおりだった。
「衣歩さんの遺書には、こう書き記されていたのでありませんか?『ある病院で採卵を行なった。体外受精に用いるつもりで保管していたこの卵子と、明京流くんの精子を用い、代理母出産を行なってほしい』と」
──ここに来て、衣歩さんの言動が大きく食い違う。彼女はあの時、「まだ何も準備はしていない。みんなに報告してから採卵に臨むつもりだ」と言っていたではないか。
それなのに、「すでに採卵を済ませており、その時採取した卵子を使って代理母出産を行なってほしい」と、書き残すなんて……。
衣歩さんの言動に生じた齟齬。しかし、それこそが、緋村の推理が間違っていないことを、何よりも如実に証明していた。
「……それだけではなく、代理母出産に必要な書類やら採卵を行なった際の診察書やらが、こちらのお宅の金庫に保管されていたはずです。たった今、話に上がった遺書と共に」
「も、もしかして、それも衣歩ちゃんから聞いていたんですか?」
東條さんの問いを、緋村は静かに否定した。
「いいえ。そう予想したと言うだけですよ。──ちなみに、衣歩さんが事前に遺書を残していた理由に関しても、大方想像が付きます。神母坂さんから不吉な予言を聞かされた彼女は、その内容を信じてはいなかったものの、俄かに不安になってしまった。だから、万が一のことを考え、遺書と言う形で、自らの希いを書き残したのでしょう」
「驚いたな……全て正解ですよ。衣歩ちゃんの遺書は僕も見せてもらったんですが、確かに同じようなことが書かれていました。『普段にも増して物騒な予言だったから、一応自分の望んでいることを認めておくことにした』ようです」
他の三人も、ほぼ同時に首肯する。
「金庫の中に遺書と書類があったちゅうのも正解や。織部さんに金庫を開けてもらった時は、魂消たわ。──けれど、それがどうかしたんか? こう言うと冷たく聞こえるかも知れんが、君とは関係あらへんやないか」
「そうとも言いきれません。僕はある事実を知る者として、みなさんを止めなければならない。僭越ながら、その義務を負ってしまったようです」
「何やと? それじゃあ、君は私らに、衣歩ちゃんの希いを聞き入れるな言うんか?」
「……ええ。そんなことをしても、衣歩さんの為にはなりませんから」
冷淡な響きを伴った言葉に、院長は絶句した。他の人たちにとっても、思いがけない発言だったのだろう。
すぐさま反応を示したのは、幸恵さんだった。
「いったいどう言う意味でしょう? もう少しわかりやすく話してくださいますか?」
「もちろん、ちゃんと説明させていただきますよ。──ですがその前に、ハッキリさせておきたいことが、一つあります」
「何を……」
「昨年の暮れに流浪園で起きた事件の、真相です」
臆面も躊躇いもなく……緋村奈生は、そう言いきった。




