5:聖女の糸を、手繰り寄せる時が来た
「今の話、本当なのか?」
通話を終えた緋村に尋ねる。田花さんの声が大きかったので──彼は基本的に声のボリュームがでかい──、テーブルを挟んだ距離からでも、話の内容が聞き取れた。
「ああ。聞いていただろうが、すでに裏は取ってある。あの時、俺たちの他に島に出入りした人間はいなかった。非合法な便利屋の船なんて、存在しなかったのさ。
それと、意外と早く救助が来たのも、火事に気付いた漁船の船員が電波の入るところまで引き返し、消防に通報してくれたからだそうだ」
「確かに、孤島で起きた火事にしては、やけに対応が迅速だと思ったけど……」
「加えて、織部さんの証言もある。ほら、最初の事件のあとで話を聴きに行った時、言っていただろ?『一日目の早朝に島内を見て回ったが、誰かが潜んでいた痕跡は見受けられなかったし、鉢合わせることもなかった』って」
事件当時──すなわち二十四日から二十五日にかけて、僕たち以外誰も島に出入りしていないとなると、犯人が上陸できたのは、滞在の前日か、さらに前ということになる。しかし、一日目の朝の時点で、そのような形跡は見当たらず、誰も潜伏していなかったのだから、やはり第三者が犯行に関与していたとは、考え難い。
「例の文章の内容から、犯人が流浪園の屋敷にある物や、当事者らの関係について、知悉していたことは自明。この点からも、外部の人間による犯行の線はないと言っていい」
となると、真犯人は春也さんでも、未知の人物でもなく──生き延びた人間の中にいる、と言うことなのか? 僕と緋村を除いた、あの四人の中に?
──いや、それはおかしい。
「でも、現に瀬戸の両手は、春也さんの部屋から発見されたんだぞ? あれはコンサバトリーで瀬戸を殺した春也さんが、死体から切断して持ち帰った物──つまり、春也さんが島を抜け出したことを示す、何よりの証拠じゃないか。
それに、告白文の件はどうなる? あの文章は、二十六日の午前零時頃、春也さんの部屋に残されていたパソコンから、投稿されていた。そして、その日の早朝に警察が乗り込んでいる以上、僕たち全員にアリバイが成立する。二十五日の夜に救出されてから、二十八日の午前中まで、僕たちはみんな警察の監視下にあったんだ。そんな状況で告白文の投稿ができたなんて、考えられない」
警察の目を盗みコッソリ病院を抜け出して、尼崎市にある彼のアパートまで行って戻って来ることなど、到底不可能だ。
また、予め彼のPCを持ち出しており、病院内で投稿を終えたのだとしても、結局は同じこと。朝までに、PCを戻す手段がないのだから。
そう反論するも、緋村は微塵も動じず、
「どっちも大した謎じゃない。お前が難しく考えすぎているだけだ」
しかし、実際この二点は、かなりの難問だと思うのだが……。いったい、犯人はどのようなトリックを用いたと言うのか。
尋ねるよりも先に、意外な問いが寄越される。
「ところで、お前、今回も事件記録を書くつもりなのか?」
事件記録と言うのは、昨年の夏に、初めて事件に巻き込まれて以来続けている、ちょっとした儀式のような物だった。失われてしまった命への、僕なりの供物のつもりで始めたことだが、気付けば緋村と共に事件に遭遇する度に、その記録を書き残している。
そんなことを訊いて何になると言うのか。意味不明ではあったものの、ひとまず頷き返す。
「まあ、ね。と言うか、実はもうすでに書き始めているんだ」
実家に帰ったはいいが、やはり事件のことが頭から離れなかった。その為、僕は帰省している間、スッカリ恒例となったその作業に没頭することで、気を紛らわせていた。年を跨ぐ瞬間でさえ、事件記録を執筆していたほどだ。
「何なら、今も鞄の中に入っているよ。と言っても、まだ二日目の朝までしか進んでいないけどね」
「そうか。──よければ、今ここで読ませてくれないか?」
これまた予想外の要望だった。
僕の事件記録は単なる自己満足に過ぎず、他人の目に触れることなど想定していない。その為、緋村と言えど、読ませるのは少なからず抵抗があった──すでに一度、勝手に読まれたことはあるが。
しかし、その時の彼の表情は、いつになく真剣だった。普段のように僕を茶化すことが目的ではないのが、すぐに理解でき、かえって戸惑ったほどに。
逡巡したのち……僕はその真摯な眼差しに、応えることに決めた。
「……わかった。ただし、さっきも言ったように書きかけだし、手書きだからかなり読み辛いと思うよ。それでもいいのなら、読んでもらって構わない」
「そんなこと気にしないさ。──恩に着るよ」
やけに素直で、調子が狂う。
今年は皮肉屋を卒業するつもりなのだろうか? そんなくだらないことを考えつつ、ボストンから取り出した原稿用紙の束を、彼に差し出した。
それからしばし、静かな時間が訪れる。店内に流れるBGMが鮮明になり、あとは緋村が事件記録のページを捲る音が、時折耳に届いた。
※
「もう読み終えたのか?」
原稿用紙の束をテーブルに置き、新しい煙草に火を点けた彼に、尋ねる。まだ書きかけとは言え、百枚はゆうに超えているはずだ。
「お前こそ、この短期間でよくここまで書けたな。そんだけ気力があるのなら、学科の課題にも活かせよ」
早くも普段どおりの軽口が帰って来た。それはこの際いいとして。
「で、どうだった? 少しは役に立ちそうか?」
「……ああ。上出来だぜワトソンくん。ちょうど、俺の知りたかったこと──俺の見ていなかったものが、載っていたよ」
そう答える緋村の瞳の奥で、重要な手がかりを嗅ぎ当てた時に見られる特有の光が一閃する。どうやら、僕の特殊な習慣にも、多少なりとも意義があったようだ。
「それは何よりだけど……結局、君は何を知りたかったんだ? 自分で書いておいてナンだけど、そこまで重大なヒントがあったとは思えない」
「ありまくりだろ。決定的な証拠が、ちゃんとこの中に書き記されていたぜ?」
言いながら、事件記録の表紙を小気味好く指で叩く。ありまくり──とはおかしな表現だ。
「むしろ、お前が気付かねえのが不思議なくらいだ。こんな細けえところまで書き記しているクセに、どうしてわからない?」
「悪かったな愚鈍くて。──でも、決定的な証拠を見付けたってことは、犯人がわかったんだな? いったい、誰なんだ?」
一転して、緋村の表情が翳る。嬉々とした笑みが消え去り、今度はいつも以上の仏頂面が浮かんだ。
「どうした……?」
「……いや」紫煙の向こう側で、昏い黒眼が泳いだ。「それを教える前に、幾つか確認させてもらってもいいか?」
「あ、ああ……」
「さっそくだが、繭田さんの遺体を部屋から運び出した時のことは、覚えているか?」
「えっと……あまり自信はないけど、たぶん」
「あの時、東條さんは机の傍にいて、開けっ放しになっていたケースの中身を見ていた。そうだな?」
確か、繭田さんのインスリン薬に毒物が混入されたタイミングが問題となった際、本人がそう証言したのだったか。赤いラベルの物の他に二本、同様のバイアルがしまわれているのを見た、と。
この辺りに関してはまだ事件記録には認めてはいないものの、ちゃんとメモに記してある。
そう答えると、
「……よかった、これでひと安心だ」
一言呟いたきり、また黙り込んでしまう。毎度のことながら、何故こうも持って回った言い方ばかりするのか。
「何が『安心』なんだ? 一人で納得してないで教えてくれよ」
この要望は、当然の如く受け流される。その代わりに、と言うつもりはないのだろうが、緋村は次の問いを寄越した。
「二日目の朝、俺たちがコンサバトリーに向かう間際、繭田さんはインスリン薬を投与しようとしていた。そして、その後一階に下りて来た楡さんも、彼が注射を打つところを見たんだったな?」
「だな。その時使われたのは、赤いラベルのバイアルだったって、ハッキリ言っていたよ」
「そうか。なら、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
身を乗り出して言葉の続きを促したものの、そこから先が声になることはなかった。
それからしばらくの間、緋村は何の反応も示さなくなる。心ここに在らずと言った様子で、宙空に視線をやったまま、ひたすら煙を吐き出し続けた。
このまま人型の煙突になってしまうのではないか──そう心配しかけた矢先、彼はまたしても、意外なことを呟く。
「部屋割りがこれなら……」
「部屋割りが重要なのか?」
「そう言うわけじゃない。ただ……補強に必要だと感じただけだ」
どう言う意味なのかと尋ねたが、またしても応答はなかった。どうやら、今度こそ黙考を開始したらしい。彼は短くなった煙草を潰し、即座に新しい物を取り出す。
仕方がないので、僕は事件記録を取り寄せ、部屋割りに関する記述のある箇所を、自分で確かめてみた。
──確か、一日目の晩餐会のあとのシーンに、挿し込んだのだったか。
僕の記憶は正しかった。が、それが何の補強になるのかまではわからない。
部屋割りに関しては保留することにして、僕は改めて、自分の書いた供物を、冒頭から読み返すことにした。
やがて、残り数枚──大広間に繭田さんを残し、四人でコンサバトリーへ向かう場面だ──と言うところまで読み進めた時、緋村が久々に、煙草を吸う以外の動作をした。
何本目かわからない赤マルを咥えた彼は、突如、吸い殻の山を築き上げた灰皿の横に、手を伸ばす。そこに置かれていたスマートフォンを取り上げ、どこかへと電話をかけ始めた。
「……もしもし? 今、話せるか? ……いや、一つ頼みたいことがあるんだ。お前、明日の会には来られるんだよな?」
明日、僕と緋村は榎園家の本邸で開かれる、事件の被害者を悼む集いに、出席する予定となっていた。年末に楡さんから連絡を受けており、年明けと同時に慌ただしく大阪へ帰って来たのも、この会に間に合わせる為だ。
また、明日は僕たちの他にも、井岡と渋沢さん、それに境木と田花さんまでもが招待されていた。死者の一人である、瀬戸の友人代表と言う名目で。
つまり、今緋村が通話している相手も、そのうちの誰か──境木はおそらく今も運転中であり、先輩二人に対する口調ではないことから、井岡なのだろう。
「だったら、明日は俺の指示どおりにしてくれねえか? ……別に、難しいことじゃない。ただ──」
彼はある意外な指示をし、一言二言会話を交わしてから、電話を切った。彼女にそんなことをさせて、何の意味があると言うのか。これ以上、謎を増やさないでもらいたい。
「電話の相手、井岡だよな? どうしてあんな指示を出したんだ?」
「決まってるだろ。全てを終わらせる為さ。俺の考えが正しければ、それで一気にカタが付く。聖女の糸を、手繰り寄せる時が来た」
「それはつまり……」
迷宮を脱出する準備は整った、と言うことか?
「全て、解けたのか?」
「……まあ、な」
咥え煙草で答える探偵の表情は、何故だか酷く冴えなかった。




