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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
幕間の章:聖女の糸
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4:さっさと帰るで

 二〇一九年一月四日──十四時過ぎ。

 鳥取県某市内某漁港から、徒歩十分足らずの場所に、老舗民宿《沖》はあった。蜜柑と前垂れのついたごぼう注連(しめ)の飾られた玄関から中に入ると、一階は食堂を兼ねた定食屋となっており、店の奥には宿泊スペースへと続く、急な階段が見えている。

 時間が時間なだけに客はおらず、()が入店した時には、割烹着姿の年老いた店主が一人、暇そうに座敷の縁に腰かけ、壁に備えられたテレビを眺めていた。

「いらっしゃい。お好きなところにどうぞ」

 そう言って、曲がった腰を摩りながら立ち上がろうとした店主を、その若い男は愛想笑いと共に押し留める。

「お構いなく。ご飯をいただきに来たわけではありませんので」

「ん? なら、何しに来なっただ?」

「実は、少しご主人に伺いたいことがございまして……」

 言いながら、彼は灰色のトレンチコートのポケットから、黒い手帳を取り出し、中を開いてみせた。店主はレンズの分厚い眼鏡をかけ直し、そこに貼られた写真と彼の顔とを、しげしげと見比べる。

「なんや、刑事さんか。また野戸島の事件のことですか? 年明け早々、お忙しいことで」

「お時間は取らせませんので、ご協力願えますか?」

「構いませんよ。見てのとおり、暇しとったところですがな。で、何を話せばええですか?」

「そうですねぇ……まずは」

 彼は手帳をしまったのとは別の場所から、何やらメモのような物を引っ張り出し、その内容に目を落とした。


 それから約二十分後。短い聴き込みを終え、彼は《沖》を辞した。

 後ろで結んだモサモサの髪を揺らしつつ、革靴の裏を軽快に鳴らして、駐車場に停まる黒いワゴンRへと向かう。助手席に乗り込みシートにもたれかかると、すぐさま胸ポケットから、スマートフォンを取り出した。

 コールした相手はそう待たせることなく、電話に出る。

「大当たりやったで、緋村チャン。お前の睨んだとおりや。事件当時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。招待客や、使用人を除いてな」

『……本当ですか?』

「ああ。民宿のご主人の話によれば、事件のあった二日間とも、ここら辺の海では漁が行われとったそうでな。ちょうど、野戸島と港の間の海域に、漁場が点在するらしいんやが、操業中に見知らぬ船舶が通りがかったら、誰かしら気ィ付いたはずなんやと」

 しかし、そんな怪しげな船舶を目撃したと言う漁師は、一人もいなかったと言う。

「冬場の漁ってのは、海に出られる日が限られとるそうや。せやから、そう言う日は昼夜問わず船を出して、獲れるだけ獲って帰港する。つまり、真夜中やからと言って、誰の目にも触れずに海上を移動するのは、難しい状況やったわけや。

 もっと言えば、例え無灯火やったとしても、どっかしらの港に立ち寄る以上、自ずとルートは限られて来るわけで、どのみち漁船の傍を通ることは、避けられへん」

 無灯火での夜間航行は、当然ながら違法行為である。もしそのような場面に遭遇すれば、必ず記憶に残るはずであるし、通報もするだろう。

 また、これは以前織部も口にしていたことだが、二馬力ボートなどの小型の船を用いて密かに移動するのは、不可能だと言っていい。港からの距離を考えれば、途中でエンジン切れを起こすのは必定であるし、野戸島の近辺に他の島は存在しない。つまり、エンジンを補給することができないのだ。

「無論、この事実は、警察もとっくに把握しとるらしい。俺が話を聴いたご主人も、『年末にも話したはずだけど』って、不思議がってたわ。俺のこと、ホンマに刑事やと思ったんやろなァ」

 田花が得意げに成果を語る間、緋村は口を挟まなかった。

 ──が、ほどなくして、電話口から聞こえて来たのは、溜め息だった。

『そうじゃなくて、本当に警察のフリをして聴き込みに行ったのか、って意味ですよ』

「なんやねんその言い方は。先輩がわざわざ鳥取まで遠征してやったっつうのに、礼の一つもないんか?」

『礼も何も、そんなこと誰も頼んでませんよ。あんたが勝手にやったんだ』

「あァ? お前が言うたんやないか。『第三者による犯行の可能性を完全に潰すことさえできれば、真相が見えて来そうだ』って。せやから俺はこうして、捜査に協力してやろうと」

『言いましたけど、そこまでする必要はなくなりました。あのあと、俺も野戸島周辺の漁業会社に問い合わせたんですよ。当時漁が行われていたことは、簡単にわかりました』

「はァ⁉︎ ホンマなんかコラ!」

『キレるか訊くかどっちかにしてください。──「ホンマ」です』

 するとそこで、運転席に座っていた青年が、抑揚の乏しい声を発する。

「どうやら、無駄足だったようですね」

 田花は電話を耳に当てたまま、縁の黒い伊達眼鏡越しに、境木を眇めた。今回も彼が運転手を務めた──と言うより、足にされていたのだ。

 いかにも不機嫌そうに鼻を鳴らした田花だったが、すぐにまた笑みを浮かべ、

「なら、これはどうや? これも民宿の主人から聞いたんやけどな、どうやら事件の起こる一ヶ月くらい前に、()()()()()()()()()()()()()そうや。女の方に声をかけられた漁師が、船で送迎してやったらしい」

『……それは初耳ですね。ちなみに、その男女が誰と誰なのか、わかりませんか?』

「男の方はようわからん。マスクと帽子で顔を隠しとったそうやからな。ただ、細身の若い男やったのは確かみたいやな。──それから、女の方やけど、こっちは二人を船に乗せた漁師曰く、『榎園さん()の別荘によく来ていた女性(ひと)』やったらしいで?」

『……なるほど』

 電話の向こうで、緋村は黙考を始めたらしい。

「どうや? 感謝する気になったか?」

『……田花さん』

「ん?」

『警察の名を騙った場合、軽犯罪法第一条十五号の、「官名詐称」に当たる可能性があります。まあ、今回の場合犯罪性はないので、大丈夫だとは思いますが』

「なんや、そんなことかい。心配せんでも、そこについては問題あらへん。俺は玩具の手帳を見せただけで、自分から刑事やと名乗ってへんからな」

『なら安心だ。──じゃ、俺は忙しいので切りますね』

「ちょっ、待てや! ……お前、どこまで推理を進めとるんや? 真犯人の目星はもう付いとるんか?」

 田花が尋ねるも虚しく、容赦なく通話は終了されてしまう。

「ちっ、ホンマに切りやがった」

 スマートフォンをしまった彼は、結んでいた髪を、荒っぽい手付きで解く。

「きっと、推理を纏めようとしているのです」

「んなことァわかっとんねん。もう事件から一週間以上経つんや。そろそろ解答編に入ってもらわな困る」

「別に、田花先輩が困ることはないと思います」

 冷静な指摘に対し、田花は伊達眼鏡を投げて寄越すことで応じた。不憫な後輩は胸の辺り目がけて飛んで来たそれを、窮屈そうにしながら、どうにかキャッチする。

「今日の報酬や。特別にくれたるわ。目の下の隈隠すのに、使(つこ)たらどうや?」

「…………」

 珍しく顔をしかめる境木の視線を黙殺(むし)し、彼はダッシュボードの上に乗っていたいつものサングラスを取り上げ、鼻に乗せる。

「ほら、さっさと帰るで。俺たちも、()()に備えんとあかんからなァ」

 そう言って、何事もなかったかのようにシートベルトを装着する姿を見やりながら、運転手は呆れたように──そして諦めたように──、溜め息を吐いた。


 ほどなく、境木の運転するワゴンRは帰路に就くべく、駐車場を出発する。

 やはり大音量で流れるMr.Childrenの楽曲──“掌”を、車外へと漏らしながら。

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