3:あけおめ
あのあと──流浪園の崩壊を見届けたあとのことを、簡単に振り返ってみる。
あれから一時間もせぬうちに、救助隊が島に駆け付けた。存外に早く救出された僕たちは、すぐさまヘリに乗せられ、県内の総合病院へと搬送される。
幸い、大きな火傷や煙による害を受けた者はいなかった──一番の負傷者は緋村で、左腕の骨にヒビが入っていたそうだ──が、それでも念の為、検査を受けることになる。
その日はそのまま入院。一夜明けた二十六日から、本格的な事情聴取が始まり、それだけで丸々一日を費やした。
例の「告白文」の存在を知ったのは、同じ日の夕方のこと。警察から教えられたのではなく、病室のテレビで観たワイドショーの中で、取り上げられていたのだ。
インターネット上に公開された物であるが故に、警察が手を打つ間もなく拡散されてしまったのだろう。もちろん、原文はすぐに削除され、《小説家になろう》上にあった春也さんのアカウント──告白文は、元々彼が持っていたアカウントから投稿されていた──も、今は凍結されているはずだ。
ところで、告白文の文中には、意外な内容が二つあった。
一つ目は、見付からなかった死体の残りのパーツ──瀬戸の首と神母坂さんの体が、図書室に置かれていた羆の腹の中に、隠されていたと言うこと。あれだけ館内を探し回っても発見できなかったのだから、てっきり海の底にでも沈められているのではないか、と思っていたのだが……。切り離された二組の首と体は、存外近くにあったことになる。
また、春也さんが屋根裏に潜んでいたことにも、少なからず驚かされた。ドーマーウィンドウの仕掛けなど思いも寄らなかったし、誰かが隠れているような気配など──少なくとも、僕は──、全く感じなかったからだ。
唯一、屋根裏部屋で発見することができた痕跡と言えば、床に落ちていた屋根の塗料の一部か。どうやらあれは、一度屋根の上に出た春也さんが、再び中に戻った際、そこに残ったものだったらしい。つまり、告白文の内容を裏付ける証拠の、一つだったわけだ。
──そう言えば、流浪園にいる間は、頻繁に家鳴りを聞く機会があったが……もしかしたらその中には、屋根裏を歩く彼の足音が紛れ込んでいたのかも知れない。
だとしたら、あの家鳴りは本当に、流浪園を崩壊へと導く足音だったわけか。
雑感はこれくらいにして、そろそろ話を戻そう。
翌る二十七日も僕たちは病院で過ごし、結局退院させてもらえたのは、二十八日になってからだった。
この時すでに、事件の当事者らが入院していると言う情報は伝わっていたようで、正面口に詰めかけた報道陣の目を掻い潜るべく、僕たちは一人ずつ時間をズラし、裏口から院外へ出た。
緋村とは、そこで別れた。
僕も彼も、警察からの報せを受けた両親が、わざわざ迎えに来てくれており、二人とも退院すると同時に、帰省を余儀なくされたのである。
とてもではないが「よいお年を」などと言う気にはなれず、
「じゃあ、また、年明けに……」
「ああ」
と、簡素な挨拶を交わしただけだった。
年末年始を実家で過ごし、大阪に戻ったのは、三が日の終わった一月四日。両親からは、もう少しユックリしていきなさいと言われたし、できることなら僕もそうしたかった。
いや、年の暮れに舞い込んだある誘いを断れば、それも叶っただろう。結局のところ、僕は自ら望んで、忙しない年始を迎えたのだ。
K駅に到着した僕は、下宿先に寄るのが面倒だった為──また、元々大した荷物でもなかったこともあり──、ボストンバッグを肩にかけたまま、直接《えんとつそうじ》を目指した。
店内は相変わらず空いていた──いつもカウンター席で新聞を読んでいるオジサンは、この日もいたが。
馴染みの店主の「明けましておめでとうございます」と言う挨拶に迎えられ、なんだかホッとする。二〇一九年も変わらず紳士然とした彼に、新年の挨拶を返し、僕は暗ぼったい店の奥にある、四人がけの席に向かった。
「あけおめ」
すでにその奥側の席に陣取っていた緋村に、声をかける。
「……お前が若者らしい言葉を使ってると、違和感がすげえな」
「人のこと言えないだろ、君は」
「そんなことねえさ。──ことよろ」
新年早々意味のない軽口を交わしつつ、僕は荷物を下ろし、彼の真向かいの椅子に座った。未だに左腕はギプスが取れていないものの、元気そうで何よりだ。
「今年こそは禁煙したらどうだ?」
「無理だな。この世からありとあらゆるストレスが消滅したら、考えてやるよ」
マルボロの煙を薫せながら、面白くもなさそうに、緋村は言った。本当はもっと話したいことや、話すべきことがあるような気がしたが……不思議とその時は、忘れてしまった。




